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鉄の国。それは大陸の西にある。
鉄の国の人々は、土を耕して田畑を作るかわりに、火を燃やして鉄を作る。すぐれた鉄を生み出す技術を秘匿するため、人里はなれた山奥で、ひっそりと。異国との交流は少なく、大陸の人々も、また、鉄の国の人々もお互いのことをよく知らない。鉄の国の東端にある山、その麓の村が唯一両者のまじわる場所だった。
「……ほんまに遠いわ」
山で見晴らしのよい場所に立ち、かやは嘆息した。両手の人差し指と親指で作った輪の中に、麓の村はきれいに収まる。遠いといっても、朝に発って昼には着く距離だが、かやには遠い場所だった。距離的な意味ではなく、精神的な意味で遠い。
かやは腕を下ろし、肌に触れた冷たさに眉間を狭めた。左腕にはめられた鉄の腕輪は、朝の空気に冷えていた。冷たく硬く、何年経ってもなじまない感触。苛々と黒髪をかきあげる。
「かやー」
自分を呼ぶ声に、かやはあわてて麓の村から目を逸らした。山菜の籠を取り上げると同時に、山木の間から巨木と見紛うばかりの青年が現れた。かやの幼なじみの、ナギだ。赤銅の肌をした筋骨たくましい青年で、背丈はかやより腕一つ分ほど高い。赤銅色の肌も、巨大な体躯も、鉄の民であることを表しており、隆々とした肩にかついでいる金棒は国主の血筋であることを示していた。
「なんや、ナギ。来とったんか。何か用か?」
「何しとるのかと思ったんじゃ。山菜採りか?」
「見てみ、たらの芽がぎょうさんや」
かやは村に背を向け、幼なじみのそばに寄った。並んで村へと歩き出す。
かやの肌は白く、身体はナギより小さく華奢だ。二人が一緒にいる姿はどうにもちぐはぐだった。
それもそのはず、かやは元々この国の人間ではなかった。鉄の民は男しかいないため、まず性別の時点で違うと断言できるのだが、外見が示すとおり、かやは他国の人間だった。
かやが七歳のとき、かやの父親はこの国で人妻に手を出し、さらに鉄を盗んだ。当然鉄の国の住人は怒り狂い、報復に走った。その際、父親は命乞いにかやを差し出したのだ。男しか生まれない鉄の民たちにとっては、幼い子供であっても、女は喉から手が出るほど欲しい。かやの父親は助けられ、代わりに、かやは無骨で異様な鉄の民たちと一緒に暮らさなければならなくなった。
去っていく父親の後ろ姿を思い出すたび、かやは憎々しくなる。なぜ自分がこんな所に居なければならないのだろう。女に手を出したのも、盗みを働いたのも、自分ではないのに。
「どうしたんじゃ?」
遅れているかやを、ナギが振り返る。かやは「ナギが早すぎるんや」と口をとがらせながら歩調を早めた。村に帰りたくないが、他に帰る場所も考えつかない。麓に後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、かやは山道を登った。
「そうそう、さっき麓の人間に会うたんじゃ」
「麓の人間に?」
かやは目を丸くした。鉄の国は麓の人間に嫌われているからだ。鉄の民たちはこの辺りで見かけない姿形をしている上、製鉄という作業は川を汚し、麓の水田を傷つける。麓の人間が鉄の国に来ることはめったになかった。
「しかも女子でな。かやと似たような年の子じゃった。かわいそうに、野犬に襲われとったんじゃ」
「女の子が? 男ならまだ分かるけど、なんで」
「クサリ殿に伝えることがあって来たらしいんじゃが、なんで女子なんじゃろうなあ。クサリ殿は女子が好きじゃから、男が来るよりはいいと浮かれとったが」
かやは苦笑しているナギを見上げた。何か知っているような口ぶりだったからだ。
しかし、ナギは金色の目に迷いを見せただけで、何もいわなかった。
「どんな子やった?」
「名前はりん、といっとったな。色白のかわいい女子じゃったぞ」
「なんや、それだけか?」
「他は、そうじゃな……かやより軽かったな」
かやはナギのすねに蹴りを入れた。
「っていうか、なんでそんなこと知っとんねん」
「その子、疲労困憊としとったから村まで背負っていったんじゃ」
「ちゃうわ! なんでウチの体重を知っとんのや!」
「なんでって……かやが変な所で寝こけたとき、だれが寝床まで運んどると思っとたんじゃ」
かやは絶句し、顔を真っ赤にした。
「嘘やー! ぬし様やと思っとったんにー! 何すんのやー!」
「何するはないじゃろ。人がせっかく運んどるのに」
「じゃー、もう運んでくれやんでええ!」
「その前に、ちゃんと寝床で寝たらどうじゃ」
ぎゃーぎゃー悲鳴を上げるかやに、ナギはやれやれとため息をついた。
「そうや。それで、ぬし様の所に来たってことは、女の子はうちに居るんやな? 今日は泊まっていくと思うか?」
「たぶんそうじゃろ」
かやは顔をかがやかせた。麓の、しかも自分と同じくらいの年の女の子。胸がはずんだ。
「ナギ、早うせんと置いてくでー!」
「はいはい」
かやはナギに負けないくらいの歩幅で、意気揚々と山道を進んだ。