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最後の夢  作者: 人生依存
斯くして少女は最後の夢を叶える
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第4話【明けぬ夜に陽を望む④】

 これで2度目だった。

 江口佑也は懲りることなく、いつかと同じように好きだと私に伝えてきた。もちろんそれは友人としての好意の示しではなく、異性としての好意の示しだった。

 冬休み前日の終業式の日、この日も大雪の注意報が出ていて、クラスメイトは半数以上が休んでいた。以前と同じように学校に来ていたのは私や佑也のような馬鹿正直な人種ばかりだった。

 終業式が終わり、配布物を受け取って解散になると、佑也はすぐさま私の元にやってきて、一緒に帰ろうといった。家の方角が違うのだから班も違うでしょというと、こんな日はどこの班も人が少ないからみんな好き勝手に帰っている。だから大丈夫だと佑也は私の手をひた。

 そうして私は家から少しそれた方向にある神社に連れてこられた。人気がない森の中は人ではない別の動物たちの気配がして、少し落ち着かなかった。

 佑也はここで、私に好きだといった。2度目だった。私は1度目の時と同じようにそれを拒絶した。

 この時に佑也の好意をたとえ上辺だけなのだとしても受け入れていれば、もしかしたら私の人生の障害は都合よく消え失せていたのかもしれない。けれど、私はその思考に至らなかった。私はまだ、死の恐怖に苛まれていた。

 別に私は重い病気にかかっていたわけではない。それでも、死ぬことの恐怖は毎日のように私に襲いかかってきて、その度に私は苦悩から逃れようと苦しんだ。苦しみから抜け出そうとして、抜け出す術を知らなくてより苦しんだ。

 そうこうしているうちに年が明け、私の家には親戚が代わる代わる訪れた。両親の葬式に来ていた面々が次から次へとやってきて、図々しくもおばあちゃんが作ったおせちや雑煮を食べ、空腹を満たして帰って行った。

 もちろん、あの叔父も例外ではなかった。

 元日が終わり、2日の朝。

 叔父は常識知らずもほどがあるほどの早朝に家の戸を叩いた。

「おはよう桜花ちゃん。朝はやくからごめんね」

 戸を開けると、叔父が申し訳なさそうにいった。

「朝早くだと思うならもう少し遅く来るべきなんじゃない?」

「そう嫌がらないでよ。笑顔の方が可愛いよ」

 私の顔から笑顔だなんて見栄えの良いものが欠片も残さずに消え失せていると指摘し、叔父は「はい。お年玉」とぽち袋を渡してきた。

 正直、欲しくないわけではないけれど、叔父から貰うのは借りを作っているみたいで嫌だった。だからこそ、私は顔から嫌悪の色を消すことなくそれを受け取ったのだが、受け取った時の違和感で「え?」と口にしてしまった。

 私の反応を見て、叔父はやってやったぞとでも言わんばかりの笑顔で口を開いた。右腕を持ち上げ、その大きなてのひらを私の左肩におきながら、口臭のひどい口を開いた。

「いつでも困ったことがあったら言ってね」

 その言葉には相変わらず下心というものが少したりとも隠さずに添えられていて、私はあまりの気持ち悪さに寒気を覚えた。

 叔父からもらったぽち袋は他の親戚からもらったものよりも厚みがあり、中には一番大きな額のお札が十数枚入れられていた。


_____

 

「久しぶり。また会ったね」

 昼寝をしていたら夢の中で私が出てきた。

 私と同じ声をしていて、私と同じ顔をしていて、私とは違う気持ちの悪い笑みを浮かべていて、私とは違って、まるで何でも知っているかのような顔をしていた。

「……」

「あら、まただんまり?」

「……」

「つまんないなぁ」

 もう一人の私は一向に喋らない私のことをまじまじと見つけ、困ったように笑った。

「そんなムスッとした顔をしていないで、笑顔になった方が可愛いよ。君は」

 自分に向かってそんな事を言って恥ずかしく無いのだろうかと思っていると、私では無い私は「座りなよ」と言いながら腰を下ろした。ふと周りを見回せば、近所に唯一ある神社の境内に移動していた。

 私は仕方なく、期待した顔で私を見つめる私の隣に、境内にある階段の最上段に腰を下ろした。

「なにが見える?」

「……」

「もうそれはいいから。なにが見える?」

「木」

「あははっ。確かにそうだね。森って答えてもよかったね」

「あなたにはなにが見えるの?」

「君も私も私なんだから、あなたなんて他人みたいな話しかけ方はやめてよ」

「……別にいいでしょ」

「あははっ。確かにそうだね。互いに互いをどう呼ぼうと私たちの自由だね」

 腹を抱えてうれしそうに笑いながら、私の視界に映る私は両手を広げて空を見上げた。

「私にはね。私の瞳にはね…」

 一つ呼吸を置き、まるで別人のように冷めた顔になり、彼女は言った。

「私の瞳には…世界が見える」

 あぁ。とうとう私もおかしくなってしまったのか。そう思った。

 彼女は私を横目で見ながら、「君に分かる?」と聞いてきた。

 風が吹き、木々がざわめいた。

 隣に座る少女わたしの髪の毛は風に揺らぎ、私の髪の毛は風に吹かれても揺らぐことがなかった。

「君にはわからないだろうね。だって、君はまだ怯えている」

 なにに怯えているのか、そんなものは確認する必要がなかった。

 私は死ぬことに怯えている。

 人間はいつか死ぬ生き物だが、私はそれがどうしても受け入れられない。

 もうずっと考えてきた。

 大好きな両親。大好きな祖母。大好きな物語たち。

 どれもこれも、私が私であったからこそ出会えたものだ。けれど、死んでしまえばそんなものは全て意味がなくなってしまう。

 両親や祖母のことを覚えている私は居なくなってしまう。私は、大切な全てを失い、なにが大切なのか理解もできなくなってしまう。それが怖かった。

 幼稚園の頃、死んだ後の事を考えて泣いたことがあった。なきじゃくり、お母さんに助けてとわめきながら、死んだらみんなの事を忘れてしまう。私は忘れたく無いのだと涙を流したことがあった。

 その時、お母さんは私に言った。

「大丈夫。死んでも、私たちは生まれ変わるのだから、生まれ変わった先でまた出会える」

 私はこみ上げる恐怖をぬぐうためにそれを理解することにした。それに納得したのだと思い込むことで、私は恐怖を押し殺した。

 実際のところはお母さんの言葉が理解できなかった。まず、生まれ代りなんてあるはずが無いと思っていた。だって、偶然生まれたのが世界であって、偶然の上に世界が成り立っている以上、都合のいい循環などは無いのだから。世界はウロボロスではなく、ロケット鉛筆のようなものだ。次から次に入れ替わり、総量は変わらない。だから、私は生まれ変わることなどない。

 でも、もし生まれ変わりがあったのなら、そう考えたこともあった。けれど、たとえ生まれ変わったところで、私が大切な人たちと巡り合うという根拠は無い。そもそも、また無事に人間として生まれてくることができる道理はない。

 小さな時からそんなことばかり考えていた。まだ大きくなったとは言えないほど私は歳をとっていないけれど、長いこと‘何か’に怯えていたのは事実だ。

 そして、私が怯えていたのは死ぬことにだった。

「君にまだ救いの手は差し伸べられていないみたいだね」

 彼女わたしは馬鹿にするように言った。

 ふと、いつか公園で出会った少年のことを思い出した。

「じゃああなたには差し伸べられたの?救いの手が」

「はははっ。私はそんなタイプの人間じゃあ無いよ。いや、きっと差し伸べられたんだと思う。幾つも幾つも私を救うには足らない蜘蛛の糸のようなものが垂らされて、私はそれらを束ねて自分で救われた」

 私は救われたんだと彼女は言い切った。

「君は周りが見えていないだけだよ。蜘蛛の糸はすでに目の前に降ろされている。それを乱暴に扱えば君はまた地獄の底だ。馬鹿馬鹿しい昔話の二の舞になっちゃうね」

 私をしっかりと見据えて笑う少女わたしの笑みはやっぱり気持ちの悪いものだった。 

 私は立ち上がり、空を見上げた。

 曇天の空は雨雲によって作られていた。

「あれ。もう行くの?」

 もう少しお話をしようよと少女は言ったけれど、私はそれを無視して歩み始めた。

 目が覚めた。


 冬だというのに、かなりの寝汗をかいていた。多分、こたつを最大出力で使っていたのが原因だった。

「あぁ。起きた起きた。桜花ちゃん。雑煮食べる?」

 叔父が焼き餅用の砂糖醤油を作りながら言った。

「…いらない」

「はははっ。寝起きでご飯はやっぱり厳しいか。母さん。桜花ちゃんはご飯まだいいってさ」

 テレビの右下に表示される時間を見ると、時刻は夕方を指し示していた。

 なんだかせっかくの1日を無駄にしてしまった後悔のような感情が湧き出してきて、私は失いつつある貴重な1日を守るため、部屋に篭って本を読むことにした。

「地獄はここにありますよ。頭の中にあるんです」

 読んでいる小説の登場人物がそう語っていた。あるいは、その小説の作者が語っていた。全くもってそのとうりだと私は考えた。

 地獄は頭の中にある。人間は脳みそなんていう神秘の産物をその頭に持っており、感情だなんていう、魂だなんていう不便なものを持っている。そのせいで過去を無駄に悔やみ、悩んでしまう。感情なんてものがあるから苦楽を感じてしまう。幸せなんてものを感じてしまうから不幸を感じてしまう。死を考える能力を持っているから死を考えてしまう。地獄に足を取られてしまう。

 こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、その小説の主人公もきっと私のような悩みを持っていた。人間という生き物に不信感を持っていた。

 きっと苦しかったんだろうな。そう思った。

 

 翌日以降も似たような生活を送った

 起きて本を読み、昼寝をして起きたら再び本を読む。そうして、すべての時間をひたすら本を読むことに気がついた。

 本を読むことで死ぬことを考えさせられてしまうこともあった。けれど、それらはあくまで、紙面を通じて瞳が認識し、脳が考えるものであるため、あくまで想像フィクションなのだと私の馬鹿な脳は認識してしまっていた。だから、本を読んで考える死は怯えて考える死よりも幾分か楽だった。

 他人事なのだと、そう思うことができた。

 そんなこんなで冬休みが終わり、私はまた日常じごくに戻っていった。

 毎日毎日学校に行き、あかねの暇つぶしの道具にされ、体に傷を作り、それでもなお、私は日常じごくに浸かった。

 日々はまた過ぎ去り、季節が移り変わろうとしていた2月の末、私の元に、はっきりと見えるけれど認識がうまくできない蜘蛛の糸が垂らされた。


______


 朝、目がさめると「早くしないと遅刻するよ」という‘知らない女性’の声がした。私はその声が‘自分の母親の声’なのだと理解することができた。

 まだ眠気が抜けきらず、なかなか持ち上がらない瞼をこすり、なんとか洗面所まで行った。そこは、見たことも無い場所だったけれど、不思議と自分の‘暮らしてきた家’なのだと理解することができた。

 洗面所は本来の私の家の構造とはやっぱり違って、風呂場の脱衣所に作られていた。洗面台はやけに白く、周りには幾つか棚があり、物が雑多に置かれていた。

 蛇口をひねって冷たい水で顔を洗い、なんとか意識を覚醒させて鏡を見た。

 そこには‘見知らぬ少女’が立っていた。自分とは顔の形も髪の毛の長さも違って、あげくには目つきも自分と大きく異なるその少女の顔を見て、鏡を見つめるその少女の顔を見て、それが‘自分の顔’なのだと理解した。理解できてしまった。

 けれど、その時の私は何も違和感を感じなかった。なにせ、その時の私は私ではなく、私の知らないその少女だったのだから。

 朝食は味噌汁と納豆とウィンナーと白米だった。

 食べ慣れていない白味噌の味噌汁と赤ウィンナーでは無い普通のウィンナー。それと、あまり好きでは無くて進んで食べることの無い納豆。そのどれもを私は食べ慣れていた。

 身支度を済ませてランドセルを背負い、家を出ると、そこは二階建ての民家がひしめき合う住宅街だった。私が暮らしているのは家があまり建っていなくて田畑に囲まれている田舎なのだから、その光景が異様であるのは後になって考えればすぐにわかった。

 どこを見ても似たような形の家がたくさんあって、山や田畑など見えなかった。道は狭く、車が一台通れるか通れないかほどの狭さで、私はその光景を見て、少しだけ立ち尽くした。

 自分がなんで‘見慣れた’その景色を見て呆然としてしまったのか、自分でも理解できなかった。

 けれど、私はすぐに学校に向かって歩き出そうという思考に至った。

 ふと、家先の門に取り付けられた標札に視線を向けた。

 そこに書かれていた文字は太陽の光で遮られてうまく視界に捉えることができなかった。



 ここで、私は目が覚めた。




 生まれ変わりは確かに在った。

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