第23話『真相』
閉じた世界の内側にいた二人。
伊藤伽耶と岸杏。
二人の死はあまりにも突然の展開だった。
あの時、私が嘔吐したあの日、優子が人間の胸ぐらを掴み、殴りかかったらしい。
私はもう定番のように気絶していて、優子のそんな姿を見てはいない。
ただ、江口佑也が言うにはあかねが先生を呼んでくるのが後少し遅かったら、優子はクラスメイトを殺しかねなかったそうだ。
皆が、誰一人としてみたことないほど憤慨しながら、優子はクラスメイトに片端からつかみ掛かった。
何があった。どうして佐伯桜花は泣いている。
お前たちは何をしたんだ。どうして私たちをかき乱す。
そう叫びながら掴みかかり、わからないと答えた子を泣くまで殴り続けた。
まぁ、わからないとクラスメイトが答えるのは仕方がないだろう。
なにせ、私は教室には足を踏み入れていなくて、だから私がその場にはいないものなのだろうとクラスメイトは認識していて、だからこそあれだけの会話を繰り広げていたわけだ。
だからこそ、クラスメイトは優子の問いにわからないのだと答えた。
優子には相手が男だとか女だとか、そういったすべてのことは関係無がなかった。
ただ、聖域を踏み荒して佐伯桜花を鳴かせたと言う事実が許せなかった。
そんな動機の元、優子はひたすら駆けつけた先生に止められるまで暴れまわった。
普段おとなしい少女の暴走に、クラスメイトは皆恐怖を感じて動くことができなかったそうだ。
男子ですら誰一人として優子を止めにはいかなかったと言う。
暴れる優子は途中で聞き方を変えた。
「今、なんの話をしていた?」
問われたクラスメイトの女の子は失禁しながらも語った。
自分たちは伽耶と杏の悪口を言っていました。
踏み込んだ無粋な話をしてしまいました。
実際にそう言ったわけではない。
ただ、そうとしか捉えられないような回答をクラスメイトの女の子はした。
その言葉で本格的に怒りを強めた優子は問い詰めた。
「会話の内容の詳細とその根拠を教えて」
クラスメイトたちは快く優子に話してくれた。
ボコボコにされたからこそあっさり話してくれたわけだから決して快くというわけではないのだけど、その点は気にする必要はない。
そして、教室で繰り広げられた全ての原点である噂話とその正確な出どころを聞いた優子は手近な位置にあった椅子を手にして先生に止められるまで暴れ続けたというわけだ。
「全部、私のせいなんだね」
「そんなことないよぉ。あれは誰も悪くなかったよぉ」
杏と伽耶の死体が発見されてから3日後。
杏の葬式の翌日。
わざわざ杏とズラした日程で執り行われた伽耶の葬式から帰った私達は、喪服姿のままで私の部屋で寝転がって本を読んでいた。
私はベッド、優子は本の散らばる床に寝転がっている。
「誰も悪くないなんてことはないよ。火のないところに煙は立たないっていうでしょ」
「だとしたらぁ、二人を受け入れなかったクラスメイトみんなが悪いよねぇ」
「それは…そうだけど」
私は言葉に詰まった。
確かに、私は今回の出来事をクラスメイトのせいだと思っている。
思考を放棄した奴らが杏を否定し、バカにしたことで杏が傷ついた。
その結果として杏は伽耶を道連れに命を捨て、生きることを放棄したのだからクラスメイトが悪いことに違いはない。
けど、優子に聞かされた噂の真の出どころを聞いた私は、クラスメイトは確かに皆が悪いけど、それと同等かそれ以上に私が悪いのだと思えて仕方がなかった。
「でも、やっぱり私が悪いとしか思えないよ。だって、あの時、杏がお泊まり会に来れない理由を放課後の教室なんかで聞かなかったら杏はあんな目には遭わなかった」
そう。全ての原因は杏が私にお泊まり会に来れない理由を語ったあの日にあった。
今となってはもう忘れられない。
脳髄に焼き付いて私を侵食するあの日の明るい放課後を。
「佐伯は…桜花はもう私の秘密を少しだけ知っているわけだから、いっそのこと全部話そうと思う」
「秘密?」
「そう。秘密。私の好きな人について」
「どうしてまた」
「それが私の泊まりに行けない理由に関わってくるから」
真剣な様子の杏に、私はどんな反応も返さなかった。
無言でただ杏を見つめた。
あるいはそれは見つめると言う反応であったり、無反応という反応だったのかもしれない。
ただ、杏は私の無反応を無言の肯定だと解釈したようで、いつもよりも少しだけ興奮したような調子で語り始めた。
「前にさ、私に好きな人がいるって話をしたことがあるよな…よね」
杏の言葉に、私は無反応を返す。
「で、その好きな人が私に彼女を紹介してきたって話もしたよね」
杏の言葉に、私は無反応を返す。
「でね。その好きな人っていうのは私の兄貴…お兄ちゃんのことなんだ」
恥ずかしそうに頬を染める杏に私は無反応を返す。
「どう…かな?」
さすがに無反応では乗り切れそうになかった。
「どうって?」
「引いた?」
「まさか」
だってあなたの価値は私の中でとっくに失墜しているのだもの。
そんな本音、思っても口には出せなかった。
「桜花は優しいな」
言葉遣いがぐちゃぐちゃに入り混じる杏を見て、それほどまでに動揺しているのだと私は客観的に思った。
客観的というのは、どこか他人行儀のように自分とは関係ない事柄のように感じたということだ。
「私は優しくなんてないよ」
私は実に酷い人間だ。
決して、優しいなんて部類の美しい人間ではない。
そんな卑下した私の回答を杏は勝手に謙遜だと解釈し、恥ずかしそうに微笑んだ。
やめて欲しかった。
純粋な心情で、美しい双眸で私の姿を捉えないで欲しかった。
けど、そんなことを主張する権利は私にはない。
「でさ、私が桜花の家に泊まりに行けないのは兄…お兄ちゃんと二人で旅行に行くことになったからなんだ」
だから申し訳ないけど、私は泊まりに行けない。
そう語った杏に、私はなぜか作り笑顔で「よかったね」と返してしまった。
私の制御を飛び出た私の思考が練り上げ、吐き出した言葉だ。
だから私自身もその言葉を選び取った真意を理解できない。
「どこに行くの?」
そう聞くと、杏は嬉しそうに言った。
「草津温泉」
あの日、放課後に二人きりで教室で話をする私と杏を、陰からこっそりと覗き見るクラスメイトがいた。
ただ、そのクラスメイトは別に私たちの話を盗み聞きするつもりはなかったらしい。
忘れ物を取りに教室へ戻ったけど、私たちが内緒話をしていたから思わず隠れて聞き耳を立ててしまっただけらしい。
そこに悪意があったかどうかは私の知ったことではないけれど、憎むに憎めない人間という生物の悲しい性だ。
結果、クラスメイトは私と杏の話を盗み聞きしてしまい、完結した世界が崩壊に至るまでの全てが始まることとなった。
盗み聞きをした生徒は家に帰るなり母親に言った。
「ねぇ。クラスメイトに岸さんっていう子がいるんだけどね、岸さんってお兄ちゃんのことが好きなんだって。で、今度二人で旅行に行くらしいよ」
その言葉に、その子の母親は言葉を返した。
「そう。岸さんはお兄ちゃんと仲良しなのね」
さらに言葉が重ねられる。
「ううん。違うの」
「何が違うの?」
「岸さんはね、お兄ちゃんを男の人として好きなんだって」
「そ、そうなの?」
「うん。でね、
お兄ちゃんの方も岸さんのことが好きなんだって。女の子として」
ろくに詳細を知りもしない人間ほど恐ろしいものはない。
彼ら彼女らは勝手な自己解釈に基づいた誤りの記憶を正しいものだと確信しており、それが誤りであることに気づいていない。
そして、彼ら彼女らは言葉を紡ぐ。
誤った解釈によるまやかしの記憶を本物だと勘違いし、そこから派生する虚言をまるで実際に聞いた話であるかのように語る。
人間というものは実に愚かな生き物だ。
このクラスメイトなんかはまさしく愚の骨頂と呼ぶにふさわしいだろう。
なにせ、この少女が親との会話を引き金にして勝手な妄想を膨らませ、虚実と現実の区別がつかなくなってしまったことで私たちの閉鎖的で美しい完結した世界は壊されてしまったのだから。
少女は語った。
仲のいい友人に、夏休みの間に語った。
「岸杏は兄のことが好きだ」
少女は語った。
根拠のない出任せを、口からこぼれ出る虚言をまるで真実であるかのように語った。
「岸杏は兄のことを性的な目で見ている」
その言葉を聞いた友人たちは毒されるように少女の言葉を信じ込んだ。
「岸杏は兄と二人で旅行に行くらしい」
違和感のかけらもないようなその実話を、少年少女は歪曲した解釈をした。
「岸杏は兄と体の関係を持った」
そうやって次々に重ねられ、肥大化していった嘘の塊を皆は真実だと信じ込んだ。
そして、あの日、彼ら彼女らはその嘘を真実だと錯覚した状態のまま、噂の当人がいるすぐ目の前で、暇つぶしのおしゃべりの話題として嘘の塊を転がした。
毒々しい言葉の集合体を転がし、弄んだ。
ごろごろごろごろと弄ばれるにつれ、聖域は軋み、悲鳴をあげた。