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最後の夢  作者: 人生依存
斯くして少女は最後の夢を叶える
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第3話【明けぬ夜に陽を望む③】


 

 もう1週間も雪が降り続いていた。

 ニュース番組なんかでは岐阜の山間部は記録的な豪雪が見られたと言っていた。その言葉の通りに外は寒く、世界は真白に染まっている。

 雪は腰よりも上あたりまで積もっていてどうしようかと思っていたけれど、学校の先生や町の役場の人たちが道路の真ん中を歩いて通れるようにと気休め程度だけれど雪かきをしてくれていて、心配の必要はなかった。

 朝目が覚めると枕元にクリスマス模様にラッピングされた小包が置かれていた。

 それがクリスマスプレゼントであることはすぐに理解できた。

 赤地に小さく無数のクリスマスツリーがプリントされた包装紙を剥いで中身を確認すると中には本が5冊ほど入っていた。どれもこれも、父が読みたいと言っていた本だった。

「おばあちゃん…これ」

 私が貰った本をおばあちゃんに見せると、おばあちゃんは素っ気なく「よかったね」と答えた。

 かなり積もった雪で少しばかり遊びながら学校に行くと、すでに朝のホームルームの予鈴が鳴り始めていた。

 慌てて長靴を下駄箱に無理やり押し込んで教室に駆け込むとクラスメイトは半分ほど来ていなかった。

「あちゃー。やっぱり皆来ないか。雪すごいもんな」

 担任の小屋こや先生が苦虫を噛み潰したような顔をしながら教室の扉を開けた。

 その言葉に促されるように教室を見回すと、教室にはあかねの姿も取り巻き二人の姿も1週間前に私にクリスマスプレゼントに何をもらうのかと聞いてきた女の子の姿もなかった。

 朝のホームルームが終わり、一時間のために音楽室へと向かう準備をしていると、ご丁寧に馬鹿正直に学校に来ていた佑也が私の元へと歩み寄ってきた。

「雪、凄いな」

 どんな心情でお前は私に話しかけているんだと聞きたかった。けれど、臆病でずるい私はそんなことを聞くことができない。

「…うん。そうだね。佑也くんの家は大丈夫だった?」

 私よりも山に近い場に住んでいる佑也に礼儀半分で心配の言葉をかける。けれど、少しも心配の感情なんか私は抱えていない。むしろ雪崩が起きて佑也が家ごと巻き込まれればよかったのにとか思っている。

 佑也は何が嬉しいのか、笑顔になってなおも話しかけてくる。

「その…さ、佐伯はクリスマスに何もらった?」

 意味がある会話なのだろうか。

「いつも通り、本だよ」

 きっと、こんな会話に意味なんて無い。

「本か。前は仮面ライダーのベルトをもらうって言ってなかった?」

 なんでそんなことを知っているんだ。あの子との会話で何気なく言った冗談なのに。あなたにはその話をしていなかったのに。どうして知っているんだ。もしかして聞き耳を立てて話を聞いていたのだろうか。もしそうなのだとしたら気持ち悪い。変態じゃあないか。

 佑也の何気無い言葉によって彼への嫌悪感がどんどん膨張していってしまう。

「で、なんの本もらったの?」

 口を閉ざした私に、佑也はめげずに声をかけてくる。あぁ。こんな意味の無い会話、するだけ無駄じゃあ無いか。自分の話したい話題でもなく、生産性がある話題でも無い。私に学びと呼べる産物は与えられず、ただ貴重な時間が無為に食いつぶされる。

 本当に馬鹿馬鹿しい。何も心惹かれない。

 著者の名を言ったところで、小説のタイトルを言ったところで、どちらにせよ理解などできない人間に話すほど楽しく無いものは無い。

 同じ魅力を感じられない人間に語るのは私がまるで普通の感性から逸脱した感情を持っているのだと嫌々ながらに突きつけられているようで、理解してくれない人間に語るのは泥水に溶けた砂をすくい上げようとしているようで、私は佑也の問いに答えたく無いのだと感じてしまう。

 開けた口から言葉が出ない。ただ単純に、佑也とそんな話はしたく無い。いや、佑也に限ったことでは無い。クラスメイトは皆、本を読んで知識を得ると言うことをするタイプでは無い。皆が皆、無駄な遊びに時間を割き続けているか知識として蓄えるにはあまりに意味の無い虚構を蓄えるかしかしていない。

 私は一度開けた口を一旦閉じ、唾を飲み込んで気持ちを無理に整えた。話したくも無い相手と話をするため、今からベラベラと口から言葉を吐き出すため、一度だけ脈のテンポを整えて再び口を開いた。

「んーっと、多分、言ってもわからないと思うけれど」

「大丈夫。俺も本を読もうと思っているから、参考にしたいだけなんだ」

 言ってやったとでも言うように、佑也は胸を張る。その様子があまりにも滑稽で、私は見ていられなくなってため息をついた。私が大げさにため息をつくのを見て、佑也はなぜか嬉しそうに笑う。意味がわからない。

「じゃあ…。えっとね、私がもらったのは変身とスターティングオーヴァー、屍者の帝国、それから、アンドロイドは電気羊の夢をみるか、それと…あと一冊はなんだったっけ…」

 あと一冊、自分は何をもらったのだろう?

 つい今朝のことなのに思い出すことができない。自分が誰の本をもらったのか、なんの本をもらったのか。別段おかしな話では無い。ド忘れすることなど誰にでもある。けれど、私は自分のうっかりな思考回路をそんな簡単に割り切れるほど、いい加減で都合の良い部類の人間ではなかった。

 何気無い脳機能のバグに、私は苦しんでしまう。自分ももしかしたらこの惨めなクラスメイトと同じで実際は中身の無いことしか考えていないのかもしれない。自分は何一つとして生み出せていない人間なのかもしれない。

 私が勝手に自己嫌悪のループにはまり始めると、つらつらとタイトルを述べただけの私の言葉を聞いて、佑也はなるほどと頷いた。

「さっぱりわからない。誰って言われても小説家の名前を全然知らないから分からないし、どんなタイトルって言われてもそもそも本を読まないから分からない」

 仕方が無いよなとでも言うように腕を組む佑也に、私はまた一つ大きくため息をついてしまった。

 あかねが居るときは彼女のいいなりになって私に酷い事ばかりする佑也だけれど、彼女が居ないときは占めたとでも言うように異常なくらい私に優しく接してくるし、異常なくらい私に絡んでくる。でも、そんな事があったからって言って彼の私の中での評価は変わらない。

 佑也は私の顔を見て嬉しそうに笑った。そして−

「遅れるぞ。音楽室行こう」

 そう言って私の手を握った。誰のせいで遅れそうになっているんだと思いはしたけれど、口に出さないほうが良いのではと思ったから私は黒い感情を心の奥の方へと押し込んだ。

 

 昼休みが終わるころ、小屋先生が笑顔で教室に入ってきた。その時、私は教室の先生の机の前に置かれていたガスストーブで暖をとりながら本を読んでいた。

 授業が始まるまでまだ少し時間があって、みんなが何事かと先生を凝視していると、彼はパンッと音を立てて両手のひらを合わせ、「みんな、帰る準備だ」と言った。

 どうやら午前中に大雪警報が出て中途下校が決まったようだった。

 皆が帰るために昇降口へと向かう中、私は佑也に呼び止められた。

「何?」

 そっけない言葉だけれど、なるべく冷たい印象を与えないように上がり調子で言った。

「あの…さ、今日なんだけど、遊ばない?」

 少し顔を赤らめながら佑也は言った。照れるように眉尻を下げる彼の顔に苛立ちを覚えた。

「ダメだよ。だって、警報で帰るって事は危ないから外に出るなって事でしょ」

 ハキハキと話すのではなく、少し柔らかい諭すための口調で撫でるように私は言った。けれど、佑也は納得できないとでも言うように顔をしかめた。

「でもっ」

「どっちにしろ」

 しつこい佑也の言葉に被せるように私は話す。人差し指を立て、おどけるようにウインクをして見せながら。

「今日は塾があるから遊べないの」

 佑也はどこか不満が残っているような表情をしていたけれど、私はそれを気にする事なく、彼に手を振ってから背を向けた。

 教室に居る時からなんとなくわかっていたけれど、廊下はかなり騒がしかった。クリスマスの影響と、豪雪による中途下校の影響、明日学校に行けば冬休みになると言う事実の影響があるのだから仕方が無い事だった。

 廊下や昇降口に溜まって一向に帰ろうとしない生徒たちを掻き分けて進み、ようやくの事で長靴を履いて外に出ると、先に外へ向かったクラスメイトや知らない生徒たちが雪玉を投げ合って遊んでいたり、先生と生徒が道の確保を兼ねて雪だるまを作ったりしていた。

 別にこれまで実感していなかったわけでは無いけれど、それらの光景を見て私はもうすっかり冬なんだなと感じた。それどころかもう年の瀬にさしかかろうとしている。今まで大晦日の夜、日付が変わる頃に一緒に初詣へと入っていたお父さんはもういない。私とお父さんが帰ってく頃に合わせておばあちゃんと一緒に甘酒とおしるこを作ってくれていたお母さんはもういない。そんなわかりきった事実に胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。

 さらにお正月になば親戚が家にやって来る。あの気持ちの悪い叔父も例外では無い。叔父は去年なんかはびっくりするような金額をお年玉でくれたけれど、正直苦手でならない。考えれば考えるほど憂鬱だった。

 冷たい雪から身を守るために傘をさす。もう、このまま雪が全てを白く染めてくれないだろうかとさえ思えた。何もかもを忘れられるように、私の記憶や頭の中まで全て真白に染めてくれないだろうかと思ってしまった。

 不意に人混みの中から一人の男の子がはじき出されるように飛び出てきた。その男の子はバランスを崩して「うわっ」と気の無い声で言いながら跪いてしまう。彼が転んでしまっている事に周りの誰も気がつかない。いや、もしかしたらそれは私の勝手な思い込みだったかもしれなかったけれど、それでも、私の感じる限りでは、彼が冷たい地面へと跪いてしまっている事に気がついていたのは私だけだった。

 恥ずかしそうに周りを見回す男の子の顔を見て、私は息が詰まりそうになった。

 心臓が大きく高鳴った。

 何か熱いものが心の奥底から湧き上がってくるような感覚を覚えた。

 頬が熱くなり、その男の子から目を背けたいという衝動と、彼を瞳に焼き付けたいという矛盾する衝動が身を蝕んだ。

 あぁ、この感情ななんなのだろう。そんな事を思ったけれど、私はそれよりも、今目の前にいる少年がいつか私に駆け寄ってきてくれた男の子だという事実のほうが重要だと感じていた。

 私はなんだかおかしくて、小さく笑ってしまった。今度は私の番だ。

 この一度きりではきっと足りないのかもしれない。

 崩れそうな私の心を支えてくれたたった一度の出来事。その恩人とも言える彼に手を差し伸べるのは一度だけではきっと足りない。私がもらった恩を返すには、こんな小さな行動では一生かかっても返せない。

 なら大丈夫。

 この一度だけじゃなくていい。この先、彼が助けを求める事があったのなら。彼が救いの手を待つ事があったのなら。その時は私が手を差し伸べればいい。

 だからまずは今この瞬間、彼への恩返しの一手として、私の言葉にできないような感じた事の無い感情のはけ口として、私は彼に手を差し伸べる。

 私はポケットに入れてあった小さいポーチから絆創膏を取り出し、男の子に歩み寄った。

「大丈夫?絆創膏いる?」

 私に声をかけられ、ハッとした様子で男の子はこちらを見てきた。

「あ…や…だ、大丈夫…だから」

 私が差し出した絆創膏を必要無いと断りながら、男の子は私から目をそらして慌てて立ち上がると、ごめんねと言って去って行ってしまった。

 理由はわからないけれど、私はこの時、異常なほどに心に穴が開いたような感覚を覚えた。


 相変わらず空からは大粒の雪が降っていて、世界はさらに白く染められていく。

 私は夜空の星がより近く感じられるこの季節が大嫌いだ。夏ほどでは無いけれど、別の方向性で確かに嫌っている。大好きな夏への嫌悪が夏を失う事への恐れから来るものだとしたら、冬が嫌いな理由はもっと素直なものだ。

 冬が一年の終わりと始まりを象徴する季節。何かしらの一区切りがあるように感じられてしまう季節だからだ。

 この季節が来るたびに思ってしまう。

 あぁ、きっと、何かが終わるのかもしれない。

 何も終わりやしないのに、私は何かしらを失ってしまうのでは無いだろうかという漠然とした恐怖感に襲われてしまう。

 それだけじゃ無い。終わりを想像させるこの季節は嫌でも死を連想してしまう。私が嫌いで嫌いでどうしようもない、できれば考えたくも無い事象を考えてしまう。

 だから私は冬が嫌いだ。これまでは理由があまり明瞭ではなかったけれど、今となってはしっかりと言葉にする事ができる。不明確な部分が多く、言葉にできない部分は確かにあるけれど、それでも、これまでと比べたらしっかりと言葉で説明する事ができる。

 私は班員が揃うまでの間、手に落ち、体温に当てられて哀れにも溶けてゆく雪の粒をただ眺め続けていた。


 


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