番外編1『:10月31日:』
初めての番外編です。
本編とは一切関係がありません。
飛ばしてもらって大丈夫です。
「トリックオアトリート!」
日が落ちて寒さが目立ち始めた放課後の教室で、冬用の紺色セーラーに身を包んだ桜花はそんなことを言った。
「君、それの意味わかってる?」
「お菓子をくれないとイタズラするぞってやつでしょ?」
当たり前のことなのにどうして聞いてくるのだろうといった様子で桜花は首を傾げた。これは完全に僕の失言だった。
桜花は僕よりも多くの本を読んでいる。甘ったるい子供騙しの小説ばかりを好む僕と違い、桜花はいろいろな種類の本を読む。当然、様々な小説に出てくるハロウィンというものを知らないはずがない。
だから「意味を分かっているの?」なんていう僕の質問は完全な失言だ。僕が恥をかくだけの損でしかない。
「まさか光助くん、正解を知らなかったの?」
両手で口元を覆い、桜花がわざとらしく信じられないと主張する。
僕は少しだけムッとした。
「知ってるよ。あれでしょ。豊作を祝うだったか、おばけを払うだったかの」
「まぁ、詳しいことは私も知らないけれどね」
からかうようにケラケラと笑う桜花に腹立たしい感情が湧いた。
ちょっとだけ何か仕返しをしてやりたい。そう思った。
「で、お菓子をくれるの?それともイタズラを素直に受け入れるの?」
「この質問がすでにイタズラな気がするんだけど」
「そんなことないよ。君にも同じことを聞く権利があるんだから」
なるほどと思った。彼女の言うことを真に受けて少しだけ利用してやろうと思った。
「あいにく、僕はお菓子を持ち歩くような趣味はないんだ」
「じゃあ私のイタズラを受けることになるね。もうお婿にいけないと思うけど大丈夫?」
……彼女は僕にイタズラと称して何をするつもりなのだろうか。
「大丈夫じゃないよ。せめて常識の範囲でのイタズラにしてよ」
「えーっ。それは結構難しい話だなぁ」
頬を膨らませてみせる桜花に僕は心底呆れた表情で言った。
「じゃあ僕へのイタズラは一旦置いておいて次は僕の番だね。トリックオアトリート」
「へ?」
桜花が間の抜けたような声を出す。
まさか僕が聞いてくると思っていなかったようで、わかりやすく動揺した桜花はあからさまに視線を僕から外した。
この質問にそこまで慌てる必要はあるのだろうか。僕には正直わからなかった。
「えーっと、まずは光助くんへのイタズラが終わってからにしない?」
その言葉から察するに、桜花は僕へのイタズラが執行される前に僕が桜花にハロウィンの合言葉を投げかけるのを避けたいようだった。
ちょうどいい。さっき少しだけバカにされたことの仕返しになる。
僕は笑いそうになるのをこらえ、「君が言ったんでしょ?」と言葉を紡いだ。
「君が僕にも同じ質問をする権利はあるって言ったんでしょ?」
「うぅ。そうだけどさぁ」
「ほら、早く選んでよ」
「そんなー」
がっくりと肩を落とし、桜花は諦めたように言った。
「あーあ。せっかくハロウィンを口実に光助君へのイタズラができると思ったのになぁ」
「君はハロウィンなんて関係なしにいつも僕にイタズラをするじゃないか」
「えーっ。私、光助くんにイタズラなんてしてないよ。私は光助くんに本の話を持ちかけているだけじゃない?」
言われてみれば確かにと思った。
むくれる桜花にごめんと謝り、鞄を手に席を立つ。
暖房すらない冷えた教室で長時間くだらない話をするのはかなりの体力を必要とした。凝り固まった体をのびで少しだけほぐす。
「じゃあ、僕はもう帰るよ」
そう言うと、桜花が「ちょっと待ってよ」と言って帰り支度を始めた。
僕を待たせたところでどうせ別々に帰るのだから意味がないじゃあないかと思った。
なにせ桜花は高嶺の花だ。僕ごときの底辺の人間が今この瞬間のように時間を共有してもいい相手ではない。だから、僕は彼女と一緒に下校なんてまずしない。
そんなことをしようものなら僕は周りの人間から様々な類の視線や感情を向けられることになってしまう。僕はそんなものを望んではいない。
だから今日もいつも通り僕は桜花と別々で帰路につく。
身支度を終えた桜花は「あっ」と何かを思い出したような声を出した。
「どうかした?」
「そういえば今日、好きな小説家の新作が発売なんだったって思い出したの」
「へぇ。そうなんだ」
多分これは本屋に強制連行されるやつだろうなと思った。
なんとかして断る口実を作らなければならないと思い、拙い思考回路をフルで活用した。
「そうなの。だから私は先に帰るね」
ほらみろ。やっぱり彼女は僕を本屋に……え?
予想とは異なる桜花の言葉に僕は動揺した。動揺した勢いで僕は慌てて彼女の顔を見た。
彼女は…佐伯桜花は動揺する僕を見て嬉しそうに笑うと、「また明日ね」と言って教室から出て行った。
取り残された僕はどうして彼女が僕をわざわざ呼び止めたのか意味がわからなかった。
本音を言えば彼女と一緒に本屋に行きたいという欲は少しだけだが確かにあった。
僕は断る理由を探している一方、心のどこかで彼女の誘いを受け入れることの感情的ではない理由を探していたのかもしれない。僕は少しだけ後悔した。
これが、彼女が僕に行ったハロウィンのイタズラだと気がついたのは随分と後になってのことだった。
誰もいなくなった寒い教室にいつまでも居るわけにはいかないわけで、僕は彼女が教室を出てから5分ほど時間をおいて教室を後にした。
この時、僕はカバンの中にお菓子を持っていたのだけれど、そのクセして「お菓子を持ち歩くような趣味はない」なんて嘘をついてしまったことはこの先ずっと彼女には内緒である。
もし彼女に知られようものならまた不必要な弄りを受けることになる。それだけはなんとしても避けたかった。
学校を出る頃にはすでに街が薄闇に染められていて、夜空の半月がやけに眩しく見えた。
月の周りに雲などなく、寒さは厳しいものの清々しいという言葉がぴったり当てはまるような夜だった。
風呂を焚くガスの香りが宵に惑い、冬の来訪を知らせる。
僕はこの日の彼女がカバンの中にお菓子を持っているにもかかわらず、まるで持っていないかのように振舞っていたことを知らない。
まぁ、そもそも彼女は自分がお菓子を持っていないとは一言も言っていなかったわけなのだけれど、僕が勘違いをしていたということに僕は気づかない。ネタバラシをしてもらえない。
だから、これから先も彼女が必要のないように感じる嘘をついていたという事実を知ることはない。
だって、真実を教えてくれる君はもういないのだから。
本編では絶対に来ないもしもの時間軸です。




