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西国鉄物語  作者: サモト
5/10

5.

 暖かい季節だが、それでも水に濡れると身体が冷えた。かやはいろりの火にあたって身体を乾かしながら、爪が紫色に染まった手に息を吐きかけた。


「足を滑らせて川に落ちるなんて、災難でしたね」

「ウチの不注意や。ありがとな、服まで貸してもろて助かるわ」

「気にしないで下さい。まだ寒いですよね、お酒もらってきます。中からも身体あっためないと」

「もうええって。大丈夫や」


 かやは止めたが、りんは聞かずに出て行った。しばらくして、りんではなく、ナギが酒の入った器を持ってやってきた。かやは器を受け取ると、無言で中身をちびちびと飲みはじめた。ナギが隣に腰を下ろしたが、一言もない。身じろぎ一つしなかった。いろりの火に視線を固定している。


「嘘じゃろ」

「何が」


 かやはそっけなく返した。

 ナギは黙ってかやの腕を取る。桶をぶつけられたとき、とっさに顔をかばったせいで腕にアザができていた。ナギは薬草を取り出して治療しようとしたが、かやは乱暴にその手を振り払った。

 構われたくなかった。ナギに見られるだけでも、心がささくれ立つ。


「寒い、か?」

「べつに」

「何か食べるか」

「いらん」


 端的な回答に、ナギもついに黙った。赤く炎のくすぶる炭火を前に、二人とも貝のように口を閉ざす。


「……かや」


 パチ、と木が爆ぜたとき、ナギがようやく唇を押し開けた。


「なんや」

「……すまん」

「何がや」

「……」


 答えはなかったが、かやには分かっていた。心に凶暴な感情が一気にあふれ出す。

 ナギが謝ったところで、かやも嫌われるという事実は変わらない。自由の身になれるわけでもない。ただこれからも、この現実が続いていくだけなのだ。

 かやが欲しいのはただ一つ、鉄の国から逃れる手立てだけ。謝罪などかやには無用の長物だった。心の底からのものであれば、なおさら。一方的な謝意はわずらわしく、憎悪をかき立てる要因でしかない。


「あっち行って」

「かや」

「あっち行ってっていっとるやろ! 構わんといてや!」


 かやは叫んだが、ナギはなかなか立ち去らない。なだめようと手を伸ばされ、かやは逆上した。思わず、手に持っていた器を投げつける。


「……あ」


 器は床に落ちて割れた。いろりにこぼれた酒が芳醇な香りをただよわせ、かやの正気を呼び覚ました。ナギの呆けた表情に罪悪感が湧いたが、かやの口から謝る言葉は出なかった。


「――ウチ、帰る。明日、村に帰るわ」


 ナギが顔を上げた。


「もうええ。たくさんや。村に帰る」

「……分かった。送ってく」

「ええ。一人で帰る」

「じゃけど」

「構わんといってっていっとるやろ!」


 厳しく拒絶すると、ナギは「分かった」と諦めたようにつぶやいて、外へと出て行った。


 一人になったかやは、器の破片を一つ手に取った。もう一つ破片を拾い、さっきの、ナギの呆けた顔を思い出す。老婆に水をかけられたときの自分にそっくりだった。謝れなかったことが、今になって悔やまれた。

 破片を拾い集めて器を組み立てようとしたが、破片が一つどこかへいってしまってどうしても組み上がらない。なぜだか、目に涙がにじんだ。


 酒宴はたけなわで、喧騒が背にかかる。クサリの豪快な笑い声や、鉄の国の民謡が鼓膜をふるわせる。様子を見に行くと、ナギはりんと楽しげに話していた。時々、クサリがりんにちょっかいをかけて、他の者たちにたしなめられている。りんはすっかり、かやのいた場所になじんでいた。


 なぜ自分はりんのようになじめないのだろう。

 嫌っていながら、かやの胸にはそんな疑問が浮かんだ。素直に彼らの好意を受け入れられているりんが、羨ましくて妬ましかった。


 まだ湿った身体に風が吹きつけた。寒かった。

 かやはいろりの前に戻ると、立てた膝に熱いまぶたを押しつけた。

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