4.
りんを返したことは予想以上の結果をもたらした。悪い印象があるだけに、良いことをすると余計にそれが際立つのだろう、りんの父親でもある村長は目尻に涙を浮かべて喜んだ。
さらに、クサリが手土産として鉄製の農具や武具をいくつか渡したので、村の人々の態度は軟化し、すぐに酒宴の用意が整えられた。
「快く協力していただけてなんとお礼をいったら良いか……。失礼なことながら、今まであなた方を誤解していました。こんなに良い人たちだと知っていたら、もっと交流を図っていたのですが」
「いやいや、こちらも麓の方々にはいつも迷惑をかけていて、申し訳ないと思っていたんですよ。これを機会に、お互い仲良くしましょう」
村長とクサリは、互いに互いの盃に酒を注いだ。酒宴は野外で行われていた。地面には獣の毛皮が引かれ、二つの村の人々は円になって座った。麓の人間も、鉄の国の人間も大いに酒を酌み交わし、米や芋、あわ餅、川魚、肉、木の実、果物など多種多様な食べ物をつまんだ。村の女たちはその間を縫うようにして、せっせと給仕をつとめた。かやもナギの隣をはなれ、村の男たちに酌をして回った。
「かやちゃーん、俺にも一杯」
「はいはーい、待っとってやー」
かやは愛想よく応じ、尻に手を伸ばしてきた酔っ払いをはたいた。はたかれた方も、かやも、あっけらかんと笑い合う。もはや完全に溶けこんでいた。ナギは複雑な表情で盃を空ける。
「ナギさん、お代わりはいかがですか?」
「あ、悪いな、りん。酌させてしもて」
「気にしないで下さい、かやさん。ナギさんは命の恩人ですから」
「良かったなあ、帰って来れて。親父さんも喜んどるし、良かったわ」
「本当にありがとうございました。……でも、鉄の国に居るのもいいなって、思ったりしましたけど」
最後の方は消え入りそうな声だった。りんは頬を赤らめながら、楚々とした風情でナギの器に酒つぼを傾ける。クサリが声に出してうらやましがった。
「ええなあ、ええなあ。りんちゃん、わしにも注いでくれんか?」
「ウチが注いだるわ、このスケベ親父」
「かやのケチ」
「母ちゃんに告げ口するで」
クサリはううっと黙った。
「りんちゃん、鉄の国に嫁に来やんかー?」
「え……っ!」
「そうそう、ナギの嫁にでも。そうすれば、毎日りんちゃんの顔が間近で拝める」
「クサリ殿、りんが困っとる」
ナギは苦笑してかるく受け流したが、かやは目をしばたかせた。話題の主は真っ赤な顔をしてうつむき、まんざらでもない様子だったのだ。かやはニヤニヤしながら、肘先でナギをつついた。なんじゃ、と不可解そうにされる。
「りん、ちょっとここの席取っとてえな」
「あ、は、はい」
「かや、どこ行くんじゃ」
「どこでもええやろ」
「かや」
「あーもー、用を足しに行くだけや。こんなこと乙女に言わせんなや」
ナギの隣をりんに譲り、かやは酒宴の円から外れた。気を利かせたというのもあるが、村を歩き回ってみたかったのだ。鉄の民であるナギが一緒では台無しになる。篝火の光が届かない場所まで来ると、かやは深呼吸して、思いっきり伸びをした。
何年ぶりだろう、麓に来たのは。月明かりを頼りに歩きながら、かやは幼い頃のことを思い出す。麓に下りたのは、幼い頃の一度っきり。クサリに連れられて麓近くまで来たときに、平地の暮らしが恋しくなって、我慢できずに村まで降りたのだ。
かやは見覚えある柳の木を見つけて立ち止まった。ここで、村の子供たちとかくれんぼをしたのだ。日暮れまで一緒に遊んだ。しかし、ナギが迎えに来ると、村の子供たちの態度は一変した。一言だれかが鉄の民、というなり、全員が仇と対峙したような顔つきになった。ナギだけでなく、かやに対しても。石を投げれて、追われるように山に帰ったときのことは未だに忘れられない。鉄の国への憎しみを自覚したのはあの時だった。
「……談じゃないぜ……んざん……」
話し声に、かやは我に返る。村の男が二人並んで話しながらやってくる。居てはいけない気がして、かやは柳の影に隠れた。
「まったくだ。今までどれだけ迷惑をかけられたことか」
「そうそう水に流せることか。昔、女を攫われたことだってあったっていうのに」
「あいつらの手を借りるくらいなら、負けてもいいから、自分たちだけで戦った方がマシだ」
鉄の国の人々への愚痴だった。男たちはかやに気づかず、目の前を通り過ぎていった。どうやら村は一枚岩というわけではないようだった。かやは柳の影から出て、また家々の間を歩きはじめたが、突然、水をかけられた。家の入り口に老婆が桶を持って仁王立ちしている。
「ふん、とっとと帰んな! あんたたちにくれてやるもんなんて何一つないよ!」
老婆はかやを睨むと、桶を投げつけて家の中に入っていった。かやはあっけに取られて、しばらく立ち尽くしていた。