開戦
午後六時を過ぎても大分明るかった西の空が、漸く穏やかな暗い群青色に染まってくる。
無数の星々が美しく輝く空の中を、夜の色に同化しそうな異形の影が泳いでいた。
「フン……匂うな。こっちの方か」
漆黒に青のラインが巡る外甲。
風を受けてはためく大きなマント。
六本の角を生やした頭部に、青白く浮かぶ双眸と口。
『鯨皇サーグライ』が、しなやかな動きで宙を舞っている。
照明が煌々としている都市部から離れ、サーグライは闇の深い山の上を飛行していた。
目を皿のようにして、何かを探し求めている様子だった。
「――いやがった」
ある一点を見つめたサーグライが、ふと何かに気付く。
口端を嬉しそうに吊り上げると、潜水するような動きで急降下した。
木々がまだらに生えるゴツゴツとした山肌に降り立つと、サーグライの眼前に巨大な黒い物体が現れる。
「へぇ……まぁまぁ集めたじゃねーか」
愉悦を微かに含んだ言葉を漏らすサーグライが見上げるのは、大量の《星魔》の集合体だ。
獣や鬼、悪魔と呼ばれそうな外見をした魔物達が、不細工な粘土細工のように丸められ、存在している。
(ア、アアア……タスケテクレ……!)
(ウゴケナイ……クルシイッ……)
(ソノ ケハイ、 ワレラガ ナカマダナ? タノム、タスケテクレ……!)
苦悶と怨嗟の念で大気を震わせる《星魔》達の嘆き。
サーグライはバイザーに浮かぶ青白い口の端を、顔の両端まで届く位に裂いて、広げて、大笑いした。
「アッアッアッアッ……! 馬鹿共め。何で俺が弱者の手助けなんぞしなくちゃならねーんだ? 下級《星魔》如きが、気易く俺に話しかけてんじゃねーよ」
張り出した双肩を大きく揺らし、サーグライは目の前の同胞を嘲笑する。
同時に凝り固まっていた《星魔》達の身体が、黒い霧のように崩れ出した。
(ヲ、ヲヲヲ……!? コレハ ドウシタコトダ……!?)
(カラダガ、カラダガ クズレテ ユク!)
(チガウゾ、コレハ……ヤツダ! ヤツニ スワレテ イル……!)
ざわざわと狼狽する《星魔》の巨大な身体は、まるで掃除機に吸われる砂粒のようにサーグライの口へ呑み込まれ始めていた。
青白く不気味な口蓋の奥へ吸収される事実が《星魔》達を驚かせ、そして怯えさせた。
(ヤ、ヤメロオオォッ! クワナイデ……クレェ!)
(ナカマヲ クラウ ダトッ……? オマエハ、オマエハ……!)
(ホシノミ! ホシノミダ! オオオ、ヤメェロオォォ……!)
「はははははぁっ! ウルセェよ! てめぇら全部、俺の糧になりやがれー!」
残酷に豪快に笑うサーグライの口を中心に、大気が渦を巻いて風が吹き荒ぶ。周囲の木々が大きく揺れ出して、小枝が弾け飛んだ。
高さ十メートルはあった黒い塊は見る見る内に縮こまり、最後は跡形もなくサーグライの口中へ、ひゅぽんっと吸い込まれていった。
「……ふぅ。……味はイマイチだが、量はまぁまぁか……」
低く呟きながらサーグライが腹を軽く撫で摩っていると、何処からともなくパンパンと手を叩く音色が響いてくる。
青白い双眸が辺りを見渡すと、少し離れた大木の影から一人の男が姿を現した。
「これはこれは、なかなか面白いモノを見せて貰いました」
「人の食事を覗き見するとは、イイ趣味してるじゃねーかよ、人間」
白地に金の刺繍が施されたローブに、鳥の翼を思わせるマントを纏った白人。
悠然と歩むグエインを一瞥し、サーグライは口角を持ち上げて皮肉を呟いた。
「《星魔》を喰らうという情報が真実か、是非この目で確かめたかったのでね。……それに私が居た事は、どうせ気付いていたんでしょう?」
「まぁな。これだけお膳立てされれば、アホでも気付く。しかし俺をディナーに誘うなら、もっと上等なヤツを用意しておけ」
「これは失礼。お口に合わなかったかな? あれだけの数の《星魔》を、滅さず生け捕りにするのは結構大変だったんですがね。……覚醒したての上に手傷を負っていたアナタなら、力を補給する為に喜んで飛び付いてくれると思ってましたよ」
芝居がかった口調と身振り手振りで話しかけてくるグエインを見つめながら、サーグライはクックと小さな笑みを噛み零す。
「矢張り俺をおびき出す為の罠だったか。……街中に妙な結界を張り巡らせたのも、テメェ達だろ? 肌がピリピリして、居心地が悪かったぜ」
「ええ。市内で面倒事を起こす訳にはいきませんからね。周りに人気の無いココでなら、気兼ねなくアナタを滅ぼす事が出来ます」
「住処から追い出し、餌で釣る。単純な策だが、乗ってやったぜ人間。目覚めたばかりで身体が鈍ってンだ。……相手してやるよ。かかってきな」
サーグライは中指を立てて、ちょいちょいとグエインを挑発した。
「余裕ですね。では《大星魔》の力がどの程度のものか、見せて貰うとしましょう」
グエインは微笑を浮かべ、軽く片手を上げた。
すると木の裏から素早く新たな人影が現れる。
グエインと同じように後頭部で髪を一括りにし、身に纏っているのは純白の剣道着と袴。
そして百合柄の竹刀袋を肩から提げる少女――平井義乃だ。
「……ああ。お前か、小娘」
サーグライが注ぐ視線の先で、義乃はグエイン卿に二つの物を手渡した。
一つはブロンズ製と思われる一本の金属杖。
もう一つは同じくブロンズ製の小さな聖女象だ。
二つをグエインが手にした瞬間、彼の首元を飾るチャームが光を帯び始めた。
「ご苦労様です、義乃。……では我が最強の攻守顕現にて、お相手しましょうか」
厳かな口調でグエインが呟いた瞬間、暗い山中に突然小さな太陽が生まれた。
周囲の木々を覆い尽くし、影すら黄金色で塗り潰す勢いの激しい光だ。
サーグライは思わず片腕を顔の前へ翳し、闇の身体を焼くような眩さに舌打ちをする。
「……お待たせしました。――さぁ、始めましょう。アナタにとって末期の舞いを」
やがて全ての光が収束した後に、グエインが不敵な笑みを浮かべて立っていた。
その両手には法具によって生み出されし黄金の武具が握られている。
右手に携えるは圧倒的な威光を放つ金色の杖で、先端部をぐるりと囲むように六枚の翼が輝いていた。
そして左手に掲げるは黄金の盾。
表面は聖女の顔を模っており、瞼を閉ざした涼しげな表情が浮かんでいた。
放たれる聖なる力の気配と美しさに、義乃も思わず圧倒される。
そして少女がごくりと生唾を飲み込んだ瞬間、グエインがサーグライへ向けて金杖を振りかざした。
すると杖の先から黄金に輝く光の輪が現れ、表面からバチバチと爆ぜるような音色が漏れていく。
――瞬間、聖なる雷がリングから迸り、薄闇を引き裂いてサーグライに迫った。
「――フンッ」
しかし襲い来る雷撃に対し慌てる事もなく、サーグライは背中のマントで払うように受け流した。
あっさりと弾かれて宙に消える雷を、つまらなさそうな態度で鯨皇は見送る。
「なんだなんだ? これが最強の力だって? 雑魚ならともかく、こんなんじゃ俺を仕留める事は出来ねぇぞ?」
「……流石ですね。並の星魔なら、今の一撃で終わっているというのに。……ではこれでどうでしょう?」
グエインが金杖で宙に円を描く。
すると聖雷を帯びた輪が、一層激しく放電し始めた。
「はあぁっ!」
腹の底から気合を込めた声をグエインが発したと同時に、金の雷が一条、二条、三条と立て続けに迸った。
超高速でサーグライを襲う雷の連射は、直線だけではなく放物線を描いて迫るものもある。
「ぬっ……オオッ!」
上空へ伸びた一条が深い角度で急降下し、地を這うように進む一条が突き上げるように上昇する。
サーグライは後方へ跳ねて二条をかわし、横から来る雷撃のカーブをマントで防いだ。
しかし腹部を狙って真っ直ぐに飛来した一条に防御が間に合わず、掠めた雷光に脇腹を僅かに焼かれる。
「……驚きましたね。今の連撃もかわしますか。……でも完全には防げなかったようで?」
悠然と佇むグエインが薄く笑うと、サーグライの青白い口もにんまりと歪む。
「ハン。ウォーミングアップには丁度良いってもんだ。……今度はこっちから行くぜ!」
黒い外甲から薄らと白煙を立ち上らせつつ、サーグライが紫のオーラを両手に纏った。




