12.光羽遣章
戦闘の終った魔導魔術評議堂の屋上のテラスで咲川章子と半野木昇は二人だけで外の風に当たっていた。
「嘘みたい……。さっきまであんなに変わり果てていたのに」
眼下から見渡せる景色は、つい先ほどまであったあの大規模な戦闘が嘘のように穏やかな風景の広がる街並みだった。
破壊された街の景観は全て元通りとなり、その街で暮らす人々も戦闘が始める前と変わらずに日常生活を続けている。
「でもこの街で暮らす人たちにもさっきまでの記憶はある。
あの無差別な大規模の戦闘で大なり小なりの傷を負った人たちも、命が絶たれるほどの致命傷を負った人たちも、例えその体が元通りになっても、記憶までは消えていない。
今もきっと覚えてるはずだよ。自分がどんな傷を負ってどんな痛みと絶望をもって意識を失ったのか……」
この少年はにわかに信じられないことを平然と言ってのける。
「それをきみがやったの?」
「ぼくがやったのはこと切れる寸前の人たちを絶命一歩手前でエネルギー相転移によってその身体情報をほとんど位置エネルギー状態で固定するところまでだよ。
それで一応、あの戦闘終了まではなんとか敵味方双方とも魂まで消失させられることだけは避けることができた。
後はそれに蘇生魔術をかければ存在的な意味での人身蘇生は完了する」
「人を生き返らせたの?」
「そう」
章子の問いに昇は頷く。
「結局その最後の仕上げをやったのはゴウベンだけど、本音を言えば僕でもできた。
ゴウベンはきっと、そういう神さま染みたことを人間のぼくにはさせたくなかったんだろう。
ぼくを一年の内に死なせるとか言っておいて、変な所だけは律儀な神様だよね」
自分の事をさも他人事のように言う昇。
「人間は生き返らせることが出来る?」
「出来るよ。ただし、位置エネルギーが消えてなければだけどね」
昇の言葉に章子は眉根を寄せた。
「どういう事?」
章子の問いに昇は答える。
「位置エネルギーだけは復元することが出来ないんだ。
例えば今ここで僕が肉体ごと消えたとするでしょ?
するとエネルギー相転移状態という保険でもない限りその存在という「出来事」の根元である魂は位置エネルギーごと失われるんだよ。
そしてその失われた位置エネルギーは一度でもこの世界から消えれば二度と復元することは出来ない。
何故だと思う?」
「そんなの、分からない」
昇の問いに章子は首を振った。
「この今を記録し起こしている事紀にも
この僕の位置エネルギーが消失されたと記録されるからさ。
そして一度でも事紀にそう記録されたものは二度と書き直すことは出来ない。
取り返しはつかないんだよ。
次にまた同じ人間を同じ状態で同じ位置に完璧に蘇生発生させても、それは別の位置エネルギーの人間として事紀には新規に登録される。
そしてまた新たな位置エネルギーのループが出来上がるんだ」
「ループ?」
「あ」
章子の問いに昇はしまったという顔をした。
「ループってどういうこと?」
言葉を強くする章子に、しかし昇も目を逸らしてはぐらかそうとする。
「半野木くんっ?」
だが、さらに問い詰めようとする章子に昇もしぶしぶ答えた。
「……この世に生きる人も含めた全ての生命はね、その人生を位置エネルギーにのっとって永遠に繰り返し生き続けてるんだよ」
「どういう事?」
「人は死んでもまた同じ人生を繰り返すって事。
つまり僕たちのいるこの世界では輪廻転生や前世というものは存在しないんだ。
いや、強いて言うなら同じこの自分の位置エネルギーである人生を輪廻転生や前世として何度も繰り返してるって言う方が正しいのかな」
「そんな……嘘でしょ?」
しかし昇は首を振る。
「時間遡行はぼくたち自分たちの死で初めて実行されるんだ。
事紀にある位置エネルギーの最初の発生点を帰結点としてね。
だから自分の人生を悲観して自分の命を自ら断っても、またそういう人生を一から繰り返すしかないんだよ。
ゴウベンも言ってたでしょ、自分の人生が嫌なら今ここで変わるしかないって。
それは全てのこの世界の物体は自分の位置エネルギー上でしか生きられないからなんだ。
それを失うとまた最初の位置エネルギー発生点にまた戻される。
ぼくたちは決められた運命を生き続けるしかないんだ」
「そんなことって……」
だがよくよく考えてみればあり得ない話でもない。
宇宙起源が過去と未来でも繰り返し起きているというのなら、その話にも信憑性はある。
だがそれでも……。
「じゃあなんで私たちは自分たちの前の人生を覚えていないの?」
この答えはすぐに返ってきた。
「位置エネルギーは魂、自覚、精神意識をそこに縫いとめるだけの針だ。そこに記憶まで持っていくほどの容量はない。
そして縫いとめられている精神、意識にある記憶は肉体に依存する。肉体が変われば記憶もまた新しく変わってしまうんだよ」
さも見てきたかのように言う昇だが、章子にはにわかに信じられなかった。
「そんな話、私には信じられない」
「信じなくてもいいよ。
けど亡くなった位置エネルギーだけは復元できない。これは紛れもない現実だ」
だから位置エネルギーだけは失わせないようにしなければならない。
その必然性は章子にも理解できる。
「記憶……」
「え?……」
「そういえば、なんで生き返らせた人たちの記憶まで消さなかったの? 半野木くんならできるんでしょ?」
急に湧いた章子の疑問に昇は答える。
「記憶を消してどうなるの? ここであんな事が起こった事実は変わらない。
それにどの道、人は真実を探ろうとする。
それが例え、本当に欲しい自分に都合のいい真実じゃなかったとしてもね。
だったら最初からトラウマが残ろうが死の直前まで受けていた全ての感情や状態は覚えていた方がいいでしょ?」
昇は魔術の街並みを眺めたまま言った。
「みんなよく言うよね。
人も生き返らせれないのに人を殺すなって。
でも人を生き返らせることが出来たって人を殺していいわけがない。
人を殺して生き返らせて、人を殺して生き返らせて、そんなことを永遠と繰り返すなんて僕は御免だ。
せめて僕たちの世界の奴らにはこれぐらいの台詞は言ってほしいぐらいだよ。
「人を生き返らせてみたかった」って。
「人を殺してみたかった」なんて台詞は聞き飽きた。
殺すぐらいなら生き返らせてみせてくれよ。
僕はもうこんな世界はうんざりだ」
昇のその目は世界に問いかけていた。
「本当に亡くなった人はいないの?」
章子は純粋にそう思った。
章子の持つ真理媒体、光羽真章を使ってこの街全体を検索にかけたが、その記録されていく事象の推移から見てほとんどあの戦闘で命を絶たれた人間はいないように思われる。
「……いるよ。あの戦闘中でも、病気などの寿命とかで自然死するはずだった人たちは、さっきゴウベンに体を戻された時点でその天命を全うしている」
「あの状態で自然死っ……?」
それは章子も驚く現象だった。
「そんなことがあるの?」
章子の問いに昇は頷く。
「たぶんもうそろそろ街の被害調査に出ていたオルカノくんたちが帰ってくる。
そこでその情報を持ってくるはずだよ。
死因は恐らく全て寿命から来る老衰か臓器不全死だろう。それでもこの街でいても十人。
この魔動の時代じゃ、死因は殆ど寿命からくるものしかないだろうから」
「そんな……。
生き返らせておいて寿命で亡くなるなんて……っ」
「そこまで面倒は見きれないってことだよ。
本当にあの人は神さまだ。
業の使いどころを弁えすぎている。……だから業弁……なのかな……?」
昇はまるで全てを悟っているように呟く。
そのつぶやきの後に流れる時間は永遠なほど長く感じられた。
だから章子はふと突然思いついたことが言葉に出た。
「これから半野木くんはどうするの?」
自然と昇にそんな質問をぶつけていた。
「ぼくは……やらなくちゃいけないことがあるからこのまま行くよ」
「行く? 帰らないの?」
「帰る?」
「わたし達の世界よ。帰りたくないの?」
「ああ」
そう言って柔らかい風を受けながら言う。
「ぼくは戻らない。きっとあの世界には戻らないよ。少なくともこの一年はね」
「お父さんとお母さんは? 心配するでしょ?」
章子が言うと昇は笑って自分の真理媒体である赤茶色の本を見せた。
「これを使って自分の机に書置きを残すよ。取り合えず生きてるので心配するなって」
「そんな……。帰らずに、ここで?」
「とりあえず他のみんなと相談かな。結構、大ごとな事やっちゃったし。
……咲川さんは?」
「わたし……? わたしは……」
問い返され章子はどもった。
突然こんな出来事に巻き込まれてまだ二日も経っていないのに、これからどうすればいいかなどということは章子にだって考えられないことだった。
だから同じ境遇の昇についていこうかと、取りあえずそんな軽い認識しか章子には無かった。
「これから……」
「え?」
それが分かっていたように急に口を開いた昇に章子は一瞬呆気に取られる。
「これから僕たちの世界は変わっていくよ。
昔の超古代技術が六つも一つに集まったんだ。
魔法に魔術に動力機関に機械工学、そして精神精霊工学と超生物工学。
それに巻き込まれた僕たちの世界も否応なく変革していくだろうね。
明治維新の再来だよ。
いやそれ以上の変革だ。
世界維新が始まる。
いろいろな世界の技術が入ってきてゲームのようなファンタジー世界が現実で始まるんだ。
この第二世界のような光景がぼくたち現代社会にも当たり前のようになる時が来る。
そして……それ以上の困難も……」
「あ……」
何かに閃きかけた章子の視線に昇の視線が重なった。
「そうだよ。
侵犯。
これからアワントスさんの率いる「神の羊となる教え」は、これより始まる新世界よりはみ出し意図せず侵犯となってしまった人たち、あるいは生物たちの受け皿となって、その勢力を拡大させていくだろう。
それに対抗するには、やはりこっちもそれなりの組織なり機関なりを作る必要がある。
そして……その組織を作るにはその象徴となるシンボルが必要だ」
言って、昇は手摺に足をかけると乗り上がって、その細い足場に立つ。
「咲川さん。いや咲川章子さん。
僕はきみについていくよ。
光羽遣章。
これはその証しだ」
そして昇は自分の左胸に白い光の羽根を灯す。
その瞬間、今までリ・クァミスの青い衣を着ていた昇はその色を紺色に深く変え、クベルたち許約者のはためくような衣に衣服を変える。
「始めるんでしょ? 遣使……」
その姿に茫然となる章子の心をまるで読んだかのように昇は言った。
「遣使……?」
「そう遣使。
きみにはもうその具体像が思い浮かんでいるはずだ。
対侵犯対応世界機構。
きみはその全体像を掴みかけてる。
ぼくはそれを手助けしたいんだ。
それはきっとこの新世界の調和を保つ大切な役割をきっと果たすはずだから」
「半野木くん……」
「だからよろしく……咲川さん」
少女の迷う心に少年の手が差し伸べられた。




