始まりの刻
警告
この作品には 〔いじめ描写〕が含まれています。
15歳未満の方はすぐに移動してください。
苦手な方はご注意ください。
美しい星空が一面に広がり、心地良い浮遊感に身体も意識も包み込まれている。
煌めく星の輝きは、赤青白など色彩豊かで、いくら眺めていても飽きるという事が無い。
ガス状に渦を巻く銀河が宇宙空間にひしめき合い、あるものは長く帯を描いて、あるものは花火が爆ぜたような形で暗黒を照らしていた。
上も下も右も左も分からない、自分自身すら美しい光の中に溶けてしまいそうな。
そんな無限にも感じるスケールの大きさに、時が経つのも忘れて浸り込んでいた。
すると果てなき世界の真ん中に、突然黒い染みのようなものが生まれた。
半紙に墨を一滴落としたような染みは、じわじわと輪郭を歪めながら形を変えてゆく。
漆黒のアメーバを思わせる不気味なソレは、段々と大きくなって人の形を成した。
広げた両腕は無数の銀河を抱え込み、鋭い爪先が星達の集まりを抉るように掻き乱す。
頭頂部から数本の角が伸び上がり、顔の右端から左端までが裂けて巨大な口が生まれた。
――怖い。恐ろしい。
星々の煌めきだけが心を高揚させていた空間を、醜悪な闇と赤が塗り潰していく。
逃げ出したいのに、逃げ場なんてどこにもない。
(見つけた)
――ざわ、り。
腹の底が凍り付くように不快な声が、突然耳の奥へ流れ込んでくる。
(ハハハハハ! 見つけたゼ、我が器! 我が苗床サマ!)
高すぎず低すぎない、男の声だ。
それは空間中に響き渡る程の、明るく突き抜けた声量。
細かい砂利を皮膚へ直接擦り込まれていくような、ざりざりした振動に身震いをした。
震えは止まらず、自分の肉体が声の主に対して拒絶反応を示し続けている。
ほとんどを闇に浸食された星空が、張り詰めて縮れて壊れそうになっていた。
声の主は自分を見ている。
感じる視線から身を守るように、己の身体を抱き締めていく。
(イックぜぇ、今すぐに! 超特急でお前の元へ!)
赤い口が歪み、高揚と愉悦を含んだ笑い声がマシンガンのように飛び出して。
(……そして俺とオマエは、一つになるんだ)
不意にヤツの言葉から、ふざけた喜悦の感情が消えた。
穏やかに低く、凄みを増した呟きが耳を打つ。
すると黒い津波の如きヤツの身体が、徐々に自分の方へ覆い被さってきた。
逃げられない。逃げられっこない。
(アア、愉しみだ。愉しみだなぁ、もうすぐだ)
鮮血のような赤に満ちた大口が、自分を呑み込もうとしてくる。
ソレは嗤っているようだった。
濃い群青色の空に輝く数多の星と、淡い金色に染まる月の光が地上へ降り注ぐ。
熱帯夜に包まれた繁華街のネオンが、その光を迎え入れていた。
そんな都市の中心地から、距離にして約十数キロメートル離れた地域。古ぼけたビルが建ち並ぶ、寂しい場所が存在する。
かつては大勢のサラリーマンやキャリアウーマンが通勤していたオフィスの数々も、照明器具が外されて真っ暗な闇に包まれていた。
そんな廃れたビルの一つ。屋上に二つの人影があった。
「……流れたわね、星が」
影の一つである女が、口を開いた。
年の頃は二十代半ばといった所だろう。
パーマのかかったショートヘアはラベンダー色をしていて、無造作スタイルっぽく軽やかに跳ねていた。
身に纏うのは、ベビードールに似たシルエットのドレスだ。
胸下に巻き付いた赤いリボンの端が、風になびいている。
白と黒の太いストライプが縦に走る柄で、スカートの裾は赤いバラ模様になっていた。
そして足には、鋲が打ち込まれた黒いブーツを履いている。
とろりと眠たげに細められた女の双眸は、黒く神秘的な光を帯びていた。
「上からのお達しがあったわ。星読みの結果、宿主はこの街に住む高校生よ」
女の青白い指の間に、一枚の写真が挟まれている。
そこには大きな欠伸をしながら道を歩いている、制服姿の少年が写り込んでいた。
「驚いたわ。この制服って確か、アナタが通っている学校のでしょう?」
やや低めの色っぽい声を発しながら、女は背後を振り返る。
シュッと指先から写真を放ると、勢い良く回転するそれを二人目の人影がキャッチした。
「好都合じゃない。接触しやすくて助かるわ。これでホリブラの奴らに、一歩も二歩も先んじる事が出来る」
上機嫌に鼻を鳴らす女とは対照的に、写真を見つめる影から動揺の気配が僅かに漏れた。
「――うん? どうしたの? ……もしかして、知っている顔だったとか?」
かくん、と女は首を横に傾けて尋ねた。
それを受けて、影は小さく頷く事で肯定を表す。
「わぁんだほー。それじゃあ話は早いわね。早速ミッションに取りかかって貰うわ」
女はピンク色の舌を小さく出して、唇をぺろりと舐める。
影は写真に写る少年の顔を、そっと指先でなぞっていった。