正当なる凶気
「あさみー! 凄い力が手に入ったんだ! これでもう、僕は苛められないで済むんだよ!」
「ヨッシー……」
高揚した法健の訴えを聞きながら、拓人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
例え苛められても、明るさと気丈さを失わなかった友人。
その醜い闇の部分を垣間見てしまったようで、辛くて心が震え出す。
苛めっ子へ復讐したいという気持ちに共感もしてしまうから、尚更だった。
「……虐げられたからといって、それが他者を傷つけていい理由にはならない」
「――なにっ!?」
姿が見えずに無事が確認出来なかった義乃の声が、法健のすぐ背後から発せられる。
驚きと共に法健が振り返ると、薄っぺらい身体の端々が鋭く切り裂かれていった。
「ギャアアァァッッ!?」
高速の斬撃に怯んだ法健は、地面へ仰向けに倒れ込む。
すかさず義乃が追い打ちをかけ、光り輝く突きを闇色の身体へ繰り出していった。
際どい所で法健は背を浮かせ、地面の上を滑るように義乃の攻撃を素早く避ける。
「何だよ! 何だよお前! 僕はずっと酷い目に遭わされてきたんだぞ! 復讐するのは当然の権利だろっ!?」
「それが事実だとしても、お前のやっている事に正当性など存在しない。……苛めを行う者は確かにクズだけど、恨みを晴らそうと暴力を振るう者もまたクズよ」
「な、にぃおおぉぉををっ!?」
風に舞う紙きれのように宙へ浮いた法健が、義乃の言葉に激高して身体を震わせた。
「《星魔》と融合してしまう程、激しい悪意をその身に宿した己自身の弱さを知りなさい」
義乃が法具の力を引き出して、長剣の刀身を更に伸ばした。
「許さない。僕が弱いだって? 僕が悪いって? ……クズだって、そう言うのかぁっ!」
剣を正眼に構える義乃へ向けて、法健は身体中の口から黒い液体を吐き出した。
大量の吐瀉物が雨となって降り注ぐのを、義乃は剣を払う事で風圧を生み、弾く。
飛び散った黒い液体を受けた岩や木々が、ジュッと嫌な音を立てて表面を溶かされていった。
「羽ばたけ! 我が剣! ――灼光閃羽!」
「――――っぐ、ガアァァッ?」
神社でも見せた光の技を、義乃が放つ。
闇夜を引き裂く黄金の輝きに包まれて、法健は全身を焦がしながら地面に落下した。
白い湯気を全身から立ち上らせて、じたばたと無様に転がり苦しむ。
「……ヨッシー!」
堪らずに駆け出した拓人が法健の傍へ膝を突き、その身体を抱き締めた。重さをまるで感じない。
冷たい厚紙へ触れているような感触に、拓人は自然と涙を浮かべてしまう。
「なんで、なんでこんなっ……。こんな事に、なってんだよっ……!」
異形の身体に臆しながらも、拓人は恐怖を堪えて法健を抱き締め続けた。
変わり果てた目や口は閉じられていて、ぐったりとしている。
「……麻宮、そこをどいて。……とどめ、刺さないと」
「拓人君……危ない、よ……」
剣先が空気を揺らす音色と共に、義乃が必殺の突きを放つ体勢で構えた。
魔人化を解いた闇朱も近付いて来て、沈痛な面持ちで拓人と法健を見下ろしている。
「……本当に、本当に殺すしかないのか……? 何とか正気に戻す事は……」
「さっきも言った筈よ。融合化した者から《星魔》だけを取り払うなんて真似、《聖血教会》にも《夜光》にも不可能な事だって」
油断なく剣を構えたままの義乃が、淡々と言葉を紡いだ。
闇朱はぎゅっと胸元を握り締め、睫毛を震わせている。
乱れた浴衣を直す事も忘れて。
「駄目だ、そんなのっ……。そんなの、酷すぎるっ……」
ぎゅううっと異形の身体を抱き締めながら、拓人は岩のように身を固くした。
決して離さないように、ただそれだけしか出来ない頑固な子供みたいに。
「…………あさみーは優しいね」
「――ヨッシー!?」
不意に耳元で響いた法健の声に我へ返ると、次の瞬間拓人の全身に痛みが走った。
闇の身体に浮き上がる口が、拓人の腕や脇腹へ噛み付いたのだ。
「ぐっ……! 痛ッ、……ああぁぁあっ!」
「――麻宮!」
「――拓人くん!」
「動くな! 動いたらあさみーがどうなるか……分かるよね?」
目玉が笑みの形に歪み、口は赤い舌を出して粘着質な声で呟く。
拓人の身体に巻き付いた法健は、ゆらりと再び宙へ浮いた。拓人の身体も引かれ、無理矢理に立たされていく。
「そこの女、剣を捨てろ。……秤音さんも、変な気は起こさないように……」
「う、……あぁぁっ……」
ぎりぎりと拓人の身体を締め付けつつ、法健が呟く。
苦痛を漏らす拓人の姿に眉を顰めながら、義乃は剣を地面へ放り投げた。
黄金色の光は消え、長剣は元の竹刀に戻る。
闇朱も両手を身体の腋へ垂らしたまま、ぐっと唇を噛み締めていった。
「吉田君、やめてっ! 拓人君は友達でしょっ?」
「何を言っても無駄よ。完全に《星魔》に染まっている。……分かっているでしょ?」
義乃が忌々しげな表情を浮かべて、法健を見つめる。
「煩い! おまえ、むかつくぞっ!」
「――っく、あぁっ!」
法健が怒声と一緒に片腕を素早く伸ばし、義乃の身体を弾き飛ばした。
何とか受け身を取る義乃だが、衝撃で鎖から千切れた法具を地面へ落としてしまう。
義乃だけではなく、闇朱にも法健は異形の拳を振るった。
悲鳴を上げて地面に叩き付けられた闇朱の浴衣は土に塗れ、結い上げた髪も無残に乱れていく。
「やめろ、やめるんだっ……よっし……」
「ああ、あさみー……。君はやっぱり最高の友達だ。僕を庇って、いつも助けてくれる。……初めて出逢った、あの時みたいに」
にたりと笑う無数の口が、舌を出して拓人の身体を舐めていく。
まるでペットが主人へじゃれているような仕草を、背筋を悪寒で震わせながら拓人は受けるしか出来ない。
「くっ……調子に乗るなよ、《星魔》!」
「拓人君! 吉田君、お願い! 目を覚まして!」
「おっと、やらせないよぉ!」
起き上がった義乃と闇朱が駆け出したのに気付いて、法健は再び口から液体を吐き出した。
高速で飛来する粘液を避ける事が出来ず、義乃と闇朱はまともに食らう。
「――きゃあぁっ!」
「あうっ! く、何だこれはっ……!?」
今度の粘液は溶解液ではなく、二人の少女の動きを封じる拘束具の役割を果たした。
ゴムタイヤの如き弾力に締め付けられて、二人とも身動きが取れなくなっている。
「はははは、そこでじっくり見ていなよ。僕が復讐を果たす姿をさ……」
「ヨッシー? 一体何をする気だ……?」
ふわりと拓人を連れて浮遊した法健が向かう先に、木から吊るされている狩谷が居る。
法健はテニスボール大の黒球を生み出して、血走った目で狩谷を見据えた。
「……は、……やめろ! やめろ、よっしー!」
嫌な予感を捉えた拓人の制止も聞かず、法健は勢い良く黒球を狩谷へぶつけていった。
鉄球が減り込むような鈍い音が響くと共に、狩谷が目を覚まして絶叫を迸らせる。
「あああああぁぁっ! 痛ぇ! 痛いぃっ!」
「あはははは! イイねぇ、凄く好いよ! ほぅら、どんどんいくぞぁっ!」
虚空へ次々と生み出されていく黒球を、狩谷の腕や足などを狙って法健はぶつけ続けた。
筋肉がへこみ、骨が軋む激痛に何度も狩谷は叫び続ける。
「――っひ、ば、化け物ぉ! ……やめて、やめてくれよっ! ――うがあぁぁっ!」
「やめろっ! やめるんだ、ヨッシー! やめろって言ってるだろぉ!」
「やめる訳ないだろおおおぉ!? ぶわああぁぁかっ! ……お前は僕がやめてよって懇願した時にどうしたよ、ええっ!? 無様に泣き叫んで頼み込む僕を、許してくれたのかよオォォ!?」
感情に形があるとしたら、いま法健が狩谷に叩き付けている黒球こそがそうだと、拓人は思った。
黒くて硬くて重々しい、怒りと憎しみに満ち満ちた力だ。
法健は身体の端の方から、段々と中心部へ向かって黒球をぶつけ続けた。
脇腹や腹部にヒットするにつれ、狩谷の上げる悲鳴に押し出された胃液が混じってくる。
「アアァッ! ……お前、吉田なのかっ? ……わ、悪がったよぉ! ……謝るから、許じて下さい! もうじまぜんから! もう絶対に苛めだりじませんがらぁぁぁっっ……!」
痛みに耐えかねた狩谷が、両目から滝のように涙を流して法健に懇願した。
いつも威張り散らして他者を威圧していた表情が、今はすっかりと崩れ去り、怯えきっている。
「……ふ、ざ、け、る、なああぁぁ!」
しかしそんな狩谷の必死の願いも空しく、かえって法健は怒りを大きく膨らませていった。
黒球をぶつけるのを止めて、直接自分の両腕を振るい、狩谷の顔面を思い切り殴りつけていく。
「自分が、優位に、立ってる時は! 笑顔で、見下して、楽しんでたくせに! 劣勢になった途端、手の平を返して、許しを請うて! ――助けて貰えると思ったかっ!?」
ばきっ、ごき、めき、どぐっ!
法健は薄っぺらい手の先を丸めて、抵抗できない狩谷へ次々と拳をぶつけ続けた。
「教科書、ペンケース、体操着! 隠されて、捨てられて、汚されて!」
どすっ、ごがっ、ぼぐっ、がごっ!
「机の中をゴミで一杯にして! 何かにつけて脅しては金を奪って! 遊びのフリをして殴ったり蹴ったり、首を締めて気絶させたり!」
ばしっ、がんっ、ずんっ、ごぐっ!
「人の趣味を見下して、一生懸命に作り上げた大切な物を滅茶苦茶にして! ……それだけの事をしておいて、まだ許して貰おうなんて甘い事を、どの口がほざくんだよオオッ!」
魔に侵された法健の拳が、狩谷の顎を弾き飛ばす。
黄土色の外側は赤い血で汚れて、ぽたぽたと狩谷の命の雫を滴らせていた。
恨み言を吐き出して、やっと殴る事を止めた法健の眼前。
項垂れた狩谷は既に叫びを上げる事もなく、ただボロボロの身体を揺らし宙吊りになっているだけだった。
「はぁ、ハァ、はぁ、ハァ、……何だよ、勝手に気絶してんじゃねーよ……!」
「……めろ。……やめろよ、よっしー……」
殴り過ぎて疲れたのか、叫び過ぎて喉が枯れたのか。
荒い呼吸を繰り返す法健に捕えられたまま、拓人も声を掠れさせていた。




