11.開く、新世界の扉
それは一体誰の為の戦闘なのか。
敵も味方も精神的に疲弊していた。
獣支たちはただ己の語った誇りのみを証明する為にこの生き地獄のような戦闘を続けている。
手を止めることは許されない。
仮にもし手を止めたとなれば、それは己の誇らしげに語った誇りが張子の虎であることを証明してしまうことに他ならなくなる。
だから今もこの生殺しのような戦闘を続けていた。
戦闘で有利なのはもちろん自分たちだった。
戦闘を終わらせる機会などそれこそ腐るほどあった。
敵に止めを与え、それを区切りに自分たちの存在を新世界に知らしめる絶好の機会。
そんな瞬間が何度でも。
にも関わらずその瞬間を悉く阻止してきたのはこの空の中心にいるあの子供だった。
半野木昇。
本を片手に広げ、そこから自分たちの心と行動を常に凝視している子供。
「忌々しいっ……!」
だがそれが口だけで終わる自分たちの不甲斐なさが殊更情けなくなってくる。
まだ疲労の色はあるとはいえ、息を吹き返し始めた昇の仲間たちとは裏腹に、自分たちは半野木昇という子供の手の中で踊らされ、糧にされている哀れな獣人たちだった。
「真理学戦闘も魔術戦闘と一緒なんだよ。
魔術戦闘の基本である解析魔術で相手の動向を探る情報戦が、真理学戦闘にも当てはまるんだ」
放たれる獣支たちの攻撃を、まだ使い慣れない動作で真理学解析しようと試みる赤の衣を纏う少年、火の許約者クベル。
その隣で反対色の紺の衣を纏う半野木昇がただ手に持つ本だけを見ながらクベルに助言を行っている。
「そう、それでいいんだ。
真理学解析で敵の攻撃手段の解析ができれば、あとはその解析情報を戦闘構成領域に回して、自分の技術にも転用できる。
これで敵の持つあらかたの真理項目は模写できるはずだ」
空中の中で相転移機動によって場所を変え位置を変えて、遠近両距離から槍と鎚の攻撃が飛び交うなかで、とうとう致命打を受けるような攻撃を昇の力を使わずにクベルの赤い宝石剣が打ち払った。
「あ……」
「な……っ!」
打ち払った者と打ち払われた者、両者は互いにその光景を前に驚いていた。
「届いたね。
それでいいんだよ。
元来、真理学解析は相転移機動の速度よりも遥かに凌駕している。
真理学戦闘で一番重要なのは機動力じゃないんだ。
解析処理能力なんだよ。
そしてそこまでの真理学適性に辿り着くには行使者のままではだめなんだ。
創造者にならないと」
言い終えた昇が今度こそ開いていた本を閉じた。
「でも、これでもう君は大丈夫だ。
斬れるよ。
もう相転移機動に惑わされることもなく。
ただの航空魔術だけでこの人たちとの距離を詰め、その動きを見極めて隙を突くことが出来る」
そして下の空を見る。
「あとはビサーレントさんだけ……。
頼んだよ……咲川さん」
昇の見下ろす下の空ではカネルが苦戦を強いられていた。
今は辛うじて章子の助力で獣支たちの攻撃を何とか凌いでいる。
だがそれも時間の問題の様に思えた。
明らかに武器の相性が悪かった。
撃ち放たれる鎖や棒術の直線軌道に、さらに撃ち弾くための銀飾短銃の射線を重ねるのは容易いことではない。
(今は銃ではなく、せめてクベルのような剣が欲しい)
線ではなく円を描ける武器が欲しい。
それがあればまだ防御の面で余裕を持つことが出来る。
しかし、その武器が欲しいのなら自分で出現させるしかない。
だが、それは固体発生の領域だった。
「私に出来るのか?」
何も出来ず、ただ魔動項目を使うことしかできない自分。
そこで何を思ったのか章子が閃いた様にカネルを見た。
「武器が欲しいの?」
「え?」
「武器が欲しいのなら、カネルッ、わたしに合わせてっ」
「章子?」
カネルは意表をついた章子の行動に困惑する。
「イメージするのっ。物体を真理の力で発生させる時は、周囲の空間を冷やして出現するわ。
言ってる意味が分かる?
エネルギーの発生とは仕組みが違うの。
そこまで想像できればあとは簡単よ。
カネルの真理媒体が教えてくれる」
「そうは言うが……」
章子はカネルが憧れを抱くほど、ほぼ直感のみで真理行使を行っていた。
その章子から助言を受けても、とても自分に出来るとは思えない。
「思い浮かべるのは花が咲くようなイメージっ!」
「花が……咲く……?」
カネルがそう口の中で呟いた瞬間に、鯔の獣人オウドビが振るう次の鎖が来た。
その鎖の錘を打ち払おうと放った銃弾がやはり逸れる。
「しまっ……」
そう思った時にはすでに鎖の殺意はカネルの右手に持つ銀飾短銃に狙いを定めていた。
それが当たれば銃はもちろん、その銃を持った腕まで巻き込まれ、只では済まないだろう。
そう悟った瞬間、カネルの心が一瞬だけ冷えた。
いや、冷えたのは心だけではなく空間もだった。
その冷えた空間に一条筋の緑の光罫線が閃く。
(なんだ……? この感じ……?)
カネルの銃を握る手とは反対の手に今まで触れたこともない質感が具現化する。
それは柄だった。
新たな柄を握り、カネルは迫る鎖の尖端を重厚と軽快さが入り混じった金属音とともに打ち払った。
「……なんだ……? これは……っ?」
柄からは細く薄い銀色の剣身が伸びていた。
それは銀飾の長細剣。
「剣……?」
傘よりも軽く、さらに本物の細剣よりも早く撓る、その鮮やかな武器。
「私の……剣……?」
握りなおした剣が澄み切った鍔鳴り音を世界に響かせた。
「きれい……」
カネルの握る銀飾の細剣を見た章子の声がつぶやかれる。
「思い浮かべる思考が違うのかな……。
私の場合は鉄を冷やして形にするイメージだったぞ?」
苦笑しながら章子を気持ち睨む。
睨みながら、カネルは自分でも驚きつつ、自身が持つ剣へまじまじと目を移した。
見ると、剣は緑の光学空間表示を円状に纏って常に相対する敵を捕捉している。
「航空魔術を発動できる……? 行けるのか?」
相対する鯔の獣人オウドビを睨み、カネルは剣を握る力を強くした。
「行けっ!」
カネルは大空を踏み切りオウドビに向かって距離を詰めた。
襲い掛かる数々の鎖を剣で薙ぎ払い落して、オウドビの目の前までくる。
「うっ……っ!」
だが敵を目の前にして袈裟懸けに切りかかった瞬間、オウドビはエネルギー相転移機動によって遠くに消えた。
しかし、カネルにはその出現先が分かっていた。
「そこか……っ」
「な……?」
そう遠くない空、そこで初撃をやり過ごしたオウドビより先回りしてカネルが予測していた出現場所に突撃していた。
「なんだっ! なんなのだっ? そのお前が持つ武器はっ?」
「さあな……。それはお前を切り伏せてからじっくりと確認してみるさ」
カネルの振り下ろした斬撃が今度こそオウドビを捉えた。
それは獣人の屈強な体躯に易々と刃を侵入させ、手応えを感じさせないほどの切れ味をもって振り抜かせる。
「がっ……?」
オウドビが深く斬り付けられた己の袈裟懸けに残る軌跡に手を当てた。
当てた途端、オウドビの巨躯を支えていた航空魔動が途切れ、事切れる寸前の顔をしながら遥か地上の湾面へと真っ逆さまに堕ちていく。
「悪いが、止めを刺させてもらう……」
海面へと落ちていくオウドビに、カネルはさらに片手に持つ銃口を向けた。
その銃の銃身は光学空間表示を纏い姿を半透明にさせて、伸びた緑の光罫線からさっきまでとは違う銃身の長い銀飾長銃へと変貌させている。
新たに現われた銀飾長銃・ファルプトソンを構え、カネルは落下していくオウドビに追い打ちの銃撃を放った。
一発、二発、三発がオウドビの腕、肩、脚を次々に貫いていく。
撃たれたオウドビには何の反応もないようだった。
ただ何も言わず海面へと真っ逆さまに落ちていく。
同じころ、カネルの上空でも決着がついていた。
クベルの火の許約剣が馬の獣人、ケウロべの胴を貫いていたのだ。
どくどくと拍動する互いの脈動。
それらを感じ取って、クベルが鍵のかかった錠を解くように一旦横に捻ってから、剣を一気に引き抜く。
「うぐぅっ!」
ケウロべは呻くが、不思議と血しぶきは出なかった。
それどころかさっきまで剣が刺さっていた個所には傷痕もない。
まるで手品のようだった。
「傷が……ない……?」
今ごろ込み上げてきた激痛が幻痛であるかの様にケウロべは苦悶の表情で自身の刺さっていた個所を擦る。
だがもはや第二世界の火の許約者、クベル・オルカノは目の前で茫然となるケウロべさえ眼中になかった。
自分よりも下の空で、同じく真理の一端に到達した仲間を見る。
その仲間カネル・ビサーレントの持つ、固体発生によって現われた剣、銀飾細剣。
「……銃士……」
銃と剣をそれぞれの手に持ち、緑の光学空間表示を周囲に展開させるカネルの姿を見てクベルは呟いていた。
クベルの生まれた時代、第二世界でも騎士と人気を二分する程の超激戦職である銃士。
今のクベルが見るカネルの姿こそ、その人気を二分する銃士の姿のまさにそれだった。
「そうか……君も……」
何かを得心したクベルは見下ろしていたカネルに向かってそう呟いていた。
本来なら一週間か一か月を掛けて習得する筈のレベルだった固体発生とエネルギー相転移機動を総じた真理学の力。
その力を昇と章子の教授がそれぞれあったとはいっても、この短時間で習得できたのはそれこそ信じられない事態だった。
だからこそ、クベルは実感していた。
新世界がどんどんと自分の身近に届きつつある感覚に。
「僕たちの世界は……、これからどうなるのか僕にも分からない……」
そして探した半野木昇の姿は、自分の立つ空の遥か下、鯔の獣人である水鯔座のオウドビの巨躯が漂う空港湾の海面にあった。
「どんな……気分だ? 我らを弄んだ今の気持ちは……?」
自分を憐憫の眼差しで見つめる侮っていた少年に対して、オウドビは疲れきった顔で波濤に身を任せながら問いかけた。
「どんな気分ですか? 仕組んでいた進化の果てにできた子供に、ここまでいいようにされた今の気分は?」
「はっ!」
急に敬語で質問を質問で返してきた昇に、全身無傷だったオウドビは大きな口を開けた。
「どんな気分かだと? 分かって言っているのかっ?
お前のその小さな体は今は憎き我が宗主国ムーの仕組んだ体だぞっ!
仕組まれた進化。
お前たち第七のその体は我らの言うムーの悪意から来るなれの果てだ!」
昇は何も応えない。
「貴様たちは仕組まれてその様に愚かになるように進化させられたのだっ!
貴様たちは何度、愚かな行為をしたっ?
何度、自分たち同士のみで争い! 何度、自分たち同士を苦しませ! 何度、自分たち同士を死に追いやった?
挙句に自分たちの暮らす己の世界まで汚し、捻じ曲げ、他の生命まで死の危険に晒しているのだろう?
だが、そこまでしておきながら、お前たちは自分たちの事を究極の生命の形だのと自画自賛していたのだっ!
クククっ! 笑わせるではないか。
そうなるように仕組まれ、進化させられたという事実も知らずに、お前たち第七の単細胞どもは己のことを生命の究極の形だと思い込んでいたのだからなッ!」
オウドビは嗤う。
これ以上もないほどに昇たち現代社会の人類を嘲り嗤った。
「お前たちに……。
究極の生命がどういう者かも分からない貴様たちなどにっ……!」
「究極の生命か……。
確かに……、どうせ生まれるなら、自分の意思でこの世に生まれ落ちてみたかったよ……」
「なっ……?」
オウドビは驚いていた。
半野木昇の溢したその一言こそ、究極の生命の片鱗を物語るものだったからだ。
「お前は……知っていたのか……」
「究極の生命が不老不死のことをいってるんじゃない。
ってことぐらいはね……」
「だからこその強者だとでも言いたいのかっ?」
「弱肉強食は自然界の節理じゃない。ただの原理学の一端だ。
そんなことぐらい超生物学を専攻する第六なら気付いているでしょう?」
「なんだとっ? 力のない者は食い物にされる。それが真理ではないのかっ?」
「違うよ。忠告しておく。
それだけの真理適性で真理を語るな……」
「何が言いたい?」
「あなた達は最弱である自分たちの子供を殺すのか?」
その言葉にオウドビは眼を見開いた。
「自然界で一番の弱者は子供だ。
その子供を肉にして、それをあんたたち大人は食うわけだ。
弱肉強食だとのたまって……」
「ああ……ああ……」
「強肉弱食。それこそがぼくや貴方たち生物が生きるための根幹をなす摂理、摂理学であり真理のはずだ」
強きが肉となり弱者に食わせる。
それをこの戦闘行動で示してみせた半野木昇。
だからこそ真理を語れるのは神ゴウベンと半野木昇のみ。
それ以外は全て真理をたどたどしく辿るしかない領域の生き物でしかない。
「別に真理を語りたいなら語ってもいいけど、それ相応の覚悟は欲しいな。ねえ、アワントス・クダリルさん……」
そう言った海面に立つ昇はあらぬ方角を見た。
この世界は昇の慈悲で残されている。
「あなた達には一応感謝かな。
これで遣使側の戦力は一応整った。
これで用はすんだ。
取り合えず今日はここまでで、あなた方には退いてもらう」
その言葉を聞き、戦意を喪失させていたオウドビが巻き返す。
「ふざけるな! 殺せっ。我らに生き恥をさらさせるつもりかっ!」
「そうだね。晒せよ。潔く生き恥をさ。
そんな生き恥をさらす覚悟もなく、ただいっちょ前に死ぬ覚悟だけで戦場を作ったあんたたちが悪い」
「まさか。まさか貴様にこれほどの力があるなどと我らには分からなかったのだ。それを知っていたら……」
「やったさ。同じことをさ。昔の僕たち日本人の国にもあった軍隊みたいな言い方をするなよ。
何を知っていようとあんたたちはやった。
命を軽んじ、自分の放った命だけを重んじさせ、都合が悪くなったらそうやって逃げるんだ。
いや言い訳を考えるのか?
本当に俺たち日本人にそっくりだっ! イヤになるぐらいにっ!
戦争をする奴らってのは本当に同じことしか言わないな。
ウンザリなんだよ。そういう考え方。
たとえ殺しても! 晒され狂うまで何度でも生き返らせてやる。
それが嫌ならもう二度とおれの前に現われないか、それとももう一度力を付けてまた来るかのどっちかだね。
オウドビさん」
「お前は、人ではない……」
「そうなるように仕組んだのはあなたたちじゃないのか? ムー……」
「貴様たちは仕組まれた進化だ! だから愚かなことを繰り返す!
このっ……」
精一杯の侮蔑を考えたオウドビは吐き散らす。
「このっ……仕組まれた進化がっ!」
だがその罵声も、昇の無作為に虚空へと放ったデコピンによってかき消された。
「なっ?」
昇の空を切ったデコピンが、空中で一部始終を茫然と見ていた猿の獣人を一瞬で掻き消したのだ。
「相転移機動は別にこういう使い方もある。邪魔な人間をどこか遠くに消し飛ばすっていう使い方がね」
そして冷たく言い放つ。
「顔を洗って出直して来い。十二獣座」
それはまさに茶番。
まさに滑稽。
「なぜだ?
なぜそれだけの力と……、冷徹さと……、優しさを持つお前が……なんで遣使側なんだ……」
だがそれには答えず。
今度は指だけを鳴らして、て獣支たち全てを強制的に瞬間転移させた。
これによってあれほどの激しい戦闘はなんの味気なさもなく終着した。
そして昇は自分の手を見て自分を例える。
「でも……こっちは顔を洗っても出直せれないな……」
敵も味方も全てを手玉に取り弄んだ自分。
「本当に……うんざりだ……」
それを反顧し、ため息で自嘲して昇は航空都市の空上から空を青いだ。
最後に忘れられていた動爆が上空で光る。
だが起爆した動爆弾頭は汚染と破壊は行わず、ただ世界を包む閃光だけを放つ。
それを見て空を見上げるカネルは呟いた。
「タイプ・閃光だった……?」
数ある動爆シリーズの中でも視覚的戦闘状況だけを制するように開発された何の破壊も汚染も行わない動爆兵器、動爆Φ、タイプ「閃光」
それは新世界の始まりを表わすに相応しい開扉の光だった。
今ここに、新世界の扉は開いた。
その扉の開扉はまさに章子たち遣使の誕生を意味してたが、またそれは同時にやがて訪れる、半野木昇の死期を決定づけるものでもあった……。
第三章、第一部 完




