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最後の夢  作者: 人生依存
最後の夢(不完全版)
13/59

第12話『夢:8月20日』


 



 全ての結論から言ってしまえば、僕と桜花が再び会うことは、彼女が生きている間には叶わなかった。


 僕が彼女を連れ出した日。

 僕が彼女を助け出し、佑也に個人的な制裁を加えた日。

 僕が彼女に邪魔だと言い切られた日。

 僕が久しぶりに普通の夢を見た日。


 あのめまぐるしく時間が過ぎていった1日から数日が経った。

 あの日を境に、彼女から連絡が来ることは一度もなかった。

 僕からの連絡に彼女が反応することもなかった。

 

 あれから僕は、彼女に対して何かをしようとは思えなかった。

 僕の連絡を彼女が無視するようになり、僕は動揺していたのかもしれない。

 もしかしたら、彼女に「邪魔」と言われたことを気にしているのかもしれない。

 それでも時間を無駄にはできないと思い、僕はひたすらお金を稼いだ。

 自分の“決め事”にはお金が必要だったから。



 日が経つにつれて、僕はもうどうでもいいと思うようになっていた。

 もちろん、桜花の事を。


 もう全てどうでもいい。

 だって、僕は佑也に襲われるはずだった桜花を救ったのだ。

 もう桜花の自殺の原因は生まれていないはずだし、彼女は自殺を放棄したはずだ。

 僕は自分にそう言い聞かせて毎日を食いつぶした。


 自分には何もできないのだと言い聞かせ。

 自分はよくやったと言い聞かせ。

 心のどこかでは桜花からの連絡を待っている。



 そうしている間に、夢の中の日付は8月20日になっていた。

 今日は現実の桜花が自殺をした日。

 本来、桜花が自殺をするはずだった日だ。


 でも、彼女が自殺をすることはない。僕が救ったのだから。

 そんなことを未だに自分に言い聞かせていた運命の日の夕方だった。

 僕の携帯が音を立てて震えだした。

 僕に電話をかけてくる人なんて一人しかいない。

 桜花だ。

 

 僕はその時、ベッドに寝転がって本を読んでいた。

 甲高い携帯の着信音を聞きながら、僕はただ“面倒だな”と思った。

 相変わらず不思議な機械音は耳に響いている。


 僕は彼女に会う気力どころか、電話に出る気力すら無かった。

 だから僕は、着信音が途切れるのをただ待った。

 でも、どれだけ待っても携帯の甲高い着信音が途切れることはなかった。

 僕は仕方なく電話を取り、通話を開始する。


「ねぇ、光助君。約束、覚えてる?」

 不思議な切り出し方だった。

「覚えてるよ。でも、二人で長く生きれば約束なんて必要ないよね。」

「えへへ。それ、プロポーズ?」

 電話の向こうで桜花が微笑むのがわかった。


「想像に任せるよ。」

「ねぇ、光助君。」

「……」

「死の定義ってなんだと思う?」

「死の定義…そんなの考えたこともないな。」

 ゆっくりと噛みしめるように、桜花が深く息を吸い込んだ。

 小さく「よしっ」と聞こえる。何かを決心したのだろうか。


「私はね、“死ぬ”っていうのは、心臓が止まって思考が停止することじゃあなくって、世界から忘れ去られた時、その時に死んだことになると思うんだ。これが私の考える死の定義だよ。」

「世界から忘れ去られた時…君らしいね。」

「なんでだかわかる?」

「え…」

  

 僕は戸惑った。

 もちろん、彼女がいきなり死ぬことの定義について語り出したからだ。

 これじゃあまるで、彼女が死を見つめているみたいじゃあないか。


 彼女の突然の話に戸惑った僕は、

「ごめん。わからないや。」

 結局、彼女の質問に答えられなかった。


「あはははは!ごめんね。少し意地悪だったね。」

 彼女は僕が困っていることを分かっているのか、からかうようにケラケラと笑う。

「世界から忘れ去られる時、それはね、私が生きたって証がこの世からなくなる時なんだ。私が生きたことの意義なんてなくなって、私が生きたことの証明も出来なくなる。誰も私の存在を知ることが出来なくなる。」

「……」

「そしたらね、私は生まれ変わっても、自分が生まれ変わった事に気づくための細い糸を見失ってしまうことになるの。そうすると、私という人間を取り巻くリレーはここで終わりを告げてしまう。だから、世界から忘れ去られることが死ぬということなの。」

  

 僕は彼女の論理を聞いてもうまく理解することが出来なかった。

 だって、彼女はまるで、一番怖いことは死ぬことではないと言っているようだったから。

 彼女が一番恐れている世界からの忘却を防ぐため、僕に生き続けろと言っているようだったから。

 こんなの、ずるいじゃあないか……


「ねぇ。桜花。」

「なあに?」

 彼女の高く芯の通った声が脳に響く。

「僕にはよくわからないよ。」

 電話の向こうで一瞬彼女が戸惑うのがわかった。


「ねぇ、光助君。」

「……」

「ありがとう」

 僕は焦った。彼女のからの電話が別れを告げるものにしか聞こえなかったから。

 だから僕は彼女を呼び止めた。


「死なないでよ」

「…私、モネの池って場所に行ってみたいなぁ。あと、ウユニ塩湖だっけ?あの鏡張りの湖」

「ウユニ塩湖は鏡張りっていうわけじゃないよ……空を湖が綺麗に反射しているから、鏡張りに見えないこともないけど」

「そうだっけ?ごめんごめん」

「モネの池はいつでも行けるよ。明日にでも行こう。すぐにいこう」

「……あとは、とにかく色んな国を見てみたいなぁ」

「行こう。色んな国を見に行こう。僕、今お金を貯めてるんだ。月に1度くらいのペースでなら旅行に行ける」

「あ!色んな無人駅も見て回りたいなぁ!外国の無人駅とか、何か格好良くない?」

 

 一向に桜花と僕の会話は噛み合わない。

 桜花を引き止めるための僕の努力を彼女は汲んでくれない。

 まるで、彼女を引き止める僕の手を彼女が振り払っているような。

 まるで、彼女はもう生きることを諦めているような。

 僕はそんな錯覚を覚えた。


「ねぇ。桜花…」

「あとはねぇ〜。あ!もっといっぱいレモンティー飲みたいなぁ。生活する中で飲むものはレモンティーだけで大丈夫だよ私!」

「桜花っ!」

「……少しはミルクティーも飲んでみようかな」

「お願いだから…」

 

 僕は桜花に感情を吐露していた。

 純粋な、嘘偽りのない感情を彼女に投げつけた。

 たった一言を間欠的に。


「僕の前から居なくならないでくれ……」

「……」

 彼女は僕の言葉に返事をしてくれない。

 僕は立て続けに想いをぶつけようとした。

 僕が彼女に対して抱いている真実の想いを。


「僕にはまだ君が必要なんだ。桜花が必要なんだ!だって…だって、僕は君に…」

「ねぇ。光助君」

 だけど、彼女はそんな僕の気持ちを遮り、僕への返答を述べた。短く。

「バイバイ」

「…うん。またね」

「……」

 プツッ……プーッ…プーッ‥

 こうして、僕と彼女の会話は終わった。

 最後の瞬間、桜花は電話の向こうで微笑んでいたきがする。


 僕は電話をまくら脇にそっと置き、右手を瞳の上にかざした。

 そのまま僕は静かに眠った。夢は見なかった。

 この日の夜、桜花の祖母から一通の電話が入った。



 桜花は自殺した。


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