第2話『夢:8月13日』
「っ・・・」
暗く乾いた部屋で僕は目を覚ました。見慣れた部屋だ。僕の部屋。六畳あるか無いかぐらいの部屋。北の半分を占めるようにベッドが置いてあり、僕はそこで目を覚ました。閉ざされたカーテンの隙間からは、太陽の光が僅かながら入り込んでいた。
僕は君に会いに来た。桜花に会いに来た。
いつからだろうか。僕は眠るたびに前回の夢の続きを見るようになっていた。
それはまるで、ゲームをセーブ地点から再開するように。それはまるで、読みかけの本を、栞をはさんだ位置から読み始めるように。僕は夢の続きを再開する。
夢についてハッキリと言えることがある。それは、この夢が僕の過去の出来事だということだ。現実と夢の時間の差は1週間程度。僕は、毎日毎日セーブをしながら自らの過去を見ている。
自らの後悔を見ている。
自らの過ちを見ている。
自らの罪を数えている。
僕は、もう変えることのできない過去を見せられ、涙を流して懺悔することすら赦されず、ただ、過去という大きな川の流れに流される。
話を聞くだけではこの体質に良いことなど何も無いように聞こえてしまう。しかし、一つだけ夢には良いことがある。過去を変えることは出来ないが、夢の中での言動によってある程度は未来を変えることができるのだ。
現実が変わるわけではないが、現実では見ることのできなかった未来を夢の中なら見ることができる。
つまり、夢の中であったら桜花が自殺する未来を回避することができるということだ。夢の中だけでも、彼女と共に生きることができるということだ。まだ大きな変化を起こしたことは無いが、小さな変化が許されたことがあるのだ。きっと、桜花を救うことだってできるはずだ。
彼女から聞くことができなかった言葉も。彼女に伝えることができなかった想いも。夢の中ならまだ叶えることができる。そう、「まだ」叶えることができる・・・
「まだ」・・・・
『ピッ…ピッ…ピッ…』
不思議な音に意識を引っ張られ、自分が考え込んでいたことに気が付く。
その時、ふいにケータイが鳴った。桜花からのメールだ。
内容は見なくても分かる。
これは夢なのだから。これは過去なのだから。まだ桜花は生きている。
これが夢だと分かっているのに僕は嬉しかった。
また、桜花に会えるから。また、桜花と話すことができるから。
僕はすぐに寝間着を着替え、ケータイを握りしめ、寝グセも直さずに家を飛び出た。
八月十三日、今日のメールの内容は[いつもの場所にいるよ]ただ、これだけのものだ。
このメールは、いつも彼女が休日に僕を呼び出すために送ってくるメール。そのおきまりのパターンだ。
僕の記憶が正しければ、この日の僕は寝坊をして桜花を待たせてしまっていた。待たせたことで慌てていた僕は、寝グセを直すのも忘れて君のもとへと向かった。そして桜花は僕の寝グセを見て、眩しい笑顔で楽しそうに、少し小馬鹿にしながらケラケラと笑ったんだ。
そんな彼女の笑顔を再び見るために、過ぎてしまった日常を繰り返すために、僕は街を走る。
太陽は南の空で元気に光と紫外線をばらまいている。
今日は、日差しが強くセミの元気な八月十三日。
もう夏も半ばにさしかかり、季節は星の綺麗な終わりの季節へと駆けてゆく。
家と家の間を走り抜け、キンカンの木がある家の角を右に曲がる。
そこからまっすぐと走っていったその先に、ほとんどの遊具が撤去された小さな公園がある。僕と桜花がいつも二人で話をしている秘密の場所だ。
唯一残された遊具である二つ並んだブランコの片方に、桜花はすでに座っていて、走ってきた僕を見つけて小さく手を振っている。
桜花のもとへと駆け寄った僕は記憶の通りに「ごめん。遅れた。」と言う。
すると桜花は記憶の通りに「全然大丈夫だよ」と言った。
そして、彼女は僕の寝グセを見て「寝グセ、可笑しいね。」そう言い、眉尻を下げて微笑んだ。笑ったのではない、‘微笑んだ’のだ。
僕は彼女の態度に引っかかりを覚えた。
しかし、僕は現実では見なかったはずのこの表情を確かに見た覚えがあった。どこで見たのか、いつ見たのかは覚えていない。でも、確かに僕は桜花のこの表情を知っていた。
この時の彼女の微笑みの意味を知っておけば、あんなことにはならなかったのだろうか。
いや、この時にはもうすでに遅かった。
なぜなら、この時すでに・・・・
■■■■■■■■■■■■だから。
■■■■■■に、
■■■■に
■■■■■■■■■■■■■。
僕は、桜花が僕と話すためだけにここにきて、一日の半分くらいを使ってくれていると思うと嬉しかった。この時間だけは彼女の笑顔は僕だけのものだと思うことができたからだ。
「最近、どんな本を読んでる?」
「最近はあまり本を読んでないんだ。正直、どんな本が面白いのかわからなくなってきたんだ。」
「私がオススメの本を教えてあげようか!?えへへ。」
得意げに言いながら気持ちの悪い笑い方をする桜花を横目で見る。
肩にかかるくらいの長さの綺麗な黒髪が風になびいている。
「じゃあ、せっかくだから教えてもらおうかな。」
そして、僕と桜花は過ぎてしまった時間を繰り返した。
気づいたころには、辺りは墨をこぼしたように薄く暗くなっていた。僕たちは話をやめて帰路につく。
僕は桜花に家まで送ると言ったのだが、「この後も用事があるから。ごめんね。」そう言ってフラれてしまった。
こちらに手を振ってから去っていく桜花の首元の色が少しだけ変だったのは街の影のせいだろうか。
桜花が完全に視界からいなくなるのを待って、僕は帰路につく。ふと空を見上げると、空はまだ遠かった。
家に着くと激しい眠気が襲ってきた。僕は、明日の夢からはちゃんと行動しようと決めて、ベッドに潜り込んだ。
僕が夢から現実に戻るためには、夢の中で再び眠りに落ちるしか方法はない。僕が知らないだけで実はもっと方法があるのではないかと思ったが、それはいまだに見つからずにいる。
結局、彼女が死ぬ1週間前の今日は彼女の自殺の理由はわからなかった。彼女はどうして自殺したのだろうか。話をしている中ではわからなかった。
僕が目を逸らし続けていることが原因なのか、それ以外のことが原因なのか、僕にはまだわからない。ただ一つ僕が感じていることは、「何かを見落としているのではないか」という漠然とした不快感だけだ。
明日の夢は彼女からのメールが無かった日だ。
「明日は僕の方から彼女を誘い出そう。」
そう決めた僕はまぶたを閉じ、意識が一時的に消えるのを自分の中から遠目に見ていた。