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最後の夢  作者: 人生依存
最後の夢(不完全版)
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第17話『:8月31日』




 夢の世界での8月22日。僕は再び桜花の病室を訪れた。

 桜花は変わらず美しく、冷房の付いていない病室にいるにもかかわらず、額には汗ひとつ書いていなかった。

 この日も桜花が目を覚ますことはなく、僕は桜花のために買ったリンゴとレモンティーを病室の冷蔵庫に入れて彼女の元を後にした。

 冷蔵庫にはラベルの剥がされた水のペットボトルがたくさん入っており、3つずつ買ってきたはずのレモンティーとリンゴは一つずつしか冷蔵庫に入れることができなかった。



 8月31日。午後2時。僕はあかねに呼び出され、桜花との約束の公園に来ていた。錆の目立つ2つ並んだブランコの片方に座り、空を眺めてあかねを待つ。空いたほうのブランコは決して見ない。見てしまえば、桜花のことを思い出して泣いてしまうだろうから。

 

 空を流れる雲を次々と目で追っていく。あの雲は亀に見える。あの雲はメロンパンに見える。おや、この雲は何に似ているだろう?そうやって時間を潰す最中さなか、一本の飛行機雲が視界に入ってきた。先ほどまではただの青空だった場所に、いつの間にか浮かび上がった飛行機雲は、僕の興味を異様に惹きつけた。

 

 瞬きも忘れて飛行機雲を眺めていると、いつの間にか飛行機雲は消えていた。おかしな話だ。

 両の瞳で瞬きもせずに見つめ続けていたはずなのに、確かに僕は認識し続けていたはずなのに、飛行機雲は僕に気がつかれることもなく、その姿を薄青色うすあおいろの空のどこかへと消し去ってしまっていた。


 この時、飛行機雲が姿を消した後の空を見て、僕は飛行機雲に異様に惹かれた理由にようやく気がついた。

 僕はきっと、目に映る飛行機雲に桜花を少しだけ重ねてしまったのだろう。だから異様に惹かれたのだ。だから目が離せなかったのだ。だから瞬きもせずに見つめ続けたのだ。


 確かに僕の瞳に映り続け、僕が近い位置に存在を認識していたはずなのに、知らずのうちに僕から離れていき、ふとした瞬間に突然僕の眼の前から姿を消してしまう。桜花が自殺をして僕の眼の前から姿を消した時と同じではないか。そして再び納得した。“なるほど、確かに似ているな”と


 僕が、ほとんどの雲が姿を消してしまった青空を眺め、“桜花、君はまるで飛行機雲のような人間だったんだ。今になってようやく気がついたよ”などと、後から思い返せば意味のわからない事を考えていると、あかねが佑也と二人で公園にやってきた。


 佑也はあかねに合わせたペースで歩いていたが、あかねは僕と目が合うと佑也を放っておいて足早に僕の元までズカズカと歩いてきた。ゆっくりと気休め程度に動くブランコに僕は身を任せながら、あかねの整った顔を静かに見つめる。

 あかねは僕を少しの間見下ろし、何かを決めたかのように軽く頷き、歯をわずかに食いしばり、僕の胸元に手を伸ばして服をそのか弱い右手で掴んで引っ張った。僕は引っ張られる勢いでそのまま立ち上がる。あかねは僕が立ち上がるのに合わせ、服を放した。


 互いに違った感情を内に秘め、恋に落ちているわけでもないのに無言で見つめ合う。

 無言の均衡を破ったのはあかねだ。彼女はその両目で僕を見据えたまま、少し離れたところで僕たちを見守っていた佑也へと声をかけた。「佑也。遠慮はいらないから早くコイツに教えてやりなさいよ。アンタは前みたいに私たちのストレス発散に使われればいいんだって」


 多分、僕との電話で桜花に対する罪悪感が膨れ上がってしまったあかねは、僕へと危害を加え、僕を下に見ることでなんとか気を紛らわせようと試みたのだろう。罪悪感を消してしまおうと思ったのだろう。自らの感情を本来のものとは別のものだと認識しようとしたのだろう。そして、その手段として佑也による“制裁”を選んだのだろうが、佑也はあかねの言葉で動くことはない。今もあかねを挟んだ僕の向かい側で、気まずそうにあかねを眺めている。


 一向に佑也が動かない事を疑問に思い、あかねは怒りを顔に浮かべながら佑也の方へと振り向く。それと同時に佑也はあかねから目を逸らす。


「ねぇ、佑也、早くコイツに分からせてあげてよ」

「……ごめん、無理なんだ」

「なんで!前みたいに思いっきり殴ればいいのよ!蹴ればいいのよ!早く!」

「……ごめん」

「どうしてなのよ!!!!」


 あかねの怒号が寂しい街の小さな公園に響き渡る。地べたで休憩を取っていたスズメは急いで飛び去り、セミはより一層鳴き声を大きくする。僕らを打ち付ける騒々しさの中で、静かにはっきりと、佑也の声が聞こえた。


「俺は、後悔してるんだ」


 僕はあかねではないから、実際に彼女がどういう感覚を味わったのかは分からない。でもきっと、彼女は時が止まったかのような錯覚を覚えたのだろう。基本的に、どのような物語でも衝撃の比喩は時が止まったかのような錯覚だから、きっと彼女も同じような感覚を味わったはずだ。


 あかねは直ぐに自分の立場が劣勢であると悟り、僕と佑也を交互に見やった後、先ほどよりもより強く歯を食いしばって僕の足を22センチにも満たない小さな靴の踵で思いっきり踏んづけた。痛い。


 グリグリと執拗に踏み続け、僕の様子をあかねは伺う。僕はその様子を見てどうしようかと困惑した。怒るべきなのか、ただ止めるべきなのか、単純に痛いと主張するべきなのか。ただ悩んだ。だが、あかねは僕のその様子を少し違った意味合いで捉えたようで、直ぐに足を退け、僕から距離を置いた。


 その際、あかねは後ろへの注意が削がれてしまっており、佑也にぶつかってしまった。佑也は相変わらず気まずさを全面的に表した表情で、決してあかねと目を合わせまいと視線を逸らし続けている。


 あかねは居ても立っても居られなくなったのか、佑也にぶつかった事を詫びることもせず、「佑也なんか大嫌い!」と吐き捨てながら彼の肩に拳を叩きつけ、そのまま公園から去って行ってしまった。走り去るあかねを悲しそうに目で追いながら、「ごめんな」と僕に向けて佑也は言う。


「いいよ。別に」

「そうか」

「……」

「……」


 再び場は蝉の喧騒に飲まれて行く。僕はあかね達が来る前と同様、ブランコの片側に座る。しばらくして、佑也は僕の右側で乗り手もいないまま寂しく在るブランコに歩み寄った。静かに腰を下ろした佑也の体重にブランコが少しだけ悲鳴をあげる。


「いつ、出発するんだ?」

 佑也は僕に問いた。僕の決め事について。

 佑也は僕の決め事に協力してくれることになっている。だから僕は、偽ることなく佑也の問いに答えた。


「桜花が目を覚ましてから」

「……佐伯が?」

 佑也は何かを思ったようだが、特に僕からの返事を掘り下げるようなことはしなかった。だから僕は言葉を続ける。かつての親友に、今の親友の話をする。


「だって、僕の決め事は桜花との約束の上で成り立っているからね」


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