大聖女様と陰謀
スルメアの朝は、いつも清らかな鐘の音で始まる。
だがこの日、教会の正門に鳴り響いたのは、硬い馬蹄と鉄具の音だった。
「隣国アルカディアの使者、謁見を求む!」
重厚な鎧をまとった従者たちに囲まれ、ひとりの青年貴族が馬から降り立つ。
その鋭い瞳と薄い笑みは、礼儀の奥に隠された挑発を隠そうともしない。
「……サーヴェル公爵ですか...」
パルミアは聖堂の奥で報告を受け、軽く息を吐いた。
隣国との確執は薄氷の上を歩くようなもの。
その使者が、よりによって“剣より言葉を好む”と評される男であることに、彼女は内心で胸騒ぎを覚えた。
◇
聖堂謁見の間。
高い天井と彩色ガラスから射す光が、重臣たちを照らす。
玉座に座した大聖女パルミアの前で、サーヴェル公爵は一礼し、口を開いた。
「大聖女よ。我が王アルカディアは、南部の水路について強く抗議する。
あれは古来より我が国の領地であり、貴国が管理するのは不当である」
内務卿パパラエが即座に立ち上がる。
「何を言うか! 水路の開発は我らスルメアの資金と労力によるものだ!
歴史を歪めるのはやめていただきたい!」
「パパラエ卿!落ち着いてください!」
パルミアが手を挙げて制する。
「申し訳ありません、サーヴェル公爵。ところでそれはそちらの王の意思ととらえてかまいませんか?」
「もちろん。これは我が王の意思にして、我が国の意思。」
その言葉から裏を読むことはできない。
そして、外務卿イリーナが涼やかに微笑む。
「……ここは一度、譲歩を見せるべきでしょうね」
「イリーナ卿!? 正気か!」
パパラエが声を荒げる。
「正気ですわ。戦を選べば民が飢える。少し水路を共有すれば済む話……もっとも、それに見合う“交換条件”はいただきますが」
イリーナの目が細く光った。
挑発か計算か、その真意は誰にも読めない。
重苦しい空気の中でサーヴェルが口を開く
「決断は急ぎでなくて結構です。ですが、賢い決断を期待しています。」
◇
謁見が終わり、控室に戻ったパルミアは、椅子に沈み込むように座った。
「はぁ……どうしたらいいの」
「断固拒否するべきです、パルミア様」
カリラがきっぱりと言う。
「民を守るためには、譲れぬものがある」
「でも……戦になったら、民が一番に苦しみます」
エラが穏やかに反論した。
「飲める水がなくなり、食糧も不足するでしょう。だから――」
二人の正反対の声が交錯し、パルミアは頭を抱えた。
「私が間違えたら、この国ごと倒れる……そんなの、怖すぎるよ」
◇
その夜。
静かな廊下を、ひとりの影が歩いていた。
イリーナ・ヴァレリア。
外務卿の彼女は、月明かりの差す中庭でサーヴェル公爵と向かい合う。
「……思ったよりも、甘い国ですね。大聖女も」
サーヴェル公爵の皮肉に、イリーナは唇の端を上げた。
「甘さは毒にも薬にもなるものよ。
――さて、私とお茶でもどうかしら? あなたが望むものと……私の望むもの。取引しましょう」
二人の笑みが重なる。
その意味を、まだパルミアは知らなかった。