過去
場面は変わり、成長した義乃が中学生の時である。
義乃は肩で切り揃えた真っ直ぐな黒髪で、可愛いらしい面立ちをしていた。
真面目で物静かな雰囲気も男心を擽ったらしい。
女子の間で人気の高い宮里という男子から、狙われる事となる。
彼は中性的で整った顔立ちをした明るい男子で、スポーツが得意で面白い話題にも精通しているイケメンと呼ばれる人種だった。
人付き合いの苦手な義乃は、何かと自分に構ってくる宮里を最初は迷惑がっていた。
しかし何度も諦めずにアタックしてくる宮里に根負けしてか、少しずつ態度を軟化させていく。
やがて普通に会話をする位に仲良くなり、宮里へ微かな好意が芽生え始めていた頃だ。
学校の男女数人と一緒に、義乃と宮里はカラオケへ遊びに行った。
所謂グループデートと言うものであり、滅多に嘘を吐かない義乃も、その日ばかりは勉強会だと言って母を誤魔化していた。
初めて訪れるカラオケ店の雰囲気に圧倒されながら、流行りの歌など知らない義乃は完全に皆の聞き役に回っていた。
煌びやかな照明と大音量の音楽に、周りの男女も盛り上がっていく。すると茶髪で二十代位の青年が、部屋に飲み物を運んできた。
「よぉ、皆楽しんでる? これ、俺からの奢りね」
「ああ、ショーちゃんサンキュー! ほら、皆好きなの取れよ」
宮里は快活な挨拶をしながら青年をショーちゃんと呼んだ。彼は宮里の親戚で、このカラオケ店の店長を務めているらしい。
テーブルの上に並んだドリンクは、レッドやオレンジなどカラフルな色をしていた。
宮里が勧めると同時に、皆が思い思いに好みのグラスを手にしていく。
「ほら、義乃はこれな」
「あ、有難う……。これ、何のジュース?」
笑顔で宮里に渡されたグラスを手に取って、義乃は宮里に問いかける。
ピンク色の綺麗な液体が、クラッシュされた氷と一緒に満ちていた。
「ああ、それピンクグレープフルーツ。旨いよー。女の子にお勧めっ」
「そうなんだ」
親指を立ててアピールする宮里の言葉を受けて、義乃は淡く笑みを浮かべた。
「それじゃあカンパーイ!」
宮里の声を合図に、皆がグラスを掲げてかち合せる。
義乃も控え目に乾杯を終えると、こくりと一口味わった。
優しい甘さが舌の上に広がり、仄かな酸味が心地よいアクセントになっている。
しかし香りと味わいに一種の違和感を覚えて、義乃は不思議そうに宮里へ尋ねていった。
「んっ……これ、何か変じゃない……?」
「そう? ショーちゃんの特別製だからね、気持ち良くなっちゃうかもよ」
「気持ち良く……?」
怪訝そうに義乃が眉を潜めている間も、周りの男女は更にハイテンションとなってカラオケに熱中していた。
次第に皆の顔つきが赤らんできて、今までと明らかに様子が異なっている事に義乃が気付く。
「これ、まさかお酒じゃあっ……?」
「えー、違う違う。特製カクテルだって。ほら、義乃も飲んで飲んで」
にへらっと笑う宮里が勧めるのに反応し、周りも義乃へ飲め飲めコールをかけ始める。
手拍子をしながら軽快なリズムに乗せようとする周囲に対して、義乃は居心地の悪さを感じて身を小さくした。
何とか勇気を出して、おずおずと口を開く。
「……駄目だよ。未成年なんだから、お酒は……」
「良いじゃん良いじゃん、ちょっと位さ」
「平井も興味あるんだろ?」
「あたし達が飲んでるんだから、平井さんも飲まないとー」
「付き合いだよなぁ、付き合い」
皆それぞれに勝手な事を言い出して、義乃は段々追い詰められた。
楽しかった雰囲気も一変し、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に義乃は駆られてしまう。
「私……帰る」
義乃がグラスを置いて席を立つと、更に周りの女子達が口々に煩く騒ぎ立てた。
「えーっ。何それ、勝手過ぎなーい?」
「ワガママ言う子は嫌われるよー?」
「萎えるわー、そういう態度。前から思ってたけどさ、平井さんもう少し空気読もうよ」
表面上は空気が悪くならないように、女子達は明るい調子で冗談っぽく言っている。
しかし彼女達の目が笑ってない事に、義乃はすぐ気付いていた。
義乃はくっと唇を噛み締めて、無言で部屋から出ていく。
「おい義乃! 待てよっ!」
追いかけてきた宮里が義乃の手首を掴む。
ぐっと引っ張られる感覚に義乃が振り返ると、宮里にいきなり抱き付かれた。
「なっ……! は、離して!」
「なに急にキレてんだよっ! 別に黙っておけばバレないって」
「……宮里は平気なのっ? 未成年だよ、私達。いけない事なんだよっ?」
「……お前が真面目なのは知ってるけどさぁ、もう少し頭柔らかくした方がイイんじゃね? そんなんじゃ、付き合ってても全然楽しくねーじゃん」
不機嫌そうに呟く宮里が、不意に義乃の唇を奪おうとする。
驚き、義乃は反射的に宮里の胸板を突き飛ばした。
「――やめてっ!! 何するのっ!?」
「――おわぁっ!? イッてぇなぁ、そっちこそ何すんだよっ?」
「ふ、ふざけないで! ……私は別に、宮里と付き合ってなんかっ……!」
イラついた表情で睨みつけてくる宮里の視界に、柳眉を吊り上げた義乃の顔が入り込む。
大声で怒りを露わにした後、義乃は逃げるように店を飛び出ていった。
後ろから聞こえてくる制止の声など無視して、無我夢中で夕闇とネオンに染まる繁華街を駆け抜けていく。
「はぁ、はぁ、はぁっ……ハッ……!」
何処をどう走ったかも分からない。
何度も人とぶつかったし、車に轢かれかけたりもした。
気が付いたら見知らぬ通りに出てしまっていたのだ。
義乃は呼吸を整えて、家へ帰る為の道を求めて彷徨い歩く。
見知らぬ通行人が脇を通り過ぎる度、楽しそうな笑い声が何度も上がった。
ふと顔を上げて周りを見てみると、若者達が思い思いに楽しくはしゃいでいる。
明らかに学生と思わしき制服姿の女子達が、若い男達と一緒に腕を組んで歩いていたり、ゲームセンターで遊んでいたり、コンビニの前でたむろしていたり。
彼らの近くを通り過ぎると、衣服からは香水や煙草、酒の香りなど様々な匂いが漂ってきた。
義乃は生気のない青ざめた顔で、賑やかな通りを歩き続けている。
「……なんで……どうして……」
ぽつりと義乃の唇から、悲しみに震える声が漏れた。
カラオケなどと、慣れない場所へ赴いた事がいけなかったのだろうか。
男子に言い寄られて、調子に乗ってグループデートなど受けてしまった事が間違いだったのだろうか。
しかし自分は何も間違った事はしていない筈だ。
未成年の飲酒は法律で禁止されている。
悪いのは宮里達の方で、自分は悪くない。
義乃は必死に己へそう言い聞かせる。
「でも……、……でも、なんで……!」
正しい事をした筈の自分が、こんなに惨めな思いをしているのだろう。
義乃は悔しさに唇を噛み締めながら、再び周囲の人間に視線を這わせた。
派手な色に髪を染めて、きらきらのアクセサリーを身に付けて、甲高い声で騒ぎ立てている彼ら。
まるで本能と欲望のままに生きる動物だと義乃は思った。
しかし今の自分より遙かに彼らは楽しそうで、笑顔で人生を謳歌しているようにも見えた。
日々を真面目に過ごし、厳格な家柄で育ってきた義乃は、そんな光景を眺めつつ言い様のない怒りで胸内を一杯にしていく。
どうして、一生懸命良い子で過ごしている筈の自分が、こんな目に遭わなければならないのだろう。
なんで清く正しく生きている自分が大勢から責められて、好き勝手に生きてそうな連中がこんなにも充実した顔をしているのか。
「…………不条理だっ……」
胸をぎゅっと掴みながら、義乃は首を左右に勢い良く振って髪を乱した。
瞳から溢れる涙で頬を熱く濡らしていると、今頃になって湧き上がってくる嫌悪感に吐き気すら催してくる。
これだけ沢山の人で溢れている世界で、義乃は強い孤独感に苛まれていた。
やがて少女は足を引きずるように歩きながら、今にも消え入りそうに儚い背中を煌びやかな灯りの中へ紛れさせていった。




