天才の戦闘
セイメイ。
かつてヤマトサーバーを湧かせた天才《召喚術師》であるが、もしかしたら彼を知るプレイヤーの半数は彼のメイン職業がそれだということを知らないかもしれない。なぜなら彼に関しては、そのメイン職業よりもはるかに強い印象を与えるサブ職業があったからだ。
それは、《陰陽師》。
そのままそれが彼の二つ名となったそのサブ職業は、難関のレイドクエストを攻略して初めて会得できるジョブにも関わらずにあまり人気のない、いわゆる「名誉職」のような扱いの職業だ。様々な特殊効果を併せ持つものの、いずれもそれに一極化したサブ職業には及ばない、という要するに器用貧乏なステータス効果しかない。
例えば《陰陽師》の持つ効果の一つ、『鎧以外の和装装備の解禁』。それは本来《武士》や《神祇官》の専用装備である和装を装備できるようにするというもので、一見すると便利そうだが実はそうでもない。「強力アイテム」と言われるような秘宝級、幻想級のアイテム達がそうである所以はほとんどが「それぞれの職業の持つ特技や特性を高める」というタイプの特殊効果の為であり、その職種以外のプレイヤーが装備したところでその強さを半分も生かすことは出来ないのだ。
彼の持つ秘宝級武器、『護神・一閃華』もそうだ。一応はそれなりの攻撃力は得られるし、装備によって使用可能になる特殊な特技、《神守る一閃》も使用可能だが、タウント効果上昇や《武士》の特技の際に敵の魔法攻撃を一定率で弾くといった本来の用途…秘宝級を秘宝級たらしめているその真価を発揮させることは出来ない。他の特性についても同様で、それに一極化したサブ職業にはまるで敵わない。
だがそんな器用貧乏な《陰陽師》を、彼は『最高のサブ職業』にして見せた。
理由は、至極単純。
それを操る彼自身のプレイヤースキルが、飛び抜けて高かったせいだった。
◆
「…どうなっているのか…」
「質問の意味が不明瞭です。もう一度繰り返すかコマンドで入力して下さい」
「……不明瞭だろうな。自分でも分かっていないのだから」
何時間進んだか。
式神たる「毛玉」こと《臆病な風の使い》との意味のない会話を繰り返し歩む中で、彼は数回ほどその腰の刀を振った。いずれも毛玉の索敵で事前に接敵を知らされていたせいもあって、セイメイがかなり心構えを以て戦闘に望めていたのは、僥倖だったというべきだろう。
なぜならその数回は、彼にとって実に有意義な「戦闘の検証」となったから。
その間の数回の戦闘を経て…いや、たった数回の戦闘で、彼は自分のこの世界での戦闘力をかなりの部分まで把握してしまっていた。彼が「天才」と称されるのはゲーマーとしてだけではなく…いや寧ろかつては現実世界においてこそ「天才」と言われ続けてきたのだ。
思考力、記憶力、運動神経、反射神経。
いずれも高い水準であった彼は、自分の90レベルの体がどれくらいの速度、力で動くのかを既に感覚的に理解し始めていた。種族的、職業的にはとても近接戦闘が得意とは言えないセイメイだが、それでも秘宝級武器『護神・一閃華』があれば格下の《赤戯子鬼》の五匹や十匹、無理なく殲滅できるだろうし、事実ここまでそうしてきた。
「……しかし、な……」
「ルル、パーティーランクモンスター一体接近中です。十二時方向、距離既に26メートルになります。戦闘に備えて下さい」
「…それは、見れば分かる……」
いちいち分かりきったことを報告してくる毛玉を軽くあしらって、溜め息を一つつく。
そう、その姿は、26メートル離れたセイメイにもはっきりと見えていた。
《赤戯子鬼》よりも一回りも二回りも大きい、そして太い巨大な鬼の姿。
ここが《エルダー・テイル》ならば、敵は当然《赤戯子鬼》ばかりではない。こちらを見つけて迫りくる眼前の巨大な鬼はそれより二回りは大きい、身長で言うなら二メートルはゆうに超えるだろう赤い巨人。表示されるカーソルは、《紅腕大鬼》、そのレベルは31。巨体を持つ剛腕の大鬼は本来は数人のパーティーで戦うタイプの敵だが、セイメイは全く臆することなく単身刀を鞘に収めた姿で対峙する。ふよふよと漂う毛玉が、開戦の気配を察してか後ろへと避難する。自分が囲まれた時はこいつはどうするのだろう、ということは、今のセイメイは考える余裕はない。なぜなら、
(……少し、厳しいか……)
魔法を操る特性を重視して作られた、というバックボーンをもつ亜人種族(という設定を持っている存在)である《法儀族》である自分は、90レベルにしては驚異的に非力で、撃たれ弱い。そしてこの『セイメイ』というキャラクターはそれに加えて各種特殊なアイテムの効果で、その低いHPが更にぎりぎりまで削られている。その数値、実に2500…まともな90レベル《召喚術師》の、なんと三分の一以下なのだ。そして筋力も、それと同様に魔法使用の為に極端に削られている。
(……確か《紅腕大鬼》は、かなりの高体力のモンスターだったはず……)
それこそ50のレベル差の相手であろうと、雑魚の《赤戯子鬼》はともかくこういったタフなクラスの相手では自分の力だけでは一撃では沈められないだろうし、相手から一撃を受けると結構な痛手になりかねない。
しっかりと間合いを測ってセイメイは…笑った。
(……「自分の力だけでは」、ね……)
そう、自分の力だけでは。
だから、自分以外の力で、それを可能にする。
「……っ」
意識を、眉間に集中するように凝らす。出現するウィンドウから選択する、特技。
「……ハアぁっ、っっ、っ!?」
瞬間、体がひとりでに動き出す。
自分の力で振うよりもはるかに鋭く、いかにも剣技然とした軌道の一撃が赤い巨人の太い胴周りを走り、直後にはその太い体をあっさりと上下に分断していた。迸る血飛沫と、巨躯の赤鬼のあげる、断末魔の悲鳴。
特技、《神守る一閃》。
職業では無く刀自体の装備で発動可能な特技は、非力なセイメイでもタフなオーガを屠るに十分な力をその一撃に乗せてくれた。さすがに《紅腕大鬼》というモンスターの正確なHPや防御力は記憶してはいなかったものの、「おそらく一撃で倒せる」という勘は正しかったらしい。
(……さて、と…「特技も使える」、と……これはますます、出来のいい夢だな……)
ぶん、と一振りして刀の血糊を払い、鞘に納める。まだまだ体は軽い。
余韻に浸ることも無く、再び気の向くままに足を向けて歩き出す。
(……どうするか……)
体は、動く。頭もやけにはっきりとしているし、思考と行動にラグや食い違いも無い。夢ならばもっと自分の意志に反して体が勝手に動いたりしそうなものだが、そんなことも無くここまで順調に歩みを進めている。いや。
(……夢にしては、展開が無さ過ぎる、か……?)
勘以外の何物でもない思考だが、それでもセイメイは違和感を感じる。勿論「永遠と同じことを繰り返し続ける」というタイプの悪夢だって多分に存在することはセイメイも知っているが、現実世界ではブラック会社勤務員の彼にとっては「無意味な作業を終わりなく繰り返す」ことはある意味得意分野だ。このまま何時間、何日だって歩き続けても、問題は無い。そういう醒めない夢も、悪くない。
(……それに……)
なにより彼にとってこの夢は、楽しかった。
まるで映画の世界の様な美しい世界を、お伽噺の英雄の様に闊歩していく。
その、もはや彼には手に入らない現状は、まさしく「悪くない夢」だったのだから。
◆
英雄に、憧れていた。
いや、それは「憧れ」という感情とは少し違っていたかもしれない。
なぜなら、「自分は英雄になれる」と、俺は幼心に信じて疑わなかったから。
教科書で習う偉人。物語を飛び回る勇者。彼らが出来ることが、自分にだってできると当然のように思っていた。事実、俺はずっと、何もかもを自分の思い通りにしてきたと思っていた。
なんという不遜。
なんという傲慢。
俺は昔に戻れるなら、俺をボコボコに殴って二度と立ち上がれなくしてやりたい。
その思い上がりが、一人の人間の人生を壊してしまったのだから。
英雄だなんて思いあがった、俺の身勝手な暴走によって。
◆
ゆるやかに進む、鮮やかで美しい夢。思考を必要としない、反射で生きていける楽な時間。
だが、この《セルデシア》の世界は、そんな昏いまどろみをいつまでも許してはくれなかった。
―――ッッッ!!!
――ッ!!
―――ャッ!!
木漏れ日の漏れる森を歩み行くセイメイの耳に届く、奇声。
それは先程までの鬼どものおどろおどろしい声とは違う、いやそもそも「声」と呼べるのかも疑問を呈するような、金属音とプラスチック音と黒板を爪で引っ掻いた様な耳障りな音。そんな音が、まるで日用品でめちゃくちゃに合奏するように派手に森に響いたのだ。
それと同時に、ふよふよと漂っていた毛玉が、忙しげに回転しだす。
「ルル、多数の敵が戦闘中です。規模の大きな戦闘に備えて下さい」
「……やっと、『次のイベント』、というわけか…」
呟き、セイメイは走り出す。
その体は決して足の遅くない現実の生命と比べても遥かに速い。ともすれば制御し損ねそうなその速度を体で感じて、思い出す。そうだ、ここが《エルダー・テイル》なら、今の自分の纏う服装…いや、「防具」は、『風の祝福する篠懸衣』。「森林、山野地帯における移動速度上昇」という特殊効果があったはず。
奇声の上がった先に辿り着くには、十秒とかからなかった。
そして同時に、それは森の終わりでもあった。
だが、そこに居たのは、森の中で出会った鬼達よりも、余程「森」らしかった。いや。
「……むぅ……」
待て、落ち着け、と、セイメイが被りを振る。
「……あれは、森らしさとは別だろうな……」
そこにいたのは、ゆうに二十は超えるだろう、「植物型モンスター」達だった。
イソギンチャクの様な触手じみた蔓を伸ばして中央に唾液の滴る口を広げた《人食い花》。二メートルはあろうかという樹木が足の様に根を蠢かせて歩み行く《歩行樹》。そしてそれらを率いるように歩く人型のモンスターは、まるで緑の木の葉の集まりでその輪郭を得ている《森の人》。
その現実では到底ありえない異形の景色はまさにある種の地獄と言えなくもないが、頭の一部が奇妙なほど冷めていたセイメイにとっては、それはまだ夢の続きでしか無かった。そして、この大群を前にしてなお…いや、大群を前にしたからこそ、彼は怯えを感じなかった。
なぜならそれこそが、《陰陽師》セイメイの本領とでも言うべきシチュエーションなのだから。
「……試してみる、か…」
ゆっくりと、抜き身になっていた『護神・一閃華』を納刀する。
形のいい眉が顰められてセイメイの視界に浮かぶメニュー画面。ショートカットの選択と同時に、薄墨色のマフラーの下で唇がひとりでに動き、とある呪文を紡ぎ出す。自分の意志を無視して体が動く奇妙さに眉を一瞬顰めるが、それは本当に一瞬のことだった。
発動するのは、《式神召喚:鬼火の灯篭》。
呼び出された低級な怪異である三つの紫の火の珠が、セイメイを後ろから照らし出す。
召喚された《鬼火妖精》達は、レベルにして僅か30。その効果は広範囲の光源効果と敵をある程度自動的に《挑発》するだけで支援も回復も攻撃も持たない簡素な妖精。『召喚』に16しか枠を取れない《召喚術師》…それも90レベルの《召喚術師》であるセイメイの枠を埋めるには到底相応しくない『式神』だ。
それが、《鬼火妖精》だけならば。
20メートル先に居る森の怪物たちの数匹が鬼火を見て奇声を上げる。《挑発》の効果に惹きつけられたのだ。速度に優れる《人食い花》達が走りだし、《森の人》らがそののっぺらぼうの顔でこちらを睨みつける。あれらが一斉に殺到すれば、セイメイの《護法の一閃》では再使用規制時間の関係で全てを防ぐことは出来ないだろう。そしてセイメイは《法儀族》という、レベル40程度のMobの攻撃すらも、纏めて受けてはマズい程度の耐久度しか持たない。
窮地。紙装甲である魔法職が失策で敵を惹き付けてしまって招いた、危地、だ。
(……普通なら、だが、な…)
それが分かっているかのように、《人食い花》がいっそう目障りに唾液を撒き散らす。先陣を切った三匹の毒々しい花の妖怪が駆け出し、彼我の距離が10メートルを切り、
鬼火の光に照らされたその異形の体が青く輝き、
腕の様に伸びる蔓が獲物を定めるように揺らぎ、
―――ッ!!
――――ッギァ!!!
その緑の足が「鬼火の影」に入り込んだ瞬間、細い木の幹ほどもあろうかという《人食い花》達の胴体にあたる茎が刎ね飛ばされ、その巨大な花の頭部が一斉に宙を舞った。血では無く茎を流れる水分を噴き出して倒れた《人食い花》達には、きっと何が起こったのかすらわからなかっただろう。
影から突然現れ、三体を一瞬で斬り殺した「忍者」が再び影に戻っていったことさえ。
「……ふむ、こんなものか………」
ゆっくりと地面に手を突き、セイメイは呟いた。
《従者召喚:影に住む黒き忍霊》。
レイドクエスト『夜鴉は哭く』の特殊ルートによってのみ契約可能なこの従者は、レベル80の従者としては指折りに高いステータスを持つ暗殺者であると同時に、攻撃後は素早く影に戻って特定な魔法攻撃以外では攻撃が不可能になるという破格に強力な特殊能力。
勿論、そのような強力な召喚生物はゲームバランスを壊しかねない為に、運営体によって弱体化や足かせなど様々な対応が取られることになる。この《影に住む黒き忍霊》に課せられた調整は、「召喚したプレイヤーの影の上でしか活動できない」という狭すぎる活動範囲だ。こんなルールを課せられてしまえば当然この従者の使い道は凄まじく限られ、事実、《エルダー・テイル》時代には幾つかのレイドコンテンツ…地下戦闘で周囲の光源が固定されるものでしか使えないとされていた。
だがそれは、「セイメイ」という例外的なプレイヤーには、必ずしも当てはまらない。
今現在、セイメイの影は《鬼火妖精》の光で長く長く伸びている。5メートル以上離れた《人食い花》達にかかるほどに、だ。そしてその《鬼火妖精》は、「セイメイ自身の思考によって手動でコントロールされている」。脳裏でアイコンを動かしながらセイメイが疾走し、迫りくる《森の人》を真正面から己の影で迎え撃つ。のろまな《森の人》では、それを避けることはできなかった。
――――オオオォン!!!
―――ルウウウゥ!!!
再び現れる、影の忍。攻撃しようと《森の人》がその木の葉でできた(それでもあたれば40レベルパーティーランク、馬鹿にならない威力なのだが)拳を振りかぶるが、その時には既に影の忍は鬼火の動く角度によって攻撃範囲外に誘導され、打ち下ろしは虚しく地面を揺らす。その、この世界に入って一日も経っていないとは到底思えない洗練された連携に全く付いていけない《森の人》が、瞬く間にコマ切れにされていく。
だが、それで終わりでは無い。
―――クアアアッ!!!
―――ヒュルルル!!!
再び響く奇声。
《森の人》達への攻撃を受けた敵の全体が、一斉にこちらに向けて動き出したのだ。10を軽く超える異形の動く植物の行進。レベルで言えば40に届くだろうその集団の動きは、セイメイの叩きだすダメージ量によって彼を囲む様に密集していく。ダメージをうける訳にはいかないセイメイは、バックステップで距離を取るが、一度惹きつけてしまってはそれを振り切ることは出来ない。
しかし。
(……こうまで上手くいくと、な……)
セイメイは、それさえも読んでいた。脳裏でクリックしたコマンドに従い、再び自動的に動く唇。
影が音も無く揺らぎ、従者としての役目を終えた忍者が己の世界へと帰っていく。
それは、新たな従者を呼び出すため。
《人食い花》を刻んだ瞬間に地面についた、左手。
そこにあったのは、彼自身が作り上げた魔道具である、『召喚符』。
「……来やれ…」
《儀式召喚:五芒の御神童子・焔子》。
彼の持つ切り札の一つたる、80レベルの『従者』。呼び出されたのはそれなりに豪華な緋袴を纏った、しかし外見の年齢では十かそこらにしかならないような小さな少女。しかしなりは小さくても80レベルの『従者』であり、その深紅の髪と目が示すように強力な炎の魔法の使い手だ。
そしてなにより。
―――ッッッ!!!
呼び出される際に生じる爆炎それ自体にも、少なくない攻撃判定がある。
その召喚の場所は、設置してある『召喚符』の場所…すなわち、今敵が踏んでいる場所。
―――我が名は『焔子』っ、あるじの命により、敵を祓うっ!
勿論、呼び出された召喚生物、《焔子》の力はそれだけではない。与えた「敵を殲滅しろ」という指示に忠実に従い、登場エフェクトが終わるや否や放たれた広範囲に広がる火焔。それは彼女の持つ基本攻撃の一つだが、従者とはいえ80レベル、そして植物モンスターに相性のいい炎属性攻撃。
結局、戦闘は一分もかからなかった。
50を超える敵を相手にして、セイメイは当然のように無傷。
なすすべなく殲滅されたモンスターたちの後に残ったのは、
「…あ、あ、……」
敵集団の本来の標的だったのだろう向かっていた先でへたり込んだ、一人の少女だけだった。