8.真理の色は青
灼熱に白く燃え染まった火槍を逆手の掌に浮かべ、振り抜いたゴウベンは一瞬の光にしてそれを投擲する。
目標となったのはまたもや、この木星だった。
太陽系で第二の太陽ともされる巨大天体。
白い一筋の光となった火槍はその天体の地核へと投擲された瞬間に辿り着いた。
それは貫くことなく地核で止まり、それを依代として自分の創られた目的に沿って忠実に与えられた役割を実行する。
「新宇宙の起源点」となること。
それが神ゴウベンより火槍ホスケイトスに与えられた役割だった。
火槍はそれをいとも容易く実行する。
所要時間は一秒もかからない。
それは刹那の事だった。
宇宙を更に新しく上書きする光を超え、位置を超えた、白色の事。
それは誰もが自覚することなく実行される。
大丈夫。
誰も痛みは感じない。
痛みを感じる間もなく消えた世界は新しく始まり悠久の時間を奏でる瞬間がやってくる。
その白い「事」によってすべてが包まれ、膨張し増大して、宇宙を超えた超温度で全てが上書きされようとした時。
〝――あらゆるままに……あれッ――〟
その言葉と共に、横へ伸ばされた青い光の先に木星からの白い全てが吸い込まれた。
青い光の一閃は全ての元凶のそれを呑みこむと軌跡を残して消えていく。
はぁはぁと息せき切る拍動。
横に翳したのは青く透き通った刀身の剣。
立ったのは太陽の天頂、太陽系の中心、その直上の座。
「真理学……到達言語……」
呟いたのは神の娘。
茫然とそれを見上げたのは宇宙起源を仕掛けた神も含めた宇宙空間に身を任せた全ての生命。
視線を集めるその先にあったのは赤茶けて古びた本。
それを片手に携える一人の少年。
纏うのは真理。
真理の色は、青。
その青く透き通った真理の光は、誰の心にも印象付ける。
あの白い「事」を止めたのはこの少年の青だと。
「……半野木……昇……」
それは誰かの呟きの声。
半野木昇。
それこそがあの始まりにして終わりの顕現である大いなる宇宙の新宇宙起源を止めた少年の名だった。
役目を終えて青い剣が砕けた自分の手を見て少年も驚いていた。
少年は想像もできないほどの力が渦巻く宇宙の起源、宇宙開始起源点を阻止したのだから。
「……事紀……」
それはまさに遠く神の娘の声だった。
「ク……」
肩を震わせたのはゴウベンだった。
「くくく……」
そして発狂したように高らかに哂いあげる神。
「……すごいな君は……!
私でもかれこれそこに至るまでに二十億年はかかった叡智の境地に、君は真理を他者から与えられたとはいえ、ものの四十分足らずでその領域にまで辿り着いた……っ!」
ゴウベンは昇に目を剥いた。
「今、君の行ったものが何かわかるかい?
それは君たちの言葉で全域事象紀録領域などと呼ばれているものだっ!
それを君は開いた!
この宇宙の未来の終りから始まる過去よりの現在に到る今!
つまりはあの最も一番過去に起こっただろう原初の開闢でさえ最も一番未来の果ての先の終りで起こるだろうただそれだけの事象、どこにでもありふれた記録対象点の一つとしてしか見なさない、あらゆるその全ての出来事を取り纏め、永劫的に取り閉まっている絶対領域法則!
それが今、君のその真理の言葉で開いた全域事象紀録領域!
その……本当の名……。
「事紀」だ!」
神は狂喜せずにはいられなかった。
「この世界で起こる出来事、事象は全て絶対的に発生する位置、規模、タイミング、方向性、目的、結果から全てに到るまですでに事紀によってあらかじめに記録されており、それに乗っ取って現実に起こされ進められ決定、固定されて過ぎ去っていく。
それは私のこの行いも例外ではない。
これらは全て全域事象紀録領域、つまり事紀にあらかじめ記された確実にこのタイミングで起こる「事」として過去から未来の先につながるまたしてもの過去より決められた消えない紀録という形で刻まれている。
君たちがおそらく神と呼ぶだろうこの私でさえ、その領域には絶対に踏み込めない。
踏み込めないんだよ。
今まで起こった「事」もこれから起こる「事」もすべて、もうこの時点で決められている。
しかし私は過去は知るが未来は知らない。
過去より前の未来の先までは辿り着いているしそれがこれより未来の予想される姿とも結び付いてはいるが、その間の現象は覗けない。
その空白の狭間には私でも途方に暮れるほどの大きな隔たりがある。
喜ぶといい。
私の見立てではその間に違う種の原初開闢が少なくとも二回は発生している。
これからの未来も盤石だ。
そこに君たちがいる保証はどこにもないがね」
ゴウベンはくつくつと嗤う。
「私にだってそこまでを覗くほどの容量もない。
惑星を創り、宇宙起源を興せる私でさえ、事紀を書き換えるどころか事紀に触れることすら適わない。
なぜだかわかるかい?」
神の問いに答えられる者は誰もいない。
「事紀に触れたものは全て事紀に取り込まれ止まるからだ。
宇宙起源という現象も、私という存在も例外なくだ。
真理を言えば、宇宙は原初の開闢によって増大しており、世界は事紀によって減退している。
エネルギー保存の法則の中で変換時に消費されたエネルギーの消えていく先が事紀であり、それを補完するように補給しているのが原初開闢だからだ。
そのバランスこそがエネルギー保存の法則を見せかけている。
そのバランスは常にほぼ1:1だが、その時に開く門の性質に君たちが宇宙を増大ではなく膨張と錯覚した原因がある。
原初開闢と事紀にはそれぞれ規模が違えど門があり、さらにそれらの門の開閉方式には総じて全てが引き戸として例えるのが一番近い。
だからこそ、それらを開ける難易度は明らかに原初の開闢の方が容易いことが分かるだろう。
出口と入口の性質と同じだ。
開けるときは力の向かってくる門が開けやすく。
閉じるときは力の出ていく門が閉めやすい。
気づいたかな?
さも当然のように釣り合いを見せかけるエネルギーバランスの裏で、原初の開闢から事紀へと流れきれない僅かに増えていく熱量を持たない「事」だけがこの宇宙という世界を加速させ満たしていく事に。
その「事」が貯まった瞬間に待ち受ける現象が宇宙再起源だ。
だからこそ、その「事」に精通した事学に代表される地球で栄えた最初の文明リ・クァミスの使う魔法やその名残であるヴァルディラ紀の記学、魔術、更にはその狭間にあった覇都ギガリスの誇る真理学から発せられる超能力の発生起点、
その全てが原初開闢を強制的に開けた人為の門そのものにあると言っていい。
そしてその対極に位置するのが事紀の門。
自然なる原初の開闢点の時にのみ、その開放口径を何物をも凌駕して開く絶対の門だ。
いま君が開けたのが、その門だよ。自然開門時とは比べ物にならないほど遥かに小規模なものではあるがね。
しかし小規模とはいえ事紀は事紀だ。それは元来、門単体だけで開けることは絶対に出来ない。事紀とは物が消えていく先のただの行き場でしかないからだ。
だが君はそれを開けた。
しかも開けた君は取り込まれてもいないし消えてもいない。
なぜだと思う?
それは君が開けようとして触れたのが門という空間の方だったからだよ。
だから事紀に取り込まれることはなかった。
そして事紀は開けるだけなら触れたことにはならない。
事紀は門ではなくその内部の領域にある。
だから原初の開闢の基点自体もその時に凌駕して開かれる事紀自体に取り込まれることはない。
原初の開闢もまた事紀と表裏をなす門の内側の領域にあるのだから。
取り込まれるのは今までに溜められ、そして全てを塗り替える為に起こされた「事」
ただそれだけ……。
だがね。
だが、私の仲間二人はその取り込むモノが何かさえ分からなかった時代にそれを開け、さらに触れてしまい飲み込まれ止まってしまったよ。
止まるとは、つまり触れたものが全て止まり事紀と一体化になり「止まったという結果」のみを与えられた「事」だけにされるということだ。
それは止であり死をも意味する。
事紀は生命ではないんだ。
ましてや生物でもない。
意思なんてありはしないし自律的な思考を持つ行動存在ですらない。
ただの止まった性質。
ただの閉ざされた法則。
しかし止まっているが故にあらゆる物に「動き」と「止」いうものを与える世界の根幹そのものと言っていい土台だ。
そこには善意も悪意も力もない。
あるのはただ出来「事」だけ」
神の目はただ悲しく足元を見る。
「事紀に触れて無事でいることができるのはね。
この世に二つしかありはしないんだ。
一つは最初から「止まっている」空間。
そしてもう一つが君たちのその体というものに精神、魂とでも呼ぶべき自覚意思を縫いとめている位置エネルギーだ。
しかも触れるだけならまだしもその事紀をなぞることが許されているのはただの一つしかありはしない」
神は云う。
「位置エネルギーだよ。
唯一、事紀に触れそれをなぞることができるのは位置エネルギーだけなんだ。
昔懐かしいレコードプレーヤーに使われるレコードディスクを思い浮かべればいい。
事紀というレコードディスクをなぞれるものは唯一、それを読み込む針である位置エネルギーだけであり、位置エネルギーを事紀から守るのはそのなぞりから発生する「事」に他ならない。
君たちの意思、自覚を君たち足らしめているものこそが君たちのその位置に占める位置エネルギーであり、その位置エネルギーに縫いとめられたものが君たちの今を実感している魂とでもいえるその意思というものだ」
神は昇を伺う。
「もう……わかるね……?」
そして云う。
「事紀を回すレコードプレーヤーこそが世界そのものであり、君たちはその事紀に記録されて発声された「事」それだけでしかない」
最後に訪れたのは断言だった。
「だから私たちの過去も未来もすでに決定されている。
そこには足掻きといった概念すら必要ない。
もし今というものが気に入らなければ、今! ここで変わるしかないのだから!」
断言する神を茫然と見る昇は恐る恐る口を開いた。
「だから、あなたはこんなことを起こした……?」
ゴウベンはゆっくりと首振った。
「違うよ。君がいたからだ。
君がいたから、
君がここまで育ったから、
私が今日、ここでこうやって行動に移した。
君が、私のこの世界でどうするのかが見てみたかったから」
「……で?……、どうでした? 僕のここまでの行動で満足してくれましたか……?」
ゴウベンは満面の笑みを浮かべる。
「十分だったよ。
本来であれば、一年かかっても事紀に辿り着くかどうかさえ怪しいものだったはずなのに。
いざ蓋を開けてみれば、君は私のその予想さえ覆して見せた」
「一年後に宇宙起源を仕掛けるつもりだった?」
「そうだよ。罠としてね。
そこで君は死ぬはずだった。
この世界と引き換えに。
この事紀開放を君の位置エネルギーに固定して君を人柱という形にまで追い込み決定づけさせるつもりだったんだが、他にもっと相応しい終末の光景を思いついてしまった。
だから一番最初に考えていた奸計では君の現代世界は巻き込むつもりではなかったんだが。
気が変わった。
それはまた別の話になった。
そしてそれは正解だった。
君はこの私でも驚くほどの短時間であの宇宙起源を止め、さらに事紀にまで辿り着いて見せた。
君だけの真理の言葉で!」
「……これからこの世界はどうなるんですか……?」
「それも君次第だ。
私のこれからの悪企みを教えてあげよう。昇くん。
そして、ここに宣言しておく。
君には死んでもらう。
秘された場所で、華々しく、
それも私も含めた全世界の人々の心に様々な後味を残す最高にして最悪の死の瞬間をね。
そして予言しよう。
それほど無残で残酷で残虐な死が訪れる君だが、君はその時、恐怖も絶望も憤怒も激痛も何の負の感情も抱いてはいないだろう。
それはまさに人類にとっては恐怖の終末の光景以外の何物でもないが、君にとってはただの一つの世界の姿にしか見えていないからだ。
世界や君の仲間たちはこれを泣き叫んで止めるだろうが、君は一つの意思だけをもってこれに立ち向かうだろう。
私は君を理解している。
君は絶対に「世界に立ち向かおう」とする。
それは君が……
君自身の心が「あらゆるがままにある」ことを信条とし、更に「他を理解しつつ否定する」ことができる人間だからだ。
だから……」
「……だから僕も……、あらゆるままに……あなたを理解しつつ否定して見せるっ……ってそう言いたいんですかッ?」
昇が真理の青を掴んで抜き放ち、ゴウベンへと跳んだ。
纏った真理の青い光は青い衣。
着ていた制服の色も全て真理開放効果によって青の色に塗り替えられている。
その姿でもって昇は再び神に挑んだ。
それを受けて立つのは喜びを抑えきれない神ゴウベン。
「あなたはさっき僕が期待外れだったと言った。それなら今はどうですかッ?」
昇は手に持つ青い真理を剣にして構えて神へと向かう。
そして反対の手に収まった本の中で光学表示の文字を次々に切り替えていく。
機動魔導が相転移機動となり、攻撃方法に荷電粒子魔動を選び決定させる。
「付随、剣界!」
唱えた言葉から周囲に数々の剣を出現させ、相転移機動を伴ってゴウベンに向かって解き放つ!
「剣界で創りだした固体物体に真理機動、攻撃魔動を付随させ、それらを機導攻撃端末にしたっ……」
真理学戦闘における宇宙領域展開。
「全周囲攻撃……!」
相転移機動と全周囲攻撃を重ね合わせた太陽系を駆け巡る青と闇が光る軌跡の中。
それらは全て。
あらゆるままに転星や地球の空を昼夜問わずに絶え間ない二色の流星雨を魅せる。
神と少年は、全てを魅了し、それぞれが数多の光となって太陽系の天地を幾度も交差し駆け巡っていた。