幻覚者
「やあ」
その人は私ににっこりと笑いかけ、そしてそこに座り込んだ。
私は一瞬、自分は目を開けたまま夢でも見ているのだろうか、と思った。呆気にとられる私を尻目に、目の前の男は至極落ち着いた様子で辺りを見回している。
今此処に起こっているこの状況は何なのだろう?さっぱり分からない。私は目を丸く見開いたまま、言葉を見つけることもできずにただ其処に佇んでいた。
知らない男が気配もなく現れて、親しげに話しかけてきて、しかも座り込んでその場になじんでしまっているという状況。余りに現実離れしたそれは、やはり白昼夢であるとしか思えない。
しかし、条件反射的に頬をつねったところ、鋭い痛みを感じたので、やはりこれは現実であると認識するしかないのだろう。
ただ目を白黒させる私に、男はあくまでもフレンドリーな態度を崩さないまま、しかし丁寧な言葉を選んで声をかける。
「どうされましたか」
そして彼の顔には素敵な笑顔。
営業用、と言う看板をぶら下げても違和感はなさそうだ。
ああ、そうか。
しばらく彼の顔を見ていて、それで、やっと私は理解した。
此処は拘置所の独居房の一室、しかも死刑執行を待つ囚人が入る専用の部屋である。そんなところに男など普通は湧いて出てくるわけはない。
つまり、この男など初めから存在するわけがないのだ。
私はやっとのことで固まってしまった顎関節をこじ開けて、喉に張り付いてしまったかのような言葉を無理矢理搾り出す。私はそれを妙に嗄れた声だと冷静に思った。
「やれやれ。とうとう私は幻覚を見始めたらしい。まいったな」
男は苦笑して肩を竦めた。
「僕を幻覚呼ばわりですか。たまらないですね」
「だってそれ以外にはありえないじゃないか。この場所には誰だって入ってきようがないのだから。君が幻覚でないと言うなら、何と言うんだ」
そう、看守だろうと誰だろうと、用が無ければ入ってくることはない。
入ってくるというなら、それはきっとたった一回で、そしてそれは私にとってそれを見る最後の時となるだろうから。
「僕が何であるかなんてことをどうしてそうも突き止めたがるんですか」
「そりゃあ知りたいと思うのは当然だよ。正体不明のままの相手、なんて言うのは気持ちが悪くて仕方がない」
なるほど、と男はうなずいた。
「じゃあ、少し話をしましょうか。分かり合うためにはまず会話から、と言いますし」
「どうしてそうなるんだ」
私は深く、溜め息を吐いた。
「私は君と会話をしたいとはこれっぽっちも口にしてなんていないぞ」
「いやあまあそれはともかく」
「ふん。私はお前が何を言っても、絶対に答えないからな」
「はあ。じゃあ、勝手に始めますが。僕は見ての通り、男ですよね」
私は答えない。
「そしてあまり若くもありませんが、中年と言うには言いすぎというところでしょう。どこかの会社の営業マンをにも見えますが、スパナを持たせたら自動車の修理工にも見える、と言う感じです。美醜で言うなら取り立てて言うべき点もない、何処にでもいそうな人間」
私は答えない。
「あなたは少し痩せ形の四十代くらいに見える男です。少し疲れたような顔をしています。温厚と言うよりは臆病な、という形容が似合いそうな風貌です」
‥‥‥私は、答えない。
だが心の中では猛烈に反論しておく。
私は一応、人並みの度胸くらいの持ち合わせはあるつもりだからだ。
「私たちが今持ち合わせている状況はこんなところです。で、あなたはどうしてこんなところにいるんですか?」
その言葉を聞いて、瞬時に私の脳裏にいくつかの記憶が浮かんだ。
だが私はふっと自嘲気味に息を漏らして、それら全てを追いやった。
今は、あまり思い出したいものではない。
「――くだらないことをしたからさ」
「くだらないことですか。人を焼いたり、人を刺したり、人を泣かせたり、ってところですか」
「まあ」
ふうん、というのは納得だろうか。それほどこのことに関する関心は高くなかったらしい。
「それで、あなたは死ぬんですか」
私は再び、返答を拒否した。
だが、男は勝手に話を続けた。
「恐くないんですか」
微苦笑を浮かべて私は俯いた。滲む視界に反射的に数回瞬く。
――鳴呼、瞬きをしたらいつのまにか男がすっと消えてくれていたらいいのに。
そう思って私は必要以上に瞬きを繰り返してみるが、生憎いつまでたっても消えてくれる様子はないらしい。世の中そううまくはできていないようだ。
その間も、男は淡々と言葉を吐く。
「死刑って、首吊りなんですよね」
少し間をおいて、男は続ける。
「気持ち良いんでしょう、死ぬとき」
「そうなのか?」
初耳だった。
「具体的に、どう気持ち良いんだ?」
「さあ。僕も詳しくは分かりませんが。何しろ死んだことはないので」
男はふいと肩をすくめた。
「でも、僕はそんな快感は御免です。とはいえ不死よりはマシなんじゃないですかね。死ねないよりは気持ち良く死ねたほうがいい」
私は首を傾げた。
「そうかな。私は死ぬのは嫌だね。首吊りは死んだあと、それはひどい有様になると聞くし」
「穴と言う穴から液体がこぼれ出すって?」
「そう」
死刑の前に死刑の話を差し向かいでする。
趣味が悪いこと、この上ない。
私は複雑な表情を浮かべた。
「‥‥‥あ」
その時私は気づいた。
喋ってしまっているじゃないか。
くそ、一体いつのまに相手のペースに乗せられていたんだ。妙に悔しくて、私はわずかに歯がみする。
だが、まあ、仕方がないだろう。この際これ以上無言に徹することにこだわることもあるまい。
「私から質問をしてもいいだろうか?」
「ええ」
男が首肯する。
「君は一体何者なんだ」
はぐらかされてきた問いを、正面から差し込む。
「何だとあなたは納得してくれますか」
「幻覚かな」
「または死神、もしくは天使?」
「鳴呼、それでも一向に構わない」
「ただの男じゃ駄目なんですか」
「幻覚かも知れないと言う要素が生じる時点で、君は最早ただの男じゃない」
「僕はただの男ですよ。朝六時に起床して、出社して、働いて、帰ったら野球のナイターを見つつ、ビールをたしなむ。そして阪神が勝っていれば喜ぶ。そう言う男なんですよ」
「え。あ、ちょっと待て。今聞き捨てならないことを言ったな。君はもしや、阪神ファンなのかい?」
私の問いに、男がきょとんとした顔をする。
「そうですが、何か」
私の顔が無意識的に緩むのが分かった。抑えよう、抑えよう、と思っても、やはり制動は利かないらしい。
まさか、こんなところで。
「奇遇だな。私も阪神ファンなのさ」
「おや。そうだったんですか。いや、本当に奇遇ですね」
「いや、でも、君は幻覚かも知れないわけなんだけどな。そう言う設定なだけかもしれないし」
「ほお‥‥‥そう思いますか?僕のこの野球とタイガースに対する愛がまさか幻覚の設定だとでも言うつもりなんですか?」
私は男の剣幕に怯んで、少し口ごもる。
「し、しかし、」
「しかしも何もありませんよ。七回には風船を飛ばし、六甲おろしをテレビの前でさえ絶唱する僕の愛を、あなたは」
「う‥‥‥すまない。そうだよな、テレビの前でも六甲おろしだよな」
さすがに私は其処までは行かないが、ともかくそれを聞いて、男は実に楽しそうににっこりと笑った。
「そうですよねえ。やあもう、いいですよねえタイガースは」
「はあ。こんなところにいなければなあ。今すぐにでも甲子園球場に行きたいものだが」
そればかりは本音だった。男もうんうんと熱心そうに頷いて、私の顔を見てにやりと笑んだ。
「同感ですね」
それがきっかけとなった。しばらく私たちは益体もない雑談に花を咲かせた。
例えばそれは小学校の頃の仇名だったり、野良犬に追い回された話だったり、好きな食べ物の話だったり、仕事の話だったり、日常の様々なことであったりした。
この会話は、通常ならこの独居房では味わえるはずの無いもので、かつ、非常に楽しいものであった。
私たちは話し続けた。そして、よく笑った。いつまでも話はつきなかった。
どれくらい話していた頃だろうか。ふと二人の会話が一瞬途切れた。
私は改めて笑って、彼に言った。
「何だ、君。結構馬が合うんじゃないか」
「同じタイガースファンですからね」
「はは。どうであれ、君はなかなか面白いよ。話していて楽しい」
「そうですか?」
「ああ、そうだとも。君とはこんなふうな変な出会い方をしなければ、もし外で出会えていれば、少なくとも気の合う友人にはなれたかも知れないな」
「‥‥‥へえ。それは、よかった」
男は口元を半月形に引き伸ばした。
何処か無気味な笑い方だな、と思ったが、追従して、私も微笑む。だが、何処か嫌な感じがして、その微笑みは何処か引きつってしまったように私には思えた。
何かが釈然としない。何かが噛み合わない。この違和感は何なのだろう。
私はふと寒気を催す。何だ。一体何が原因だ。一体何がおかしいのだろうか。
と。
その答えが出ないまま、唐突に、小さな、しかし余りにもはっきりとした音が私の鼓膜を震わせた。
鉄の扉を軽く叩く、ノック音。来たな、と私は身震いする。
死刑の執行を宣告するために、人の形をした死神――看守が、やってきたのだ。
「お別れらしいな。本当に今日だった」
「そのようですね」
私は先程から感じる悪寒めいた不安さを打ち消すように、わざと自虐的な響きを己の呟きに乗せた。
まるで己の精神を鼓舞するように。自分の感覚が気のせいであったことを祈るように。
看守が鍵をいじる音。手間取っているのか、なかなか開かないようだ。どうしたのだろう。
「どうしたんですか?」
私が放とうとしていたはずの言葉を放ったのは、目の前にいた男だった。
私は焦った。中にいるはずの人間のものではない声が返ってくるのだ、看守は絶対に変な思いをしたに違いない。ああもうこの後に及んでこれ以上の面倒は御免だっていうのに。
ところが、返ってきた声は至極平静な声だった。何かに驚く様子もなく。何かを訝しむ様子もなく。
「いや、錆ついていてなかなか鍵が開かなくてね。少し待ってくれ」
その言葉が看守の返事だ、と認識するまでに、私の頭は数秒を要した。
どうして違和感を感じない?
私の声など覚えていなかったのか。
いやまさか。そんなはずはない。毎日食事を差し入れるのだから、その時に私の声を聞いているはずだ。私はいつも何事か独り言を呟いて暇をつぶしていたはずなのだから。
「いいですよ、もう十分待ちましたから。これくらいは待てます」
また男が言葉を返す。
なんだこれは。どういうことだ。どうして会話が成立する。
私は今、呆然として男を見つめていた。目を見開いている私の額には冷や汗が浮いていることだろう。
男はそんな私を見て、笑う。
嫌な笑みだった。
「さあ、お別れですね。やれやれ、うまくいきました。僕はこれから死にに行きます。あなたを残してね」
「どういう、ことだ‥‥‥!?」
私は叫んだ。外の看守が何か行動を起こしてくれることを、僅かに期待して。
しかしそれは儚い願望だった。看守は無言で鍵をいじり続け、男は笑顔でそこにいる。
「あなたは僕の価値を認めたんだ。先程の言葉でね」
「それは」
「あなたにとって友人足りえると言う価値を、あなたは僕に見いだした。存在意義という要素を与えたんだ。だから僕は、この世界における器を手に入れた。人に視認されるための存在になれた。あなたが与えてくれたから」
返す言葉は、私の中にはない。
「でも僕は、あなたを認めない。あなたに対しての価値を決して見いださない。だからあなたは誰にも認められない。ここにある器は一つだから、僕が与えれば僕はまた意識体に戻ってしまうから。――ああ、そうです。今のあなたはね、言ってしまえば僕の幻覚なんですよ」
「そんな!私はただの男だ。しがない死刑囚だ」
「それは僕のほうです。あなたは幻覚だ」
「なぜそんなことが言い切れるんだ?」
「簡単です。僕の言葉は届く。あなたの言葉は、もう届きません。僕とあなたの立場は、入れ代わったから」
「馬鹿な」
馬鹿な、ともう一度呟いて、私は頭を抱えた。何かを言い返したかったが、反論をするための材料は、もう何一つ無かった。事実が全てを私に告げていた。
先程交わした会話のせい。私が男の価値を認めたから、男の存在を確定したから。だから立場が入れ代わった。
悪夢のようだ。いや、これが悪夢なのか。
ならば目覚めようと思ったが、目は開いていた。悪夢ではなかった。
それはもっとひどい、現実だった。
「鳴呼。これでやっと僕は死ねる」
男の小さな呟きが、私の耳に入った。
「ん?」
私は首をひねった。
その言葉は、考えてみれば余りに不自然だった。幻覚が人間と入れ代わるのは、何のためだ。自由を手に入れるわけじゃないのか。
「死ぬ?何故だ。私は死刑囚だぞ。結局入れ代わったところで死ぬのは確実だし、何の自由もないのに。そうだ、そもそもどうして入れ代わろうなんて思ったんだ?」
「おや?それも分かっていなかったんですか。簡単じゃないですか。幻覚には死が無い。老いも無い。ただただ誰にも存在を認められないまま時間を空費するしか幻覚に残された手立てはないんですよ。僕が今までそれにだひたすらに耐えてきた、と言えば分かってくれますか?もはや、死だけが僕にとっての開放であり、自由である、と」
不死であるよりは、気持ち良く死ねたほうがいい。
男の先程の言葉が、脳裏をよぎった。頭に上った血がすうっと引いていく気がした。
それで、私はやっと、先程の男の笑みの真実の意味に気がついた。
底冷えのするようなその事柄の意味に、体の震えが止まらなくなった。
「まさか。いや、そんな馬鹿な。お前はいつから、此処にいた?」
そして、私は乾く唇を湿して、続ける。
「いつ、入れ代わられた」
男は応えなかった。ただ笑い続けることが、答えだった。
それは、誰にも認識してもらえない恒久の時間を、不死を倦むほどの歳月を――何よりも如実に、語っていた。
「そんな‥‥‥」
私もそうなるのか、私も耐えねばならないのか。不死を。世界の全てに認識してもらえないと言う薄ら寒さを。
嫌だ。
そんなのは嫌だ!それぐらいなら、死刑になって首を吊って死んでしまったほうが、どれほど楽なことか!
心の中で盛大な叫びを上げた、その時だった。きい、と言う音がして、思わず私はそちらを振り返る。
それは何時の間に鍵が開いたのだろう、錆ついた扉がきしんだ音を立てて開いた音だった。
「死刑囚四百二十三号。執行だ」
何の感情もそこからは読み取れない、事務手続きを済ませる、と言うふうな声。
「待て、待ってくれ!私だ。そいつは幻覚だ。私を連れていってくれ。私が本当の死刑囚なんだ!」
私は入ってきた看守に取りすがる。しかし看守は私のことを気に留めるふうもなく、ただ事務的に男を立たせ、連れていこうとする。まるで私などそこにいないと言うような様子で。
それは私を意識して見ようとしないのではない。何もないから見る必要がないといったふうに、ふるまうのだ。
私は愕然とした。
「私は、此処にいるのに」
立ち上がった男は私に向かって失笑とでも言えるような表情を浮かべた。
不可解な男の表情に看守が訝しげな顔をするのに、男は涼しい顔でこう言った。
「大丈夫、僕と同じようにすればいいんですよ」
「え?」
「そうすれば、いつか自由になれる」
看守は胡乱気な目で男を見つめた。男は看守に向かって微笑んだ。
「あ、大丈夫です。今のは幻覚と話していただけですから」
逆効果だった。看守は露骨にさっさとここを出ていきたい、と言う顔をした。
早く、と促された男は、ただ馬鹿のように呆けている私に向かって、最後にぼそりと呟いた。
「あなたならできますよ」
それ以上、男は何も言わなかった。そして男は看守に連れられて、ゆっくりと扉を出ていった。
そばにつくのは二人の看守。コンクリートの床から漂う埃と湿気が交じった匂いが鼻孔から吸い込まれる。
「大変ですね」
沈鬱そうな顔に声をかけたら、ますます表情を消されてしまった。
まあ仕方ないとも言えそうだ。
突き当たりの門を曲がる。其処に広がっていたのは-まさに、人を死に至らしめるための機械だった。
思わず、目を輝かせてしまう。看守たちがうさんくさそうな顔をしているのに気づいて、慌てて顔を引き締めるが、ちょっと遅かっただろうか。
「目隠しをしますか」
質問には首を振って応じた。最後まで見えるものは見ておきたいと思ったからだ。
「何か、最期に食べたいものは?」
少し考える。
「玉露と、それから、あれば餅を」
しばらくしてそれらが目の前に運ばれてきた。まずは玉露。香りを楽しみ、ゆっくりと口に含む。
「熱い」
味はよく分からなかったので、次は冷ましてから飲む。
濃い味に、思わず酔いそうなぐらいの、くらくらするような感覚を受けた。
そして次に餅を咀嚼する。これもまた実に、うまかった。
ああなるほど、『前』の人が出ていく時に、『実は不謹慎かも知れないけれど、俺、死ぬ前のさ、玉露と餅が楽しみなんだよね』と言っていたのが、少し分かった気がした。
味と言うのは、かくも鮮やかな感覚だったのか。
「おいしいですね」
笑うと、
「そりゃよかった」
また、複雑そうな顔をされた。
全てを食べ終わると、看守の一人が腕時計を見た。
「時間だ」
僕は頷いた。
十三階段ではない。ほんの数段を僕は登る。首にゆっくりと縄が巻かれ、僕はただ目の前を凝視する。
「何か、言い残したいことは?」
僕はふと思いを巡らせる。
コンクリートの灰色。玉露と餅はおいしかった。あまり素敵な人生とは言えなかったけれど、まさかあんなところで番狂わせが起ころうとは。
「ありません」
僕は一度消えた。意識と記憶だけを残して。一度消えたものが二度消えるのに、残すものはない。
あ、そう言えばあの人とは、『首吊りで死ぬ間際は気持ち良いらしい』なんて話したっけ。それ、本当だろうか。僕も人から聞いた話だから本当のところはどうだか分からないけれど、できることなら、そのほうがいいな。
ああ、今年のペナントレースはどうなっているのだろう?
がたん
「四百二十三番、執行」
一人の看守が、独房の扉を押し開けた。彼は明らかに憂鬱そうな顔をして、のろのろと足を進めている。
それと言うのも、最近このあたりを通ると時々何やら独り言のようなものが聞こえることがある、と言う噂が飛び交っているからだ。ちなみに、この房には先日まで死刑囚が入っていた。勿論今は、誰もいない。
そんなものを気にしていたらこんな仕事などやっていられるわけが無いのだけれど、それでもさすがに何日もそれが続き、証言者が増えてくるとなると、やはり気のせいで済まされなくはなってくるものである。
「ちょっと前に死刑が執行されたからって、そんなに安易に幽霊が量産されていたら、今頃此処は幽霊屋敷だよ‥‥‥」
ぼやいても当たり前のように返事なんかあるわけもない。期待しても仕方がないし、第一返ってきたほうが恐ろしい。
看守は深く溜め息を吐いて、掃除用具を取り出した。
まあ、此処は気持ちを切り替えて、隅々まで掃除してやろうか。
そう決意すると彼は、水の入ったバケツの中に雑巾を勢い良く突っ込んだ。
その時。
彼の後ろで何かががたりと音を立てた。
何だろう。
首をひねる。野次馬根性を出してまで、こんなところまで来るような人はいただろうか。
「誰ですか?」
彼はゆっくりと振り向く。
「やあ」
‥‥‥そして世界はループする。
これもついうっかり18歳の時に書き上げたものです。
さんざん推敲しすぎて、最後は面白いのかどうかすらわからなくなったという残念な一品です。
なんとなく思ったのですが、この時期の自分って何か精神状況が追いつめられていたのだろうか、という気が少しします。