2.真理の少女
今まで一度も訪れたことのない他校の校庭の砂地に章子は降り立つ。
降り立った瞬間、これが現実の事なのかと受け入れられずに自分の着地した大地をわなわなと見つめた。
「空を……飛んだ?」
明らかにここはさっきまでの場所ではない。
章子の母校はこんな見晴らしのいい高台にある中学校ではなかった。
校舎の背後に広がる緑の杜は名古屋の東山区にある東山公園だろう。
この場所には見覚えがあった。
まるであのツインタワービルをただのハードルのように易々と飛び越えたのが未だに信じられない。
「ここは……どこ?」
「東千枚田中学校というところだ。どうやら君と同じ学び舎だと思ったが……」
そして着いた周辺を見回す。
やはりここも章子の母校と状況は一緒だった。
制服こそ違え生徒や教師が校庭や校舎の窓という窓から空を、あるいは校庭のある一点を見つめている。
「来ましたね」
そう言ったのは衆目の注目を集める一点に立つ三人の内の一人だった。
「連れてきたぞ」
「ご苦労様でした。カネル」
「どうやらあんまり悠長な状況じゃないようだが」
カネルが話しかけた相手はふふふと笑う。
「確かに。しかしそう慌てても仕方がありません」
答えた不思議な雰囲気を漂わせる純白のドレスを着た少女が章子に向く。
「初めまして。咲川章子。私は真理。真理と呼んでください」
「え、えっと」
章子が対応に戸惑っていると、真理と名乗った少女は背後に立つ二人の内、その片方のこの学校の制服を来た一人の少年にも同時に語り掛けた。
「お待たせしました。半野木昇。突然ですが、これから二人には武器を選んでもらいます」
「「武器?」」
章子と半野木昇と呼ばれた少年の声が重なる。
「そうです。他の三人にはもうそれぞれ固有の武器に力を与えました。残るは咲川章子と半野木昇、あなた達二人だけです」
「武器を選んでどうしろって言うの?」
章子が問うと真理は目を瞑って答える。
「それはあなた達自身が自分で考えてください。その手にした力で何をするのかを」
「いらないって答えたら?」
半野木昇が真理に聞いた。
「死人が出ますよ。もうここには竜が出現しました。おそらく時間の問題でしょう」
「戦えっていうの?」
「それも一つの手段ですね」
「その武器の力で人を守る?」
「それが一番の有効策でもあります」
「なんで私が?」
「なんで僕が?」
章子と昇の問いに真理は答える。
「あなた方二人が選ばれたからですよ。この世界と私を生み出した我が母、ゴウベンに」
そして、力強く半野木昇の方を見る。
「特に半野木昇、あなたは強く強固に選ばれました。これは私や今のあなたでは到底覆らせることはできません」
「そんな……」
「急に……」
章子と昇が訳も分からずに茫然となっていると深緑の長いコートを翻しカネルが近づいてきた。
「これが普通の反応だ。だがこのままにもして置けない。来るんだろう?」
「ええ」
真理は言って虚空を見る。
「来ます」
咆哮がした。
その咆哮にのって、北の方角から頭上を場当たり的に先ほど見た大口径の強大な一閃が乱れ撃つように突き抜けていく。
そして身体を粉々にするような恐怖を感じるほどの巨大な荷電粒子の通過する轟音。
それはさながら直進する極太の雷の雷鳴だった。
その音と振動は校舎のありとあらゆる所から悲鳴を舞い上がらせた。
「荷電粒子魔術……」
「雷竜か……」
「クベル?」
カネルが常に距離を置いて様子見をしていた赤い衣の少年の名を呼ぶ。
「おそらく魔動生物だ。普通の生物が捕食の為にここまでの攻撃手段を持つなんて考えられない」
「なら、会って確かめればいい」
「やる気なのかい?」
「仕方ないだろう。どうやら、ここの世界の住人は自分の身は自分で守れないらしい」
銀の銃身を引いて、カネルは章子と昇を見た。
「そんなっ」
「それに、幸い私たちには真理が与えてくれた力もある。それを試して見るさ」
「なら……フォローするしかないね」
両手を上に放ってクベルと呼ばれた少年もカネルに続こうとする。
「オリルはどうする?」
クベルの問いに昇の隣で佇むオリルと呼ばれた黒髪の長い、白い法衣に身を包んだ少女は答える。
「私はここに残る。その方が健明でしょ?」
クベルは頷いた。
「待機要員はいた方がいい。じゃあよろしく」
「ええ、二人とも気を付けて」
オリルに見送られて立ち止まったカネルが荷電粒子砲を放ってきた方角に銀飾銃を向けた。
「まずはごあいさつだ。なにも荷電粒子魔術が使えるのはお前だけじゃない」
スイッチの入った銀飾銃の銃口の先に光学的な魔方陣が長い銃身を象るように伸び、集まる粒子たちの収束を促しながら高速的に回転する。
「発射」
その唱えを引き金に引かれた銀飾銃の先から大口径の荷電粒子弾道光が遥か北の方角へ放たれた。
それは向こう側からのとは打って変わって美しく何の轟音もしないただの静かな光りの槍の軌跡だった。
「これが本当の荷電粒子魔術だ。ただの電雷を帯電させただけの音も光も雷と変わらない高速粒子を何の工夫もなく垂れ流すだけの魔術と一緒にしてくれるな」
そう呟いたカネルの体が空を翔ける為の熱風を纏った。
それに続きクベルも風を巻き込み大地を跳躍する。
「出撃――」
二人が今度は魔方陣なしで爆発的な光と共に、東山の杜が広がる北の遥か先の空へ弾光のように消えていった。
「航空魔術……」
章子は今まさに覚えた単語を呟く。
それは空を飛ぶのではなく、空を跳ぶ魔術だ。それも信じられない速度で信じられない超長距離を一瞬で跳躍する機動魔術。
「さて、どうしますか?」
二人のいなくなった場で、真理だけが章子と昇の二人を見つめていた。
「状況は何一つ変わっていません。あの二人が止めに行ったところで、別の生物が現われるでしょう。
世界はとうとう一つになってしまったのですから」
「世界が一つに?」
それは一体どういう意味なのだろうか?
章子は訊ねようとするが、その前に真理がそれを遮るように手を挙げて唱えた。
「突き立てよ」
そして勢いよく校庭や校舎の壁に次々と突き刺さっていく数多の武器に防具。
「なに?」
「剣界ですよ。
これはクベルの国、魔導国家ラティンでは最も初歩的で一般的な戦闘魔術ですが、初歩的なものはすべて材質が魔動により直接湧出させた水から間接的に高密度氷結させて堅め凍らせ出現させた氷です」
「つまり本当に堅い固体物質的な物体状のものは直接、魔術からでは作れない?」
試しに昇が聞くと真理は頷いた。
「さすが半野木昇ですね。その通りです。
魔術、およびオリルたちリ・クァミスの魔法技術でも固体を直接発生させる科学技術力までは到達できていません。
あなたの考える通り、固体を直接発生させる原理は原理学及び、真理学の領域です」
「ほんとうに……」
そうなのか……と昇は口の中で呟いた。
章子には何のことなのかわからなかった。
しかしこの目の前で起きたことは全くの現実でもある。
「何なの……これ」
見れば真理の回りにも、真理が出現させたと思しき長身の銃や鞭、小手が浮遊しゆっくりと円状に回転している。
「これが今からあなた方に選んでもらう武器たちです。この中から好きなものを一つ選び取ってください。
それに私が真理を付与します。
それが私が我が母ゴウベンより与えられ命じられた役割の内の一つなのですから」
まるで脅すように迫ってくる真理だが、不意にオリルの方にも目を向ける。
「もちろん強いてこの中から選ばなくとも結構です。
要はあなた方が何を持てば「この世界に立ち向かえる」のかが重要なのです。
それはなにも真に武器という形を強要しません。
そこにいるオリルも自身の武器、真理媒体には拳の中に納まるほどの大きさの石、宝玉を選びました。
別名を「賢者の石」とでも呼ぶべきものです」
「想像してください」と真理は言う。
「これらの武器、防具を手に取るのが嫌なら、自分たちの、自分たちに相応しい「世界と対峙する」ための自分たちだけの武器を!」