9.世界掌握
開かれた数々の扉から数多の異形が渡ってくる。
輝く光の輪を頭上に浮かべた天使、角の生えた蝙蝠の翼を広げる悪魔、錫杖と幾つもの手肢を持つ御仏、金棒を持つ鬼、様々な武器を携えた小人に巨人たち。
そしてゴウベンの背後で展開する龍を排出した最大規模の異界の門。
「現在、この現実世界と接続させた世界は合計で七つほど。
この二十億年間、私が独自に設けた別の仮想情報領域で走らさせていた四兆はある同時平行幻想世界。
その仮想世界の住人たちを異界の門によって位置エネルギーごとこちら側に移し固体発生によって肉付けさせてこの現実空間に呼び寄せたものが、この目の前に広がる現象だ」
それは例えるならまさにオンライン・ゲーム上のモンスターたちを現実世界に召喚させたこととまったく同義である。
「彼らの世界には全て彼ら以外の世界は敵だと言い伝えてある。この世界や他の仮想世界こそ彼らの世界を脅かす驚異なる異世界だとね。
さあ、この混沌とした彼らの敵意に君たちは応えられるかな?」
天使と悪魔と鬼と御仏、小人、巨人たちがこの魔導の街を舞台にそれぞれを敵対者と認識した戦闘を開始させる。
その姿は三つ巴を超えた世界巴の戦闘となり、もはや誰が誰の敵なのかも判別できない。
天使は全てに罪を与え、悪魔もまた全てに災いをもたらし、御仏もまた全てに罰を下し、鬼や小人、十メートルほどの巨人たちも身の回りにあるあらゆるものを破壊していく。
さらにその混沌でさえ喰らい尽くす暴威の龍たち。
魔導の都、ヴァッハはもはや戦場ですら無かった。
それは広がっていく地獄。
誰もがその光景を見ればただ立ち尽くすしかないだろう。
高空に立つ真理や章子、オリルは愚か、その三少女たちを先ほどまで下していたクダリルでさえ目を見張る光景だった。
眼下では暴力が渦巻いている。
破壊される物がなくなるまでそれは続けられるだろう。
いや、それは破壊されるものがなくなっても止まることはない。
破壊は破壊さえも対象に荒れ狂うのだから。
破壊を破壊し、さらに破壊を破壊するまでこの混沌は終わらない。
「やめて……」
上空で見下ろしていた章子が言った。
「やめてよぉっ!」
それは悲痛な叫びだったが、だがこの時点でのそれは、ただ単なる自分たちの存在を対象に知らせる愚行でしかない。
「章子……!」
「バカね……」
屠った染み出る液汁で口を滴らせる龍の一頭が章子たちを仰いだ。
すぐに対象を残虐にしようと翼を広げる。
「共闘を期待しても?」
「ムリよ。それでも五分持たせないでしょ。アレではね」
真理の視線にクダリルでさえ、その抵抗を無駄だと悟らせる下からの威力を持つ凝視。
神の過去である少女でさえ飽きらめさせる程のその力は、地上でまだ生のある者たちの言葉にもなって表れる。
「主よ、
我らが主よっ!
貴方は何故、これほどの試練を私たちにお与えになるのですかっ?」
第二世界、聖教国グレーセの主である少女、聖女が叫ぶ。
しかしゴウベンは答えない。
ただその眼差しを昇に向けている。
「私たちが貴方さまに何をしたというのです? 私たちは貴方様の為にっ……!」
神のお告げを欲するあまり第二の聖女はただ修道女のように神に自分のこれまでの罪の行いを告白する。
「あなたの言葉を待ってますよ。神さまなんでしょう? 何か答えてあげたらどうですか?」
その光景にいたたまれなさを感じた昇は片手に本を開いて言った。
「言っただろう? 私は神ではないし、そもそも同性から見ても、あんな神などという見ず知らずの男に媚びる女というものは見ていて不快しか湧かないものだよ」
「同性……」
本当にこの闇の男の形をとる神が、元はあんな自分と年端の変わらない少女だというのだろうか?
昇は疑問だったがすぐにその思考も振り払った。
「でも……ぼくにだって神様がなんでここまでするのかは分からない」
「この光景を目の前にした君が、これからどうするのかが見てみたいからさ……」
「でも……もうこんなことは……いい加減止めなくちゃいけない……っ」
昇がゴウベンも無視して本の頁を横目に流す。
しかしそんな合間にも被害は拡大の一途を辿っていく。
その決めてが、今も神に懺悔を繰り替えし空に祈りを捧げる聖女の目の前に現れた。
それは天使だった。
頭上に浮かぶ天使の輪に白い袈裟懸けの衣。その姿はまさに聖教国グレーセが信仰して止まない天使そのものの姿だった。
振り上げれらたのは手に持った神槍の切っ先。
その矛先が聖女の心臓を捉えている。
これが悪魔だったらどれだけよかったのだろうか。
だが、聖女はそんな現実にも目を向けずただ神への祈りを続けている。
遂に力の込められた神の槍が振り下ろされた。
その槍が聖女の胸を鮮やかに貫くより先に、しかし槍はその寸前で威力を止めた。
いや止められた。
止めたのは青い真理の光。
その真理の光が青い結界のように盾となって天使の凶刃を防いでいる。
「世界番号……第321126番・異界の門……天界……」
ただ高空で呟かれる昇の声。
「それがあの生命の世界……」
昇が更にペラペラと本を捲る。
「……行けるか」
最後に呟いた昇がとうとうそこで広げていた本をパタンと閉じた。
「止まれよ……」
同時に章子たちに向けられていた龍の毒牙さえも青い真理がそこで縫いとめる。
空中で縫いとめられた龍は何が起こったのかが理解できていない。
ただ突然、金縛りにあったようにその場で体を痙攣させている。
そしてその小刻みに震える龍を解析するように現われる光学空間表示による光学罫線によって次々に示されていく数字と文字の羅列。
「これは第二世界の呪術、大拘束呪縛……?
でも、それと同時にこんな大規模空間での光学表示による解析魔動なんて……?」
突発的に発生した光学的な光景に目を見開くクダリル。
だが何も青い真理によって動きを止められたものは目の前の龍だけではない。
魔導首都圏の縁々にまで広がって戦闘を繰り拡げていた全てのゴウベンによって召喚されし者たちは今、それまでの激しい戦闘を嘘の様に止め、その静止が証明されたかのように自らの生体情報、出自情報を周囲の空間に光学表示され晒されていく。
「これは……まさか……光学世界表示?」
「真理……?」
魔導魔術評議堂の上空を中心点にして波紋の様に広がっていく多色の光学空間表示によって数多の情報が暴かれていくその光景。
「世界を……掌握した?
……世界掌握……ッ! 半野木昇……あなたは……っ」
「世界掌握?」
章子の問いに真理は頷く。
「そうです。
世界掌握。
文字通り、今のあの半野木昇はこの魔導空域の全て、或はこの転星全ての全情報を解析、分析しそれを掌握したのです。
それはオリルたち第一やこの第二の世界の対象解析技術、解析魔術や解析魔法の行き着く先、それよりも遥かに高次元に位置する完全解析掌握技術、真理学解析です。
真理学解析は対象を隅々まで解析しそこまでを全て暴かせる技術ですが、それは同時にパーセンテージによってその掌握率を測る物差しにもなります」
「どういう事?」
「……真理学解析により100%解析された対象物はその全てを同時に掌握されたことも意味します。
……すなわち」
「つまり、私が昇に全てを解析されたら私は昇に全てを掌握されたも同然で身も心も好き放題にされてしまうと、そういう事なのね……」
オリルの結論に真理は無言で肯定した。
「それって……」
「ほとんど神さまね……」
敵対者であるはずの章子とクダリルの意見が合致する。
「ただし、その規模はほぼ個人の技量に依ります。依りますが、しかし……、
しかし、この半野木昇の規模は……ッ」
世界掌握。それはその気になれば世界などどうとでも出来る力。
「私たちが今普通の思考ができているのは?」
掌握されたというのであれば思考さえも洗脳するができるだろう。
「ほぼ昇の恩情でしょう。どうやら彼はそういうのが好みではないようです……」
「変な男……。
でも、この召喚生物たちは、あの本来の私、ゴウベンによって強力な真理学防壁が何層にも重なって保護されていたはず。
それを突き破ったっていうの?」
「……でしょうね。でなければできない」
「……化け物……」
その化け物と罵る少年によって危機を逸した少女たち。
少女たちの視線はやはり目下の少年に集まっていく。
「世界番号、第117895番・異界の門……こんどは龍界か……。
あの時、オワシマスさんたちとほぼ同時に現われた竜たちも門から来ていたのか……!」
呟いた少年、半野木昇は神ゴウベンを見る。
「気づかなかった。ビサーレントさんが相手にした雷竜やあの時の子竜もこの門から来たなんて」
「それは当然だろう。あの時はまだ君に真理媒体は無かった。
しかし、異界の門に真理のみで触れただけで内部世界を世界転写までするとはね……。 きみはどこまで……」
「でないと……。あなたがここまで喚んだ彼らでさえ、ここで死んでしまうんでしょう……?」
「勿論だよ。彼らだってそれを覚悟してあの門を潜ってきたのだから」
「だったら尚更、彼らには自分たちの世界に帰ってもらいます」
「できるのかい?」
「しますよ」
昇の真理が色を濃くして紺色となっていた。
「還れ」
固定させていた全ての異形の者たちを、紺の真理の光によって包み込み次々にエネルギー相転移させて自分の本に内包転写して用意した世界、神の異界を模写した情報世界に向けてそれぞれの位置エネルギーを現実世界からそこへ移転させていく。
「これでデータ上、彼らはこの本の世界の中で生きていることになります」
昇の宣言に神ゴウベンも自身の黒茶けた本を開き確認する。
「確かに精神を固有化している位置エネルギーの情報化移転は完璧だ。しかし……」
ゴウベンは昇の後方を指差す。
「いいのかい? まだ一頭残っているよ?」
背後から鋭利な巨龍の爪が襲った。
その凶爪を紺色の魔法陣を盾にして昇は受け止める。
「っ……拘束呪縛!」
広げた本から呪術項目の一つを選び行使するが、それは龍の目の前に展開する闇の真理学の防壁によって弾かれる。
「真理学……プロテクト……!」
「もうそろそろだね。異界の門は何も門という機能だけではない」
昇に凶爪を向けていた龍を元の世界に消して、それでも神の双眸はその先を捉えていた。