3.覇星よりの使者
真理の放った言葉は章子と昇を茫然とさせる。
「時間はありませんよ」
しかし、真理の続けたその言葉だけは心底、真実なのだろうとも章子は思った。
事実、確かに現われたからだ。
目の前の他校の校舎と校庭の境、校庭より一段コンクリート壁で高くなった場所の中間付近。
そこに突然、現われたのが次の竜、小型の赤い子竜だった。
ピエェという雛鳥にも似た啼き声で身の丈に合った小さい翼をめい一杯に広げ、辺りを見回しながらフヨフヨと空中に浮いている。
その幼獣の愛くるしい仕草とは裏腹にその姿は、誰もが空想する想像通りの幻想上の生物、竜だった。
「……昇……くん……?」
ふいに近くから声がしたのが分かった。
章子が振り向くと昇もその方向に向いたのが分かる。
視線の先にいたのはこの学校の制服の女子生徒だった。
おどおどした表情ではあるが、こちらを、特に半野木昇を心配そうに伺っている。
「照山……さん?」
なんでここにいるんだという顔を昇はした。
「照山……、照山紅葉……」
真理が確認するように呟く。
「半野木昇、ここは危ないと伝えた方がいい」
「そんなこと……言われなくったって……!」
真理に言われるまでもなく昇が紅葉に駆け寄ろうとした時だった。
きっとそれがいけなかった。
昇の動きを敏感に反応して、遠く離れて浮いていた小竜が真っ先に向かってきたのだ。
その口に篭れ出る炎を覗かせて。
気づいた時には全てが遅かった。
章子たちの前に滑り込んだ竜が小さい口をめい一杯に開けてその体躯に似合わない大火炎を吐き出したのだ。
火炎の中には揮発性の高い爆発物質が含まれていたのか炎を巻き込んだそばからさらに爆発的な爆煙を巻き上げていく。
その黒い爆煙の炎は瞬く間に章子たちを呑みこみ校庭の半分を燃え上がらせた。
その様を見て小竜が子供のいたずらが成功したように甲高く笑う。
校舎の高くから見下ろしていた教室の窓の生徒たちはその絶望的な光景を目のあたりにしている。
その時だった。
巻き起こる爆炎を抜けて一人の少年が飛び出した。
半野木昇だった。
昇は追撃のために吐き出された数々の火球もそのままに一足強く地面を踏み切ると、炎を吐き出した小竜との距離を一気に詰めて掴んだ鎌首からそのまま校舎下のコンクリート壁に投げつけて叩きこんでしまった。
「どうして……こうなるんだっ!」
はぁはぁと息せき切る昇がゆっくりと壁際に倒れ込んだまま、ふるふると震え動かなくなった小竜に近づいていく。
赤い小竜は今まさにこと切れるような弱々しい声でピーピーとだけ鳴いていた。
それを昇はじっと見つめ佇んでいる。
「その子竜をどうする気ですか?」
炎と煙の晴れていく校庭から真理の声が聞こえてきた。
そばには、やはり何処もケガをしていない咲川章子やオリル、照山紅葉もいる。
その他、他の炎に巻かれたと思った大勢の生徒、教師たちもどこにも怪我などはしていないようだった。
「どうする?」
真理に聞かれた昇は自問した。
「どうするって、どうすればいいんだろうな……」
そして、いつの間にか手に持っていた赤茶けて古びた厚表紙の本に目を向ける。
「それがあなたの武器ですか……?」
聞いてくる真理に昇は茫然と首を傾げた。
「武器?……どうなんだろう……。よく……わからない」
そして半信半疑で目の前に持ってきた本の一ページ目をぺらりと捲ると軽く目を通してみる。
しかしそのページを捲ってみた昇は顔を顰めた。
見てみたページは何かが書かれているようで何も書かれていない、ただの地色の広がる無地のページだった。
しかしその帳面に指をなぞらせると心地よい感触とともに何かが読み取れるような気もする。
真理がゆっくりとした足取りで昇に近づいてきた。
「もしそれが真実にあなたの望んだ武器の形なら、それにはもう真理が付与されています。あとはあなた次第です。
あなたの気の赴くままにそれを使いこなせばいい」
「使いこなす……? 真理を……?」
呟いたままぺらりぺらりとページを捲っていく。
昇は別段本が好きというわけではなかったが、本を捲る時のページの音だけは自分の中でも一番好むものだった。特に雨の日に捲るページの音は昇にとっては格別なひと時を提供してくれる。
「いいな……」
幸いなことにこの本の紙質が奏でるページの音は昇のもっとも好むものだった。
その音に耳を傾けながら昇は呟く。
「お前はいったい……ドコから来たんだ?」
まるで図鑑から探すように、滑らかにページを捲っていく。
そこで手が止まった。
何かに気づいた昇が、驚きに支配され見開かれた目を真理に向ける。
「見つけましたか?」
まるでわざわざ見つかるように隠していた物を思惑通りに発見してもらった時のような業とらしい顔だった。
「どういうことなんだ……? これは……っ!」
昇の台詞に真理は含むような笑いを漏らした。
そして少女らしく後ろ手を組んで、今度は章子にその視線を移す。
「さあ、今度はあなたの番です。章子」
「え?」
「あなたの武器は……何ですか?」
まるで返ってくる答えが最初から分かりきっているような問いかけだった。
しかし真理はあくまでその答えを章子の口から言わせようとしている。
「わたしの……?」
呟いた章子はもう一度言う。
「わたしの……武器?」
そこで答えを待っていた真理ははっとなって上空を見た。
「そんな……早すぎる……っ!」
何かに慌てた真理が昇に目を戻すと、昇は倒れた子竜に何か言葉を投げかけていた。
「……もういい。まずはお前を……お前でも生きられる場所にこれから送る。
拘束呪術解除後、体もある程度回復させてな。大丈夫、痛くない」
そして似合わない慈哀の気を含みながら本のとある頁をおまじないのように読み上げる昇。
「真理実行……強制相転移」
その言葉がこれから訪れる現象の根源であることを真理は今、思い知った。
そして再び見上げた空!
「……来るっ!」
少女の今までにない動揺した顔は、章子やオリルもその目を空に向かわせざるをえない。
来たる光は天頂から一瞬の閃光を伴って現われ、その姿を下界の世界に見せつける。
章子はその姿を認めた。
天高く頭上の地球に似た巨大な青い惑星の浮かぶ空を背後にして現われたのは、裾を銀色に縁どる黒い法制服を纏った二人の少年少女と背後に浮かぶ一体の灰色の巨人だった。
「ここが……」
「誰かの創ったもう一つの地球……ね」
金の短髪と銀の長髪。
「覇星ギガリスよりの使者……」
呟いた真理の表情はこれ以上もないほどにこれまで以上の脅威が訪れたことを教えていた。