13.究極の生命(第六世界)
テラスの手摺から展望できる白亜の街並みの向こう側に広がる青い海の景色は非常に美しかった。
街並み全てが真っ白の建物で構成される街。
そこがここ、第六世界の超巨大国家ムーの首都マナの隣にある都市オロロンの海岸線沿いにある町クラチェの誇る景観だった。
「まるでここってヨーロッパの地中海にあるような景色みたい」
章子は手摺から身を乗り出す様にして独り言を言った。
海岸線を一望できる小高い丘にある一際大きな建物に設けられたテラス。
そのテラスの一つのテーブルに章子と同い年ほどの一人の少女が座っている。
「お気に召しました?」
長い金髪が背もたれにかかるその様は優雅。
憐燐たるその瞳はこのテラスに集まった全ての人間に向けられていた。
「ここが太古の地球で栄えていた最後の時代、ムーとアトランティスによって育まれた超古代生物の跋扈する世界です」
その少女、純白の清廉な服飾に身を纏った不老妃サンビカリア・エステスは、手に持っていたティーカップを置いて言う。
「あの子たちが皆さんにご迷惑をお掛けしているみたいですね……?」
それはやさしい問いかけだった。
サンビカリアの言うあの子たちというのは十二獣たちの事を言っているのだろう。
その中の一人、兎の獣人、ラピリ・ラズリはただ黙して常にサンビカリアの傍から離れず背後で付き従っている。
「あの人たちはあなた方、ムーの国を憎んでいました。
それは一体どういう事なんですか?」
章子はいつまでも美しい景色から目を離して、テーブルに腰かけるサンビカリアを見る。
だが、章子の問いに答えたのはサンビカリアの首にマフラーの様に巻き付く白い毛皮だった。
「我が国、ムーはこれから崩壊するだろうと見積もっていた地球環境に備え、種の保存計画の一つ「箱舟」を発動したのだ。
その結果が、全ての獣を総べるという十二獣座を作り上げることだった。
奴らは種馬なのだ。
自分たちがそれぞれ司る獣の血を後世に残すためのな……」
しゃべる白い毛皮のマフラーはサンビカリアの首元から起き上がり、小さな猫ほどの大きさの小竜の姿を現した。
「ファブニ、あなたもその一人でしょう?」
サンビカリアが窘めると章子の知る限り竜人だったはずのファブニと呼ばれた小竜も身を竦ませる。
「私だけではありません。
そこのラピリや、貴女様でさえ、あの忌々しい箱舟の計画を担う仕組みの一つではありませんか……」
恭しく見上げるファブニの目は哀し気だった。
「ファブニ!」
「いいのです。ラピリ」
手を上げて諌めるサンビカリアに章子たちは首を傾げる。
「その箱舟という計画とはいったいどんなものなんだ?」
カネルが言った。
「箱舟とは、一人の少女が船の役割となり、一緒に生きる獣や他の全ての生物の精をその身に受け、その身体に全ての生命を宿し、孕み、生み落す計画のことを言うのです。
……私はその船の役割を担う少女をこれから産み落すためだけにこの世に生を受けました」
その衝撃的な告白。
「人が、全ての生命を生み落す……?」
獣だけではない。
鳥や魚や昆虫、細菌やカビや植物にいたるまで、その生きとし生ける全ての生命の母となり、その子らを生み落すための生命。
それをこれから生み出そうというのだ。
「そんなことが……出来るの……?」
サンビカリアは頷く。
「私は不老不死の子を産み落すためだけに生み落されました」
「不老不死?」
「そうです。不老不死の子をこれから身篭る私に寿命はありません。
私は不老なのです。
ですが不死ではありません。
物理的に大きな外傷を負えばそれが死に繋がります。
しかし、これから私の身体に宿るだろう、新しい命には当然そんな外的要因さえも死因にはならないのです。
私の娘は知的生命体ではおそらく唯一の単考型生命になるのですから……」
「単考型……?」
章子の疑問にサンビカリアは頷く。
「私たち、第六の超生物学では生物の基本的分類としてまず単考型と複考型に分けられます。
そして、今この転星上で生きている生物のほとんどは全て複考型に分類されるのです。
それがなぜか皆さんにわかりますか?」
サンビカリアの問いに答えたのはオリルだった。
「私たち人間は体を管理し進化させる意思とその体に宿っている行動する為の精神が分かれているから?」
「そうです。
人はその脈拍、身体組成、進化行程、生殖反応、傷害治癒行動、全てに至るまで体の自律神経回路によって管理されています。
だからこそ我々、人はそれを精神思考側から介入する為に医術というものを発達させました。
私たち人類は全て複考型。
私たちは常に語らないもう一人の自分と共に生きているのです。
しかし我が娘は違います。
娘は単考型です。
知的生命体でありながら、自分の鼓動、脈拍、自律神経回路、全てを自己管理して生まれてくるでしょう。
自分が受けた傷を癒す順番も自分の思いのままで……」
それはまさに真理を受けた子供。
「子供を産むの? その年で?」
章子は唐突に思い至った疑問を口にした。
「じゃあ、その子のお父さんは? あなたがお母さんになるなら父親だっているでしょ?」
サンビカリアは首を振る。
「いいえ。我が娘に父親は存在しません。
私の娘は私の遺伝子のみで出生するのです。この巨大国家ムーによって仕組まれた遺伝子操作で……」
「単一生殖……」
その言葉を発したのは真理だった。
「雌性のみで自己繁殖する生命種……」
それはつまり処女懐胎を意味する。
そこに雄性が存在する必要性は決してない。
「そうです。我々ムーの時代では、出生に関して決して雄性は必須ではないのです。
男性の存在がなくとも、この時代の母性は子を自らの好む時期に自らの望む性を懐妊できる。
それが我がムーにとって強みといえば強みですね……」
だが、それでは生体の多様性というものを希薄にさせ、生体形状の固定化を促進させる。
後に続くサンビカリアの言葉はその問題点を指摘していた。
「単一生殖は種の保存という目的の為の手段としてはある意味では悪手です。
広義による種の保存とは、単一生殖では為しえない多様性種の保存を意味するのですから。
だから「多様性的な種の保存」という役割を強制的に与えられた十二獣座には処兎座を除き、全てが雄性を与えられています。
器である我が娘に精を注ぎ、我が娘に自分たちの種を産み付けるために……」
それは同じ女子の発する言葉とは思えない悍ましさを章子に感じさせていた。
「そんな……」
「だから彼らはそんな役割を与えたムーを恨んでいる……?」
カネルの自答にサンビカリアは頷く。
「恨まない者などいないでしょう。
現にムーの国家的総意もそれを自覚しています。
しかしそれでもそれを実行せざるを得なかった。
この新世界に集められるまでは……」
「だったらもう、その子供を産む必要もないのではないのか?」
「いいえ。私にはもうその子を身ごもる時限生理が設定されています。
その時になれば否が応でも私は身篭るでしょう。
この新世界の元で、それでも時代遅れに全ての母となる役目を負った自ら命を絶つこともできない我が子を……」
「バカな……」
「そんな悲しい顔をしないでください。
少なくとも娘は不死です。
だからそれほど悲観する現象でもないのですよ。
娘はこの新世界でも女王に成りえる器を備えてこの世に生を受けるのです。
そしてこの新世界は崩壊の道を辿っていない。
それが前までの世界よりどんなに素晴らしい事か、いつか遣使としてこの新世界の調和を保つあなた方にも分かってもらえればこんなにうれしいことはありませんね……」
サンビカリアはとても優しい目をして周囲に語り掛けていた。
「ちょっと待って! なら、その時の不老不死の女の子は何処にいったの?
不老不死だったんでしょ?
なら今もあの本当の地球のどこかで生きてなくちゃおかしいじゃない」
今また新たな閃きを得た章子が言う。
「生きてますよ。章子。
彼女の娘、当時の名でカエリナン・ノアは今もあの地球で鼓動を放ち続けています」
「本当にっ?」
真理の言葉に身を乗りだしたのはサンビカリアだった。
「本当です。
サンビカリア・エステス」
「サンビカでいいですよ。親しい者は皆、私をそう呼びます」
「ではサンビカ。
あなたの娘は確かにまだ地球で息づいています。
……ただし、地球上でではありません。
地核内でです」
「え?」
「え?」
皆の放心した反応に、真理も言いよどみながらも口を開く。
「身を投げたのですよ。彼女は……。
一人最後の世界に残された彼女は溶岩の満ちる世界で、とある山の火口に立ち、火口の奥深くへと身投げしたのです」
その真実は全ての聞いていた者たちを沈黙させた。
「それでも彼女は死にませんでした。
灼熱の溶岩に身をさらされても彼女は意思を保ち、さらに地球の奥深くへとその身を沈めていきました」
「今もそうなの?」
章子の問いに真理は頷く。
「そうです。今の彼女は地球と殆ど同化しています。
不死であるが故に彼女は地核さえも取り込み一体となって母なる地球と同一化しているのです。
そして今、そのすぐ隣には役目を終えつつあるギガリスの遺産、水槍ペンティスラがある」
「……そんな」
「その事実がこれから先どんな現象を発生させるかは私にも想像が付きません。
ですがあまりいい兆候ではないとだけ付け加えることはできますね……」
真理の最後の言葉で落胆する一同。
「何で……不老不死なんて究極の生命もいいところの子が……」
章子の呟きをしかしサンビカは否定した。
「それは違います、章子さん。
不老不死は究極の生命なんかじゃありません。
違うんですよ。
ムーの定義では究極の生命は他にあるのです。
究極の生命は不老不死ではないんです」
「不老不死が究極の生命じゃない?」
章子の疑問にサンビカは頷いた。
「みなさんは究極の生命がどんなものか、分かりますか?」
「……自分で自分の身体を用意し、なおかつ自ずから望んでこの世界に生まれ落ちた生命」
呟いた半野木昇の言葉にサンビカは眼を見開いた。
「そうです。細菌、ウイルスなどの単細胞生物や生命とは言えない有機体までこの世界で生きる全ての生き物は全て召喚発生によって生誕しています。
それは単考型や複考型以前の一番最初の、分類する必要がないほどの分類名、召喚発生生命と自発発生生命という生命分類学の最初の分類枠の名でも分かり切った事実です」
「つまり究極の生命とは自らの意思のみでこの世界に自分の力だけで生まれ出でた生命のことを言う?」
「そうです。
自発発生生命。
それこそ、今の超生物学専行国家ムーでさえ机上の空論と決めつけている架空の超常生命体の事です。
皆さんは父性と母性の混ざり合いから召喚されて発生された何処にでもいるありふれた生命です。
それはもちろんウイルスや細菌、樹木や植物も例外ではありません。
それらは全て異なる二つ以上が混ざり合ってできた召喚物に過ぎないのです。
絶対に熱や冷など全ての自然、生理現象からの二つ以上からです。
だからそれが、一つから一つのままで発生する事はまず絶対に有りえません。
それこそが究極の生命と呼べるのです。
その発生確率はムーの試算でも無量大数分の最小数点の確率です。
絶対に現われない究極の生命と呼ばれるのです」
「その通りだ。
それをムーは常に探している。
我らの主となるであろう不死妃の相方役としてな……」
言ったのは小竜が突然光を放って現われた竜人だった。
あの第二世界で見た緑の竜人。
ファブニは一つの命に二つの身体を持つ転体種だった。
「そして、申し訳ありませんが私たちは仕組んだ進化である貴方たち第七の身体に興味があります。
滞りなく私たちが計画したようにあなた達は目論見通りに進化したのかどうかも含めて……」
今まで少女の瞳をしていたサンビカは急に冷淡な目を向けて章子たちに語り掛ける。
「しかし今気になるのは真理さん。あなたです。
貴方は過去の私がどうなったのかもご存知なのですか?」
そのサンビカの問いに真理も不敵に笑う。
「サンビカだけではありませんよ。
私は章子や昇以外の、オワシマス・オリル、クベル・オルカノ、カネル・ビサーレントはもちろん、あの覇都ギガリスを含めた、あらゆるこの古代世界の住人の顛末を全て熟知しています」
その告白は周囲の人間を唖然とさせるものだった。




