ラバーズ(訂正)
ぐっと腕を引かれた「何ですか?」と訊く。痛くて思わず声がひきつった。「もっとこっちにきなさい」豚が笑った。幾重にも皺が重なった笑顔はまるで腐ったトマトの皮みたいだと思う。豚がわたしをおんぶした。体を脂肪で固めた巨大な体にわたしの体はすっぽりと収まる。抵抗という概念をまだ私は学習していないので、私は豚の介護をした。
ママは中学生で、今日は女子会。私は小学生で今日は援交。
え、ふたりとも学校はどうしたかって?私たちに義務教育なんて有りませんよ。
この肩書きは子供って示すためのパッケージなんです。
ママは多分明け方の四時に帰るので、私はひまし油を飲む。
私は油が嫌いだけど、台所にそれしかないからひまし油を飲む。
ケータイを見ると、一着新着メールが届いてた。得意にしてるパーツ屋のタジマだった。
「メンテ後、調子いい?古くなったパーツ交換いつでも歓迎よ。ママにも伝えてね。」
右手の人工白蓋がすりへってきたかも。セラミックの腕を2回曲げると痛みを感じた。
今夜は豚相手のバイトは難しいかなぁとぼんやりと思う。
豚のところに行けなくなるのはとても嬉しい、嬉しいけど、お金がもらえない。しかもタジマんとこに行ったら修理代としてお金がかかる。金を稼ぐには豚の世話をしなくちゃならない。嫌なサイクルに組み込まれている気がした。自分がそれ輪からいつ解放されるか予想した。本当に考えても無駄なことだったから、わたしのやらなくちゃいけないことと言ったら胸の中のもやもやを消すことだけだった。ひまし油を飲み干す。豚にキャンセルの電話をかけた。
「パパ、あのね、明日デートできなくなっちゃったの。」そのことがとても悲しいように豚に伝えた。作り笑いが勝手に出た。
「そうかいサヤカ、残念だなあ、せっかく明日も仕事が休みなのに。サヤカがいないと寂しいよ。」豚も猫なで声で応える。電話口からフケの匂いが伝わる気がした。
「ママは空いてるよ、明日はママにしたら?」
「そっちのサヤカかぁ、でも明日はおまえが良かったんだ。」
「母子家庭の貧乏な小学生のサヤカのことね、
現役中学生で子持ちの設定のサヤカはこのごろお気に召さない?」
「サヤカ、君は本当によく育っているいい子だ。けれど今日の君は 君らしくないな、そんな生意気を言うなんてパパは悲しい。」
「ごめんねパパ、サヤカホントはパパのこと大好きよ、私はパパし かいないの、パパ、大好き。」
電話を切る。うっかり口について出た失言について考える。前の脳の持ち主が暴れてるのだろう。右手と一緒に自律神経も直さなきゃ、と思った。タジマが生体パーツ扱えたかどうか、もう一度電話をして確かめなくてはいけない。
ベッドに倒れ込む、体重を感知して電気毛布が熱を発する、わたしの皮膚はその温かさが分からない。このベッドは家に来る唯一の人間である豚用のベッドでもある。
「パパ」
作った声色で一人つぶやく。わたしの前の脳の持ち主は「パパ」が嫌いだったらしい。その記憶は、今のわたしの「パパ」に対する感情にも影響を与えている。メモリがごく僅かに残っているのでその残滓をすする。クラスタにぶつかって背中がひきつる。
"私はあの豚を嫌悪していた。私を束縛して、機械のようにコントロールしようとした。口答えさえしない従順な女にさせようとした。胸が膨らみ始めてやっとそれが分かった私はあいつから逃げた。そんな思春期を迎えた14才に私は殺された。最後に豚は私にこういった。
「サヤカ、僕はおまえを育てなおす、おまえを沢山産もう。 沢山のサヤカを、本当にいい子になるまで何人も育てよう。それが親としての義務だからな、教育が成功した暁にはお前もきっとわかってくれるだろう パパ、ありがとうって言うはずだ、おまえのためにやっているんだ、小さい頃の夢が叶うんだぞ。よく言ってたじゃないか、サヤカ、大きくなったらパパと…」