3.
かやは甲斐甲斐しくりんの世話をした。緊張をほぐそうと快活に話し、りんが不自由な思いをしないよう、細かい配慮を忘れなかった。まるで赤子を世話するような応対で、養母が苦笑したほどだった。
「かやはご機嫌じゃな」
「だって、嬉しいんやもん。年の近い女の子がおって」
柴垣の向こうに言葉を投げ返し、かやは鼻歌を歌いながらつるべを取った。水を汲み上げ、銅製の浅い器に水を満たす。りんの身支度のために用意しているのだった。
「でも、りん、そのうち帰ってしまうんやよな。つまらんな」
「いや、帰らんじゃろ」
「へ?」
「りんは贈り物みたいなもんじゃ。麓の村から鉄の国への。だから、帰らん」
かやはつるべを落とした。井戸の底で、水面に波紋がひろがった。
「な――んで。酷いやないか。そんな、物みたいに」
「そうじゃな」
かやは冷静なナギに腹を立てたが、ここで怒っていても埒が明かない。家を飛び出し、門のところで出発の準備をしているクサリの元へ走った。ナギも後を追ってくる。
「ぬし様、りんも連れてきや!」
「なんじゃ、かや。いきなり」
「麓の村には迷惑かけとんのや。協力するぐらい、タダでやったればええやろ」
クサリはようやくかやの怒っている事情を把握し、いや、でもなあ、とあさっての方角を見やりながら頬をかいた。
「せっかくくれるといってくれとるんじゃし、断るのも」
「今、寛大にふるまっとけば、感動して女子がぎょうさん寄ってくるかも知れへんで」
「そ、そうじゃろか?」
「少なくとも、ウチは感動する。見直す。惚れてしまうわ」
クサリの心は目に見えて揺れた。しばしの思考のあと、よし、とうなずく。
「そうじゃな。常日頃から、麓の村には迷惑をかけとる。困ったときはお互いさま。りんは返してやらないとな」
「やろ? じゃ、りんを連れてくるわ。あ、ウチも付いてってええか? 大人しゅうしとるで」
「いや、かやは」
「いやや、ぬし様。そんな殺生なこといわんで。な」
かやはクサリの腕に身体を押しつけ、甘えた声で駄々をこねた。クサリはデレデレしながら、ま、いいじゃろ、とあっさり承諾した。
「かや」
「ええやないか。りんと話せるの、これで最後になるかもしれんのやし。ナギのケチ」
かやは舌を突き出し、家へと戻った。身支度を終えたばかりのりんの手を引き、門のところまで連れて行く。すると、ナギも馬を用意して待っていた。
「なんや、ナギも行くんか」
「クサリ殿の頼みじゃ」
いって、ナギはかやを馬上に引き上げた。りんはクサリが引き取る。
「何すんのや。これじゃ話せへんやないか」
「だって、わしもりんちゃんと仲良くしたいもん」
「ずるいー! 下ろせー!」
かやはじたばた暴れたが、落ちかけて、渋々おとなしくなった。クサリの陽気な号令がかかり、総員八名の一行は出発する。
「かや、遊びに行くのと違うんじゃから、大人しくしとれよ」
「分かっとるわ」
かやはなぜナギも一緒なのだと不満をくすぶらせる。答えは簡単、かやが逃げ出さないよう見張らせるためだ。どこへ行くにも、たいていこの幼なじみがついてくる。
かやに自由はあるようでない。将来は鉄の国のだれかに嫁ぐことが決まっており、逃げ出せば殺される――とまではいかないが、クサリの養女という立場から一転し、奴隷のような扱いになるだろう。元からそういう扱いを受けなかったのは、父親に見捨てられた幼い子供への恩情であり、それを裏切れば容赦のない扱いが待っている。
ナギの腕の中、かやは憤懣を募らせる。転べば助け起こしてくれ、野犬に襲われれば庇ってくれ、枯れ井戸に落ちれば引き上げてくれるこの頑強な腕すらも、よく見れば、自分を閉じこめる檻でしかないのだ。
「おお、見えてきた」
クサリがひろがる水田に感嘆の声を漏らした。手入れをしていた農夫たちが、鉄の国からの来客に気づいて寄ってきた。丁重に村長のところへ案内されるものの、彼らの態度はよそよそしい。クサリやナギたちと同等の嫌忌の視線を浴びせられると、かやは一層この赤銅色の腕から飛び出したくなった。