3.強襲
食器の立てる音が会議の間の空間を満たしていく。
やはりこんな会合の場には別の目的で口を動かしておく行動も必要なようで、食事という余分な動作が加わったことは、さっきまで張りつめていた会談の空気を幾分、和らげているように章子には思えた。
「ところで、どうして固体は液体や気体より魔法として発生させるのが難しいの?」
そんな賑やかな雰囲気さえ生まれつつある中で章子は今まで疑問だったその問いを真理にぶつけてみた。
真理はそれに快く答える。
「いい所に気づきましたね。章子。
それは個体の体積を満たす位置エネルギーの固定形態が一番強い状態が固体状態だからです」
「んん?」
真理のその説明の仕方では章子にはなにも理解できなかった。
「こたいのこたい?」
「ああ」
真理は自分の言葉が章子に届いていない理由に思い至った。
「固体の個体です。
もう少し言い方を変えましょう。液体や気体、煉体状態の個体分子はその存在領域を決定付けさせている境界面、位置エネルギー幅が非常に不安定なのです。
だから同相同混力、つまり同じ形態の物同士の混ざりやすさが固体分子よりも比べて遥かに高い。
逆に言えば固体を別の固体に混ぜるにはそのほとんどの場合、液体や気体、煉体に一旦戻してからの方が断然に早い」
「ああ、そういうこと」
「魔法や魔術を使って物を発生させる場合、この固体の体積幅に占める位置エネルギーの固定領域が非常に厄介になってくるんですよ。
母ゴウベンも言っていたでしょう。魔法などの準真理手段による発生起点は全て「原初の開闢」にあると」
「うん」
「オリルの時代にはまだその発生起点を広げる技術がなかったんですよ。そしてクベルの時代ではそれを大きくさせる技術が失われていた。
要は開けられる門の大きさの問題です。
彼らの開けられる門は筆記用具で付けられる「点」の大きさよりも遥かに小さい点です。
そこから引き出せるものなど、本当に限られている。
それこそ液体や気体、煉体分子や原子が精々です」
そして食事を進める手を休めて拡げられた手を章子に向ける。
「だから煉体の一種である炎もこういう形でしか発生できない」
その手の平の中で小さな集約点から炎がガスバーナーのように伸びて燃え盛る。それは本当に針の穴よりも小さい起点だった。
「真理を使えばこうです。違いが分かりますか?」
今度は噴き上がる炎が丸くなり、明るさも増して小さな太陽のような形に落ち着く。
「円と球の違い……?」
章子の答えに真理も肯く。
「そうです。魔術や魔法ではこういう立体的な体積発生が困難なんです。
いえ、真実やってやれないことはないが、この科学段階ではそれをやればこの状態を維持する為に計算感覚を行っている脳内神経か集積回路が焼き切れるぐらいの負荷がかかるでしょうね。
出来ても精々が視覚的効果に限定される光学空間表示ぐらいが関の山です」
「でも氷とか水の固体はオリルやクベルの世界でも出来るんでしょ?」
真理が昇の母校で剣界を使った時、確かにそう言っていた。
「よく覚えてましたね。どこかの誰かさんとは大違いです」
言って章子と同じ時代のもう一人を見る。
「あれは間接的な固体発生です。水を発生させた瞬間に凍結させて固体としたものに過ぎません。冷却、温度上昇などの力場発生もほとんどその難易度は気体発生と大差はないですから」
そして真理はグラスで口を潤す。
「もうひとつ付け加えておくと、我が母ゴウベンがこの惑星を召喚させた時の起点幅も彼らリ・クァミスやヴァルディラ紀の起点幅と大して変わりありません。
そこから母は固体発生をして見せたのですよ。
真に科学技術が発展していれば起点が小さくても固体は発生できる。要は光の速さを超えて位置エネルギーの速度も超えた、「事」の速度のまま固体が発生できればいいんですから」
それは章子にはまだよく理解できない話の領域だった。
「よく分からないけど……じゃあクベルのあの時の核爆発は? クベルは二番目の時代なのに立体的に炎を起こして見せたわ」
章子のその発言は耳聡くも許約長であるモーゼスの眉根を顰めさせた。
その背後に立つ、手に持った皿の料理を頬張ったクベルが今世紀最大の失敗をしたかのような顔をして額に手を当てる。
「あ……」
章子はつい憶えていたことを言ってしまった。
あの覇星の少年シイルに立ち向かっていった時の球体型の核融合爆発。
あれは確かに球体型だった。
しかしそれはもう遅い。クベルには不承不承、後で謝るとしよう。
「あれは許約魔術の一種でしょう? 許約者の剣はほとんどギガリスの直系と言ってもいい限りなく真理媒体に近い、数少ない魔動媒体です。
恐らくですが、許約者の中でも地の許約者などは最初から固体発生も可能だと推察できますね」
まるで最初から全てが分かっているかのような物言いだった。
いや、実際知っているのだろう。
なんと言ってもこの惑星を作った張本人の娘なのだ。
あの神のような人物からあらかじめ全てを教えられているとしてもなんら不思議ではない。
そんな邪推をしてしまうぐらい、この目の前にいる少女の知識量はこの場にいる誰もが言葉を失うほど桁違いだった。
そう、章子の隣でただ一人、もくもくと料理を口に運ぶ半野木昇以外には。
気づけば食事に没頭する昇以外の人間全てが真理と章子の会話に注目を集めていた。
「どうやら、お主に質問をぶつければこの新世界に対しての答えが返ってきそうだの」
白い眉根を上げて許約長ヨーゼスが口を開いた。
「構いませんよ。ただし、あなた方第二の国からは一国につき質問は一回までにしてください。他の世界の方々には三回まで質問に答えましょう。それでかまいませんね?」
真理の提案にヨーゼスも肯く。
「第二?」
「ええ」
章子の視線に真理は頷いた。
「いつまでも第一とか一番目の世界とかいろいろな呼び方は統一しておきたいでしょう。私からは第一時代、あるいは第二文明、第三~という呼称案を推挙します。それがこの問答に対する対価だと考えていただければ幸いですが……?」
ちらりと真理に見られたアグリッパもこれには同意した。もちろんそれは他のオズたちも同様である。
「異議のある方は?」
見回す周囲からは、しかし反対意見は上がらなかった。
「ではこれを最初の新世界決定といたします」
アグリッパが決定の証明である手槌を鳴らした。
「ではどうぞ順番は問いません。質問のある方からお答えします」
「それには及ばないよ」
突然、降ってわいた世界に響く低い声。
「質問があるなら私にすればいい。もっとも、君たちが考えてきた質問、議題などたかが知れているがね。
そうだろう? 真理」
真理の背後で突然現れたこの世界を創った張本人、神ゴウベンがその椅子の背もたれにそっと手を添える。
「しかし、君たちは気づいていない。今、この議場にこれほど渦巻いている情念の空気に」
「情念?」
突然現れ突然語りだしたゴウベンに訝しむシイルが訊いた。
「そう、情念だ。
『いつまでこんなバカなことをやってるんだ』
『答え何てとっくにわかっているだろう』
『この新世界に呼ばれた各々の世界の中で欠けた人間なんていはしないし、死人だって出てはいない。
そんなものをこの神が出すわけがない』
『神にとって命なんてものはどうでもいい。
たが、召喚させたこれらの世界だけは極力元の世界の状態のままでなければならない。
もちろん、ただの一人たりとも欠けてはいけない。
でなければ意味がない。
この新世界を見せなくてはならない人間とはそういう事にも敏感だからだ』
『……そして、ただ元の世界どもを呼び寄せただけでも完全ではない。
昔の世界がそうだったからだ。
あの現実の世界は魔法や魔術を使うには狭すぎだったのではなかったか。
だからこそ、ここには新たな大陸がいる。
強大なこの魔術や魔法や真理行使にも耐えられる果てしない舞台が……』」
独白していくゴウベン。
その姿を目の前にして章子は自然と昇を見ていた。これを考えているのは昇だと思ったからだ。
だが違った。
その判断は最悪の誤りを含んでいた。
ゴウベンは続ける。
「『私にはそれが分かる』
『それが私の夢だったからだ』
『しかし、なぜそれをここまで完璧な形で先取りされてしまった? この構想はまだ誰にも話してはいなかったはず……!』
『それどころか私の回りでさえ現時点で真理学に通じる次の切っ掛けさえ気づいていない奴らが大半だった。
私にあともう少しの時間さえあれば、こんな奴らを出し抜ける。
一人の人間が一国の科学技術を凌駕できる瞬間が来る』」
ゴウベンはただあらぬ方向を見ては言葉を羅列していた。
その瞬間は間近にまで迫ってきていた。
それは……。
「『それにしても不思議だ。なぜ誰も気づかない? 魔法による固体発生までに辿り着くには発生起点の位置エネルギーの拡張が必須になる。だが皆が気付いてるのはそこまでだ。
そんな見せかけだけの発生点の位置エネルギー拡張ばかりに目がいって、肝心の足元が疎かになっている』
『位置エネルギーを拡張させるという考え方の順序が間違っているんだ。
さっきもあの子が言った通り、超えるべきは位置エネルギーの伝導速度であり、「事」という最大速度への到達だというのにっ』
『それさえできれば魔法による固体発生も可能になる。私たちの物体機動もただの物理挙動の持続性からその先であるエネルギー相転移機動にまで幅が広がる。
そしてそれは次の段階にまで昇り詰めることのできる階段でもある!
あの……、
あの……オワシマス・オリルでさえ気付いていない次の段階へのッ!』」
甲高い音が鳴った。
それはこの場にいた誰もが目を覚ます程の何か鋭利な物と物とがぶつかったような音だった。
章子はその発生源である隣を見た。
章子の隣では急に立ち上がった昇がオリルの手前で、オリルに向けられたナイフを、それと同じ食器のナイフで受け止めていた。
震える力を込められたナイフとそれを静止させる微動だにしないナイフ。
その光景をみてオリルは目を丸くしていた。
「どうして……?」
湧き上がったのは疑問だった。
ただ純然たる疑問。
オリルに凶刃を向けたその手を震わせる主はオリルと同じリ・クァミスの人間だった。
しかも、その凶刃に渾身の力を込めた表情は憎悪に満ちている。
「どうして……? そんなことも分からないの? オワシマス・オリル」
言った煌びやかな声はだがそれとは正反対に、大人しそうな印象を受ける眼鏡をかけた臆病そうな少女だった。
それはリ・クァミスに用意された末席の一番下座側に座っていた少女。
途端、その少女はどこか気が抜けたのか、今度は凶器を握るその両手を緩めて昇の隣を掠め通る。
「まさか、あなたがそうだったなんてね?」
少女は気安く隣に並んでゴウベンに語り掛ける。
「待たせてしまって申し訳なかったね」
神の謝罪に少女も首を振った。
「別にいいわ。まさか私も未来がこうなるとは思わなかった」
「そうだね。それは私も同感だ」
そして言う。
「私はこれから彼に見せなくてはならない。例のアレを……」
言ってゴウベンはその闇の手の平を少女の手の平に合わせるように触れる。まるで手にあった何かを渡すように。
「これでやればいいってわけね……」
少女の言葉にゴウベンは頷く。
「どういうことなの?」
立ち上がったオリルが少女に訊いた。
少女は言う。
「自分で調べてみればいいじゃない? もう真理を持っているんでしょ?」
だが目を凝らすオリルはその少女のことが分からない。
「なら私から紹介しようか。これは我が娘、真理も知らない事実だ」
神は告げる。
「この子はクダリル。
アワントス・クダリル」
伸ばされた闇の手が少女の肩に伸びる。
「この子こそ、私の過去にして私の原点。当時のかつての私の姿であり私自身だった頃の女の子だよ」




