4.世を総べるに足り得る業を弁える者
「ここで真理を使ったのは誰だ?」
空高くに映える青い惑星、母星ギガリスを背後にして、空に浮かぶ金髪の黒い少年が下界を見下ろして言った。
「君か?」
少年が真理を視線で差して言う。
「いや……違うな。君というお前は人間じゃない。生命ある真理媒体か……!」
眉をひそめる少年に真理も頷く。
「よくわかりましたね。そうです。私は真理の塊、真理生命。あなた達、人とは似て非なる生命を持つ者」
「仕組まれた命。だがそんなものは何処にでもいる……か」
その目は今ここにいる人類全体に向けられている。
「そんなことどうでもいいわ、シイル。さっさとさっきの真理反応の出所である真理を行使した人間を探さないと」
銀髪の長い黒服の少女が言った。
その指摘で、下顎に手を添え考える風のシイルと呼ばれた少年は他を探す。
「なら誰だ? 先ほどのエネルギー相転移の初動を行った人間は? 確かに反応はここだった。それがなぜ今になって消える? 誰かが妨害しているというのか?」
「真理妨害? ……まさか、……!」
「もしくは真理学迷彩か……。だがそれでもこのギガリスを欺くほどのものなど……!」
だがシイルの目は見逃さなかった。
真理から離れた場所、本を拡げる後姿の少年の前で、倒れ込む何かが消えていく様を。
「そこか……!」
それはエネルギー相転移によって物質があらゆるエネルギーに相転移され姿を消して、どこか別の場所に転送される現象。
「相転移移送! 見つけたぞっ!」
その後に当人の名前を言おうとしたが、やはりその少年を透視(真理学解析)することができない。
「迷彩でもないのか? 私の透視力そのものが無反応に通り過ぎていく?」
「半野木昇をどうするつもりですか?」
真理が聞く。
「当然、私たちの星に丁重に連れていくつもりだ。彼は私たちの父である可能性があるのだから!」
「ただの真理反応でよくもそこまで」
真理は笑う。くつくつと嗤う。
「何が可笑しい?」
「だって、あなた達をあそこに呼んだのはそこの半野木昇ではないんですもの。これが笑わずにいられますか?」
そして続ける。
「しかもあなた達をこの時代、あの惑星に呼んだのは父ではありません。母ですよ。せっかくですからその名前を教えて差し上げましょうか? シイル? トハイエズ・シイル」
「俺の名を……?」
驚くシイルに、北から赤い流星のように飛び込んできた思わぬ斬撃が切りかかる。
「なっ?」
反射的に生身の腕で透き通った赤剣の剣撃を受けきった覇星の少年は、ぶつかってきた航空魔術の推力ごと陸地を抜け海を抜け、南の彼方へ亜光速で押し出される。
「だ……誰だ?」
風を受ける超高速の中、腕越しから見た赤い剣を持つ者。
「我が名は許約者ッ。この世に存在する円虹! その十座を占める許約者が一人、赤の座、火の許約者っ……! クベル・ファーチ・ヴライドッ!」
その名、尊称。
赤の許約者、クベルが赤い宝石剣の豪奢な柄をさらに握りしめ魔術の出力を上昇させる。
その握力に比例して背後に展開する航空魔方陣が排口方陣を大きくした。
「航空魔術っ……魔術! 我らが遺した、朽ちゆく未来の世界の住人かっ!」
「俺たちの古代にして太古。その伝承にのみ噂される覇都、ギガリスで間違いないのかっ?」
「その通りだ。我々は覇都でありその惑星の世界、覇星である覇世ギガリス! そのギガリスよりの使徒!」
「なら見せてもらおう! 我ら許約であり円虹の祖! そのギガリスの力を!」
「ふ……。で、あるならば……この大地は狭すぎるな? そう思うだろう?」
覇星の少年の眼差しは鋭い。
「展開させる! 空調魔術、機動魔術を裏魔術規模! 航空魔術管制切り替え! 許約剣、第一解放! 発動ッ! 星間魔動ッ!」
唱えたクベルが展開させたのは小規模な地球大気を光学魔方陣で纏わせた星間機動魔術。
「宇宙間魔術……か、いいな。やはりこういう戦いは宇宙でなければ」
二人を巻き込んだ赤い魔術と黒銀色の真理の光が遥か高い宙へ瞬く間に伸びていくのが見える。
直後、昼の空の彼方にいくつも発生する、数えきれない太陽の数々。
「派手にやるわね。いくら宇宙空間でもテラトン級の熱核融合爆発を数百カ所で連続起爆なんて……」
空を見上げて平然と言ってのけるギガリスの若き双璧を成す片割れの少女が言う。
「余裕ですね。あれを起こしたのは火の許約者、クベル・オルカノですよ?」
含みを持たせる真理だが覇星の少女は歯牙にもかけない。
「別に今さら熱核融合反応ぐらいで慌てふためいたりしないわよ。太陽がもう一つ現われたわけでもあるまいし。そんなこと言ってたらあの天然の魔動媒体でもある太陽の挙動でさえ常にビクついてなくちゃいけないでしょ?」
そして隣の章子を見る。
「核を否定するのは勝手だけど、その一番身近な核である太陽の恩恵まで忘れてそんなこと言ってるのなら本当に滑稽な文明ね」
それは紛れもなく自分たちに向けられた言葉なのだということを章子は自覚した。
「科学水準が低いと思考力まで低くなるというのは本当なのかしら?」
下唇に指を当てて真理の前に降り立つ。
「それで? 男の子たちが宇宙で熱い熱血バトルを繰り広げている間に教えてもらいましょうか? 私たちをこの時代、この世界に私たちの惑星ごと出現させたのは誰?」
覇星の少女のその小首を傾げた問いに答えたのは、しかし真理ではなかった。
しかも、それは言葉ですらなかった。
答えたのは音。
それも開げられた本の頁をゆっくりとめくった音だった。
その場にいた誰もがその音の発信源に視線を集めた。
音がしたのは昇の背後。
捲られた本は黒茶けて古びた本。
それを手に持つ人物は黒い闇を、フードのように被りローブのように身に纏う背の高い男だった。
「お母さん……」
言ったのは真理だった。
黒い闇の男を明らかに母と呼んだ少女。
少女のその瞳は驚きに満ちている。
振り向いたのは半野木昇だった。
堀の深い眼窩の中で燈る赤い光点の双眸が昇の視線とかち合う。
男は言った。
「半野木……昇くんだね?」
その声は何処までも低く深く世界に響いた。
目の前に立つ昇は何も声を上げられない。
黒い男が纏う空気は明らかにあらゆる生命というものを超越していた。
まるで宇宙そのものが目の前に立ちはだかっているようかの様だった。
その思考が読まれたのか、男が肩で笑った。
「まずは名乗ろうか……。私はゴウベン。ヨスベル・ニタリエル・ゴウベン。……今の君ならこれだけ言えば十分だろう。……ね?」
やさしく問いかける男だが、その風貌からは恐怖しか感じない。
「あなたが……」
「ん……」
「あなたが……この世界を……?」
辛うじて出た言葉をその男ゴウベンが引き継ぐ。
「そうだよ。私がこの世界をこの形にした。そして彼らの世界をあの位置に形にさせたのも私だ。全ての現象はこの私が起因としている」
「あなたが……この世界を……」
昇は繰り返す。
「あなたがこの世界をこんな風にしたのかっ!」
湧き上がってきたのは怒りだった。
「いいだろう……」
言って片手に開げられた本。
「君が頭を冷やすまで相手になってあげよう」
開かれた本に黒い光の闇が魔法陣の様に現われ回転する。
「できるね……。そう……、まずはエネルギー相転移だ。君とこの私が合いまみえるにはこの太陽系でも庭にしかならない」
激しい怒りの衝動と得たいの知れない人物に対する怯えの感情が綯い交ぜになった半野木昇の持つ赤茶けた本の周囲にも青い光の罫線が灯りゆっくりと回転する。
「ちゃんと飛ぶんだよ。鬼ごっこだ。まずは私が君を追いかける番だね……いくよ」
黒いゴウベンが昇に踏み込み、そこで二人の姿が一瞬で消えた。
「真理……」
闇と青の軌跡を残して消えた二人を見届け、脇に立つオリルが真理に声を掛ける。
「ええ。咲川章子、準備を……」
「え?」
「始まりますよ。私たちも上がりましょう」
「上がる?」
「ええ、宇宙へです。母、ゴウベンと半野木昇の舞台はこの地上からすでに太陽系全周に移動しました。俗に言う真理学戦闘です。
私たち、とくにあなたは見ておいた方がいい。」
真理の視線はまっすぐに章子を捉えている。
「あなたと同じ世界の、同じ歳の少年が何を考え、何を見て、そして何をするのかを」
真理の言葉とともに章子たち三人の周囲にも白い光が紋式となって現われ、まるで何かの始まりを予言するかのようにゆっくりと回り始めていた。