第9話『夢:8月15日(前)』
目がさめると、僕はすぐに日付を確認した。
8月15日。佑也が桜花を襲った日だ。
佑也曰く、桜花が自殺をしたのは今日佑也が桜花を犯したことが原因らしい。
僕はもちろんそんな体験がないからわからないが、強姦というのは被害者を自殺に導くものなのだろうか。
もしも佑也が桜花を襲ったことが、桜花の自殺の本当の理由なら、単純な話、今日1日桜花を佑也から守れば桜花は自殺しないはずだ。
僕は、枕元で充電している携帯電話に手を伸ばし、寂しい電話帳を開いた。
“プルルルルッ”と、相手を呼び出すコール音がなんども繰り返し流れる。
3回ほど流れたのち、相手は電話に出た。
「もしもし?今日の予定全部断ってよ」
僕は桜花を無理矢理連れ出し、彼女と共に隣県へと向かった。
向かった場所に何があるわけでもない。
今日1日、少しでも佑也やあかねから桜花の存在を引き離しておきたかった。
そのために隣県の田舎に向かった。
別に隣県である必要はない、ただ、あまり遠くに行こうとすると桜花は拒否するだろうし、かといって県内の田舎に行くのは僕が落ち着かなかった。
それ故の隣県という選択だった。
目的地はもう決まっている。そこはとにかく田舎だった。
わざわざそこへ向かう理由はないのだが、しいて言うのであれば彼女からの手紙に書かれていた無人駅巡りをするにはもってこいだから、僕はその場所を選んだ。
僕は決して多くはない貯金を切り崩し、桜花と共に数日は帰らないつもりで自分たちの街を後にした。
『次は〜成竹。成竹です。お降りの際は荷物の忘れ物等がないようにお気をつけください。右側の扉が開きます』
電車の車掌のアナウンスを聞きながら、僕は自分の左隣に座って騒いでいる桜花の言葉を半分聞き流していた。
「光助くん!光助くん!すごいよ!見て!ほら!」
はじめは無理矢理連れてこられたことに不満を漏らしていた彼女だが、今はご覧の通り、うるさいほどだ。
「あ!川だ!綺麗だな。」
「そうだね…」
「え〜何その反応。君はつまらないなぁ」
どうして僕が今こうして彼女の話を流しているかというとだが。
「だって、さっきから山と川しか見えていないじゃないか!しかも君は山や川を見るたびに同じことを言ってるよね!僕はどう反応すればいいの?!」
そう。さっきから山と川しか見えないのだ。
どこにいっても山。山。山。川。川。川。
彼女はそんな光景を見て逐一反応しているのだ。
最初の方は僕も彼女の発言に反応していた。
心から感動するほどに、その自然の風景は綺麗だった。
だけど、いくら綺麗なものだとしても、それを何度も繰り返し見ると、感動というのは薄れてしまうものなのだ。
僕は電車が速度を落とし始めた事を確認すると、足元に置いてあるカバンを持ち、桜花の方を見ずに「降りるよ」と言って、長椅子から立ち上がる。
「あ、待ってよ。」と言いながらカバンを拾い上げる彼女を一瞥し、開く扉から流れ込む生暖かい風に眉を寄せる。
今日は8月15日。
彼女の自殺の原因が生まれた、暑い夏の1日だ。
「わぁ!無人駅だ!ザ・無人駅って感じだね!よいしょっ!」
そう言いながら、立ち幅跳びの要領で桜花は電車から降りてくる。
真っ白なワンピースの裾を翻しながら電車から降りる彼女の顔は、僕が今まで見た事無いほど嬉しそうな顔をしていた。
「本当に無人駅が好きなんだね」
僕は彼女の喜ぶ顔を見て、今日彼女を連れ出して本当に良かったと実感した。
「うん!私、多分本を読むのと同じくらい無人駅が好きだよ」
「無人駅の何がそんなに好きなの?」
「何が、かぁ・・・」
桜花は少し困ったように右手で顎をさすり、そのまま歩いてホームに備え付けられたボロボロのベンチに腰を下ろした。
桜花は「説明が難しいから少し遠まわしの話をするけどいい?」と言いながら、自分の隣をトントンと叩く。
座れということだろうか。
桜花の隣に僕が座ると、彼女はその様子を見て軽く微笑む。哀しそうに。
そして、ゆっくりと口を開いて「私はね、多分この世界の人間じゃないんだ」と、真剣な顔で言い放った。
この話、聞く意味はあるんだろうか……
「私ね、いつも違和感を感じているんだ。簡単な話、間違った場所にパズルのピースをはめ込んでいるような違和感、いや、不快感かな」
そう言いながら、彼女は足元を歩く蟻の行列を目で追っていく。
「昔から、なんで不快感を感じるのか全くと言っていいほどわからなかったの。無知な私はそれが当然のことだと思っていたんだ。でも、私は小学生の時に違和感の正体を知ることになったの。何がキッカケだと思う?いや、どうして知ることになったと思う?」
などという彼女の難しい問いに、僕は「本を読んで自分の不快感が消えたから?」と、なんとなく推測したことを口に出す。
すると、桜花は少し面食らった顔をした後、今度は心底嬉しそうに微笑み、「流石だね」と言った。彼女は立ち上がってまっすぐ線路に向かって歩いていく。
「私がはじめて本を読んだのは小学校二年生の時かな。両親が死んでしまった哀しさと孤独感、世界に感じていた不快感を紛らわす方法を探していた時に、祖母に渡された父親の本が最初の一冊だったな」
桜花は一度言葉を区切り、ホームから線路を見下ろして一人頷いた。
何に納得したのか分からないが、桜花は真っ白なワンピースが汚れてしまうのも気にせずにホームの隅に座りこみ、再び言葉を紡ぎ始めた。
「私がはじめて手にした本はね、結構短めの小説だったんだ。その本では、主人公の女子高校生が自身の二次元上の分身の価値を上げることで、実際の自分の価値を上げようと努力したんだ。でも、彼女の努力はある日突然無駄になって、彼女は自分がやっていったことの無意味さを知るんだ」
「………」
「結局のところ、二次元上の分身と三次元上の自分が同じ価値であることなんてあるはずないのに、彼女はそれに気づけなかったんだよ。彼女は二次元上の自分が本質的に本当の自分だと思っていたからね」
僕は彼女が言い終わるまで無言で話を聞き続けた。
「私はね、はじめてこの本を読んだ時に気付いたんだよ。もしかしたら、私も彼女と同じ間違いを犯しているのかもしれない。私は、今の世界にいる私を本当の私だと思っているだけで、実際のところ本当の私は別の次元、別の世界にいるんじゃないかって考えたの」
一度だけ大きく深呼吸をし、軽く吐き捨てるように「2次元上の自分も同じ勘違いをしているはずだよね。それに、今の私たちが3次元である事の証明なんてできないよね」とつぶやく。
僕が彼女の発言を理解できずに戸惑っていると、桜花は「ごめんごめん」と笑い、話の続きを語った。
「そして、私の考えを裏付けたのは君の言った通りの事なんだよ。本を読んでいる間だけは世界に不快感を感じずに済んだの。だから、私は多分、お話や夢のような、偶像の、ただの作り物の世界の人間なんだよ。」
僕は正直、桜花の言っていることが終始よくわからなかった。
彼女の言っていることは彼女の価値観に照らし合わせれば正しいのかもしれない。
でも、世間から見れば、彼女の考えは異常なのだ。多分。
僕の理解力が乏しいのかもしれない。僕の想像力が足りないのかもしれない。
それでも確かに、僕の理解が間違っていなければ彼女の発言は殺人犯が稀に述べる「世界はゲームだ」と言った旨の発言に近い。危険だ。
「なるほど、君が自分自身を別の世界の人間だと感じている理由はわかったよ。でも、この話と無人駅が好きな理由ってどう関係があるの?」
「光助君は気がはやいなぁ。まだ話の途中だよ。」
桜花は線路から視線を外し、僕の方を横目で見ながら頬を膨らませた。
「あのね、私がこの世界に不快感を持っていることはわかってくれたよね。私が無人駅を好きなのはね、この光景が私の世界の光景に似ているからなんだ。」
「無人駅が詩的な光景だってこと?」
「そういう解釈で構わないよ。あと、私は確かに無人駅を見るのは好きだけど、君は少し勘違いをしているよ。」
やっぱり、桜花の言っていることは分からない。
「つまり?」
「私は『無人駅が』好きなわけじゃなくて、廃退的な光景が好きなんだ。無人駅よりも廃線の線路や駅を回る方が好きだし、廃墟や廃村を歩いて回るのも無人駅より好きなんだ。私もこの子たちも同じように世界には必要とされていないから、似た者同士惹かれ合ってるのかもね。」
桜花は「よいしょっ・・!」と言いながら線路上に下りていく。
「ねぇ。そんなところにいたら危ないよ。」
「平気だよ。ここも私も同じで、世界から諦められているような、この世界とは少しずれているような存在だから。」
「そういう話じゃないよ。電車が来たら危ないって話だよ。」
「あはは!そのくらいは気をつけてるから平気だよ。」
桜花は高らかに笑う。
線路のレールの上を平均台を渡るようにフラフラと進んで行く。
彼女には何を言っても無駄なのかもしれない。
「・・・もう行こうよ。」
「いいよ!どこに行くの?」
「まだ決めてないよ。」
「私、そういうのも好きだなぁ。世界から必要とされていない敗退的な場所を世界から必要とされていない、いや、世界を必要としていない人間が歩くって、なんだか素敵だよね。」
彼女はそう言いながら、自分を必要のない人間だと卑下する。
少なくとも、僕は彼女と過ごすことで幸せを感じているし、救われている。
さらに言えば“憧れている”。
彼女は必要のない人間ではないのだ。
「少なくとも、この駅と線路は地元民からは必要とされているし、君も・・・・」
「私も?」
「なんでもない。さ、とりあえず電車が走って行った方に歩いてみようよ。」
自らの失言を隠すように、僕は桜花の返事を待たずに早足で歩き出した。
「待ってよ、光助くん!」と言いながら後を追ってきた桜花は改札を通り、道路を歩く僕の隣に並ぶなり「ねぇ。さっき何って言おうとしたの?私もってどういうこと?」としつこく聞いてくる。
「ねぇ。」
僕は彼女を静かにさせるためにも話をリセットした。
「なぁに?」
桜花は嬉しそうに返事を返してくれる。
「死なないでね。」
僕は本当に思っている気持ちを彼女に伝えた。
彼女は僕の言葉に一瞬戸惑ったが、なんとか微笑みながら「死なないよ。」と返してくれる。
彼女の口が無言のまま「たぶんね」と動くのを、僕は気がつくことができなかった。




