友達-1
拓人と闇朱が廊下を歩いていると、不意に自分達のクラスから一人の男子が飛び出してきた。
彼は手に数枚の紙を掴んでいて、楽しそうな顔ではしゃいでいる。
「ホーケーがエロ漫画持ってきたぞー!」
目の前で男子が叫んだ台詞を聞いた瞬間、拓人の背中は冷たくなった。
ホーケーというのは法健の事で、字面から意地の悪い連想をさせたアダ名だった。
そして騒ぎ立てている男子は、法健を何時も苛めてくる奴らのリーダー的存在だ。
名を狩谷という。
はっきり言って、悪い予感しかしない。
「うっわ、おい見ろよ見ろよ! 何ですかこの女キャラは!」
「これホーケーが描いたんだろっ? マジきめえぇぇっ!」
「オタクやばいわ~っ。ほら、皆も見てみろよー!」
騒ぎ立てているのは一人だけじゃなくて、更に一人、二人と増えて合計三人。
何時も一緒につるんでいる彼らは、一様に染色された長髪に着崩した制服、派手なTシャツにアクセサリーといったファッションをしていた。
廊下で呆然としていた他の生徒達をも巻き込んで、三人組は手にした紙を揶揄している。
どうやら紙は漫画の原稿用紙で、露出の高い女キャラクターの姿等が描き込まれていた。
「や、やめっ……返してよっ!」
そこへ教室の中から法健が飛び出て来る。青ざめた顔をして、三人組へ向かっていった。
「おーっと、へい、パース!」
「おっけ! ほい、パース!」
「はいはい、こっちだよ、ホーケーくん!」
三人組は迫って来る法健を避けながら、タイミング良く手渡しで原稿を回し合う。
そのまま三人組は教室内に戻り、原稿を適当に机の上へ放り投げていった。
「号外~! 号外だよ~!」
「ホーケーのキモ漫画、みんな感想聞かせてね~!」
「やめろってば! 本当に返してよーっ!」
殆ど半泣きになった法健の悲痛な叫び声が、教室の喧騒に混じって何度も上がった。
大多数の生徒は三人組の行動を冷めた目で見つつ、特に関わろうとしていない。
一部の生徒は放られた紙を興味津々な顔で見つめ、三人組と同じように囃し立てていた。
床の上に落ちたものは誰かに踏まれたのか、靴跡が刻まれ黒く汚れていく。
「これって同人誌ってヤツ? あれだろ? コミケで売るんだろっ?」
「お前なんで知ってんだよ! どこ情報だよそれ!」
「知ってるオメーがきめぇよ!」
「ばっか、博学なんだよ俺は! ホーケー、売れたら俺達にジュース奢ってくれよな~っ?」
耳障りな大声で三人組は仲良く笑い声を上げ、残りの紙をバッと空中へ放り投げた。
慌ててキャッチしようとした法健は、椅子に足を引っかけて前のめりに倒れてしまう。
周囲の机や椅子も巻き込んで、ガラガラと崩れた後は埃が舞い、悲惨な光景だった。
「――大丈夫か! ヨッシー!」
「吉田君!」
慌てて法健へ駆け寄る拓人と闇朱。
転んだまま起き上がらない法健を心配し、拓人は手を差し伸べる。
――その手はしかし、鋭い制止の声に遮られた。
「触らないでっ!」
「――っ、……ヨッシー……?」
「……っぅ、……っく、……フ……ゥッ……」
二の腕に顔を押し付けたまま、法健は顔を上げなかった。
……いや、上げられないのだ。
押し殺した法健の泣き声が、拓人の鼓膜を震わせる。
泣き顔を見られたくないのだと察し、拓人はゆっくりと立ち上がった。
「…………お前らっ……」
拓人は騒ぎの主犯である三人組を睨みつけ、怒りに震えた声を漏らした。
「あん? なんだよ。あさみー、怒っちゃった?」
「こえーっ、何で睨まれてんの? 俺ら?」
気易くアダ名で呼ばれたくない連中の、少しも悪びれた所が無い態度に頭の血管が切れそうになる拓人。
拳を硬く握り締め、三人組へ駆け寄っていった。
「謝れよ! 吉田に謝れっ!」
「はん? 吉田って誰よ? オマエ、知ってるか?」
「知らねーそんな奴。このクラスに居たっけ? ホーケーなら知ってるけど」
「てか何でキレてんだよ、麻宮。まじお前、KYだわ~」
「ちょっと騒いでただけだろ? マジになるとかドン引きですから。空気読めし」
拓人の心臓はドクドクと鼓動を速め、刺すような痛みを胸の奥へ与えた。
自分達はまるで悪くないと主張し、それどころか拓人の方に非があると言わんばかりに、好き勝手な言葉を並べる三人組。
怒りで沸騰した血潮が全身を駆け巡るのに、心は冴え冴えとして冷酷に凍っていく。
拓人はそんな感覚に染まって、奥歯を噛み締めた。
即座に狩谷の胸倉を掴んで、殴りかかりたい衝動に襲われる。
しかし同時に、物凄い勢いで自分の心と身体にブレーキがかかるのを感じた。
握り込んだ手の平に爪を食い込ませながら、じっとその場で棒立ちとなってしまう。
拓人は狩谷から目を逸らし、視線を落として俯いてしまった。
「……おいおい何だよ、黙っちゃってさ。ブルッてんの?」
「ビビってるぜ、コイツ」
「つまんね。行こうぜー!」
立ち尽くすだけの拓人に一瞥をくれて、三人組は面倒臭そうに教室を出ていった。
「…………吉田君……」
「……ッゥ……、……ひっ……ふう! ……ぅっ……!」
泣き続ける法健を憐みの表情で見つめていた闇朱は、教室内に散らばった紙を一枚一枚拾い始める。
それらはやがて一つのストーリーを織りなし、一本の漫画作品となった。
確かにセクシーな女キャラが登場しているけれど、三人組が馬鹿にしたようなエロ漫画ではない。
闇朱の目から見ても上手いと思える絵が、薄汚れて皺が寄って、台無しになってしまっていた。
「…………くそっ……。……くそっ……!」
立ち尽くしたままの拓人が、喉を絞るように悔しさを吐き出している。
――――何で。どうして自分は何もできなかった。
大切な友達を、どうして助ける事が出来なかった。
そう己を心の中で責め続けていた。
――キーン、コーン、カーン、コーン……。
休み時間の終了を告げ、二時限目の開始を報せるチャイムが響き渡る。
しかし拓人の心は切り替わる事なく、苦しくて暗い感情に暫し包まれたままだった。




