番外編●絶望の姉妹とロザリンダの悲恋(2)
翌朝、エレノアは鳥のさえずりで目を覚ました。
昨夜の雨は完全に止み、窓から差し込む朝日が部屋を優しく照らしている。久しぶりに安全な場所で眠ることができた安堵感と、暖かいベッドの感触に、エレノアは現実を確かめるように手のひらを見つめた。
「お姉様! 起きた?」
隣のベッドからリリアの明るい声が聞こえる。振り返ると、妹は既に起き上がり、頬に血色が戻っているのが見えた。昨夜の高熱が嘘のように、リリアは元気を取り戻していた。
「リリア、もう大丈夫なの?」
「うん! すっかり元気だよ! ロザリンダさんの薬草茶、すっごく効いたみたい!」
リリアの回復した姿に、エレノアは心の底から安堵した。しかし、同時に昨夜の迷いも蘇ってきた。自分たちはここにいていいのだろうか。そして、この村にいる男たちと顔を合わせることへの不安も。
部屋のドアがノックされ、ロザリンダが顔を覗かせた。
「おはようございます。お二人とも、お加減はいかがですか?」
「おかげさまで、すっかり元気になりました」エレノアは感謝を込めて答えた。
「それは良かった。朝食の準備ができていますので、よろしければ」
食卓には焼きたてのパンと温かいスープ、そして村で取れた新鮮な果物が並んでいた。簡素だが心のこもった食事に、エレノアとリリアは久しぶりの温かい食事を味わった。
「ロザリンダさん、本当にありがとうございます」エレノアは改めて感謝を伝えた。「私たちの命を救ってくださって......」
「お気になさらず。困った時はお互い様です」ロザリンダは微笑みながら答えた。「それに、私もこの村に救われましたから……」
「どういうことですか?」とエレノア。
「昨夜お話したでしょう。私は魔法少女としての力を失い、愛する人も失った。全てを失って絶望し、もう何も希望はないと思っていましたが……生まれ育ったこの村の人々は、私を温かく迎えてくれたんです。あなた方のことも、きっと……」
本当にそうだろうか? とエレノアは思った。ロザリンダにとって、この村は生まれ故郷であり、村人たちは家族のような存在だったのだろう。しかし、自分とリリアは、赤の他人に過ぎない。
食事の後、ロザリンダは二人を村の中心部に案内した。昨夜は暗くてよく見えなかったが、改めて見ると、石造りの家々が整然と並び、村人たちが朝の仕事に取り組んでいる光景が広がっていた。
「皆さん、昨夜お話しした旅人の方々です」ロザリンダが村人たちに紹介すると、最初は自然な笑顔で迎えてくれた。
「エレノアと申します。こちらは妹のリリアです」
エレノアは丁寧に挨拶した。王女としての地位は失ったが、礼儀は忘れていない。しかし、村人たちの間に何人かの男性の姿を見つけると、彼女の表情はわずかに強張った。
「昨夜はお世話になりました」リリアも元気よく挨拶した。
しかし、村人たちの表情が次第に変わっていくのを、エレノアは敏感に感じ取った。ひそひそと囁き合う声が聞こえてくる。
「フロストヘイヴン......まさか、あの王宮の......」
「王宮襲撃事件の......」
「追放された王女様たちじゃないか?」
村人たちの視線が急に冷たくなった。昨夜の温かさは消え、警戒と困惑の色が浮かんでいる。
年配の男性が前に出てきた。エレノアは反射的に一歩後ずさった。男性への恐怖が、彼女の体を硬直させる。
「ロザリンダさん、本当にあの方々は......?」
ロザリンダは困ったような表情を見せたが、嘘をつくことはできなかった。
「はい......エレノア様とリリア様です。でも、お二人は......」
「王宮を守れなかった者たちですよね」別の村人が厳しい口調で言った。「私たち、王都から逃げてきた商人から聞きました。魔獣が現れた時、何もできずに逃げ出したって」
エレノアの顔が青ざめた。噂は既に広まっていたのだ。そして、その噂は事実だった。
「両親を見殺しにして、自分たちだけ逃げ出したって話も聞きました」中年の女性が続けた。「そんな方々を村に置いて、本当に大丈夫なんですか?」
「また魔獣を引き寄せるかもしれませんよ」
「それに、王女様方は高慢で、私たち平民を見下すと聞いていますが......」
村人たちの不安の声が次々と上がる。エレノアは何も言い返せなかった。高慢だという評価については、確かにその通りだったかもしれない。王宮にいた頃、自分が平民をどう見ていたか......。
そして、村の男たちの視線が自分に向けられるたびに、あの日の記憶が蘇る。人間の男に化けた魔獣が、両親を......。
「でも、お二人は魔法少女でいらっしゃいます」ロザリンダが必死にかばおうとした。「きっと村のお役に立てるはずです」
「役に立つって?」年配の男性が冷ややかに言った。「王宮すら守れなかった者が、私たちの村を守れるとでも?」
エレノアは男性の声を聞くたびに、体が震えるのを感じた。理性では村の男たちが魔獣ではないと分かっているが、感情が制御できない。
「それに、王族の方々と私たちのような平民が一緒に暮らすなんて、身分が違いすぎます」別の村人が付け加えた。「きっとお高くとまって、私たちを下に見るのでしょう」
エレノアの心に痛みが走った。確かに、王宮にいた頃の自分は平民を見下していた。でも今は......今の自分に、そんな立場はない。
ところが――リリアは突然膝をつき、頭を下げた。
「お願い! ボクたちを受け入れて! 確かにボクたちは王宮を守れなかった。でも、今度は皆さんを守りたいんだ!」
「リリア!」エレノアが声を荒げた。王女が平民に頭を下げるなど、あってはならないことだった。プライドが許さない。
リリアは構わず続けた。「お姉様は確かに高慢かもしれません。でも、本当は優しいんです!」
「やめなさい、リリア!」エレノアの声が震えた。「私たちが頭を下げる必要なんて......」
「お姉様こそやめて!」リリアが涙を流しながら言った。「もうボクたち、王女じゃないんだよ! ただの、魔法の力を持った女の子なんだよ!」
エレノアは絶句した。リリアの言葉は正しかった。でも、王女としてのプライドを捨てることは、自分を否定することと同じだった。
「皆さんの不安はもっともです」エレノアはようやく口を開いた。しかし、その声には相変わらず高慢さが残っていた。「確かに私たちは王宮を守れませんでした。でも、それは私たちが弱かったからではなく、敵が特別だったからです」
村人たちの表情がさらに険しくなる。
「それでも、この村で魔獣が現れれば、私たちが対処します。それが......それが私たちにできる償いです」
その言葉にも、どこか上から目線の響きがあった。エレノアは自分でもそれに気づいていたが、どうしても直せなかった。
年配の男性が厳しい表情で言った。「償い、ですか。上から目線で物を言われても、信用できませんな」
エレノアの表情が強張る。特に男性に否定的なことを言われると、恐怖と嫌悪感が混ざり合って、冷静でいられなくなる。
「私は......」エレノアが何か言いかけた時、村の端から警鐘が鳴り響いた。
「魔獣だ! 魔獣が現れたぞ!」
見張りをしていた村人の叫び声が響く。村の東側の森から、巨大な影が現れた。体長4メートルほどの熊のような魔獣で、鋭い牙と爪を持ち、赤い目を光らせている。
村人たちがパニックになり、子供たちの泣き声が響く。男性たちが武器を取って立ち向かおうとしたが、魔獣の前では無力だった。
「みんな、逃げて!」ロザリンダが叫んだ。
しかし、魔獣は村の中心に向かって突進してくる。このままでは、多くの村人が犠牲になってしまう。
エレノアとリリアは立ち止まった。
「お姉様......」
「ええ、わかってる」
二人は顔を見合わせ、頷いた。
「皆さん、下がってください」
エレノアとリリアは杖を取り出した。村人たちを見捨てて逃げることはできなかった。高慢で、男性への恐怖を抱え、平民を見下す傾向があったとしても、それでも彼女たちには魔法姫としての誇りがあった。弱い者を守るという、最後の誇りが。
青白い光がエレノアを包み、鮮やかなピンク色の光がリリアを包む。二人は魔法姫の姿に変身した。
村人たちが息を呑んで見守る中、エレノアは氷の杖を構え、リリアは花の杖を握りしめた。
しかし、エレノアの心の中では複雑な感情が渦巻いていた。この村の人々を守りたいという気持ちと同時に、「私たちがこの下等な者たちを守ってやる」という傲慢さも混じっていた。そして、村の男たちへの恐怖も。
それでも、魔法姫としての使命感が、彼女を前に押し出していた。
魔獣との戦いが、今始まろうとしていた。
「番外編●絶望の姉妹とロザリンダの悲恋(3)」に続きます。