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番外編●絶望の姉妹とロザリンダの悲恋(1)

エレノアとリリアが村にやってきた時の出来事を描く番外編・3部作です。

 雨が冷たく頬を打つ。


 エレノア・フロストヘイヴンは、泥まみれのブレザー制服を纏い、妹のリリアを支えながら森の中を歩き続けていた。十四歳の彼女の肩に、十二歳のリリアが重くもたれかかっている。


 王宮追放から二週間。姉妹が携えていたわずかな金貨は底を尽き、食料も昨日の朝から口にしていない。エレノアの足には血豆ができ、一歩踏み出すたびに鋭い痛みが走る。しかし、彼女はその痛みを表情に出さないよう必死に堪えていた。


「お姉様......もう休もう?」


 リリアの弱々しい声が雨音に混じって聞こえる。普段なら明るく無邪気な妹の声が、今はかすれて震えていた。


「まだ大丈夫よ」エレノアは強がりながら答えた。「もう少し歩けば、きっと村が見えてくるわ」


 嘘だった。この森がどこまで続くのか、エレノアにも分からない。ただ、妹を安心させるために口にした言葉だった。


 昨日立ち寄った宿屋では、「お金がないなら他を当たってくれ」と冷たく断られた。街を歩けば「追放された王女様だ」という好奇の視線と陰口が追いかけてくる。ある商人は施しをくれようとしたが、エレノアは王女としてのプライドがそれを許さなかった。頭を下げることができなかった。


 雨脚が強くなってきた。二人の体は既にびしょ濡れで、リリアの唇は青ざめている。エレノアは必死に歩き続けたが、やがてリリアの足が止まった。


「お姉様......ボク、もう無理......」


 リリアの膝が崩れ、泥の中に倒れ込む。エレノアは慌てて妹を支えようとしたが、自分の体力も限界だった。激しい雨は二人の体温を奪い続け、リリアの体が小刻みに震え始めた。


「リリア! しっかりして!」


 エレノアは妹を抱き起こそうとしたが、自分の腕に力が入らない。近くにあった大木の根元に向かい、二人は身を寄せ合った。


「お姉様......ボクたち、このまま死んじゃうのかな......」


 リリアの震える声に、エレノアの心が張り裂けそうになった。王女として生まれ、何不自由なく育ったはずの二人が、今は命の危険にさらされている。つい一ヶ月ほど前に両親を失い、王宮を追われ、行く当てもない。


 あの日の光景が蘇る。突然王宮に現れた漆黒の魔獣。人間の男に化けていたその悪魔が、圧倒的な力で父と母を襲う恐ろしい姿。エレノアとリリアは何もできずに震えているだけだった。魔法姫としての力も、王女としての威厳も、何の役にも立たなかった。


「大丈夫......きっと大丈夫よ......」


 エレノアは妹の頭を撫でながら呟いた。しかし、その声には確信がなかった。心の奥で、彼女も死を覚悟し始めていた。


 私たち、このまま死ぬのかしら......。


 雨が激しさを増す中、リリアの意識が薄れていく。エレノアは必死に妹の名を呼び続けたが、もう立ち上がる力も残っていなかった。


 薄れゆく意識の中で、エレノアは足音を聞いた。


「あら......?」


 優しく温かい声が雨音の向こうから聞こえる。エレノアは重いまぶたを持ち上げ、声の主を見た。


 金色の長い髪を一つに束ね、簡素だが清潔な服装の女性が立っていた。年の頃は二十代半ば。手には薬草を入れた籠を持ち、心配そうな表情でこちらを見つめている。雨に濡れた髪が頬にかかり、その瞳には深い慈愛が宿っていた。


「大丈夫ですか? ひどく冷えているようですが......」


 女性は躊躇なく二人に近づき、膝をついてリリアの額に手を当てた。その手は温かく、エレノアは久しぶりに人の優しさに触れた気がした。


「高熱ですね。このままでは危険です」


「私たちは大丈夫です」エレノアは虚勢を張ろうとしたが、声が震えて説得力を持たなかった。


 女性はエレノアの青ざめた顔と、明らかに貴族の出であることを示す制服の残骸を見つめた。そして、リリアの苦しそうな呼吸を確認すると、決断したように立ち上がった。


「私はロザリンダと申します。近くの村に住んでいます。今すぐ手当てをしないと、この子は......」


 リリアの容態が急激に悪化していくのを見て、エレノアの冷静さが崩れ始めた。


「リリア......しっかりして......お願い......」


 王女としての口調が出てしまう。ロザリンダの鋭い視線がエレノアを捉えた。


「あなたたち......もしかして、フロストヘイヴン家の......」


 エレノアの表情が絶望的に歪んだ。もう隠す意味もなかった。


「......もうどうでもいいわ。そうよ、私たちは追放された王女よ。でもそんなことより、リリアを......お願い、この子だけは......」


 涙がエレノアの頬を伝い落ちる。王女としてのプライドは、もはやどこにもなかった。あるのは妹を救いたい一心だけだった。


 ロザリンダの表情が優しさに満ちた。


「わかりました。すぐに私の村に連れて行きます」


 迷いのない即答だった。ロザリンダは高熱のリリアを背負い、よろめくエレノアを支えながら歩き始めた。


「どうして......」エレノアは震える声で尋ねた。「どうして私たちを助けてくれるの? 私たちは追放された身よ......王宮を守れなかった無力な者よ......」


「私にも、失ったものがあります」ロザリンダは穏やかに答えた。「以前は魔法少女でしたが......ある出来事で、その力を失いました。それ以上に大切なものも……。同じ道を歩んだ者として、あなたたちを見捨てることはできません」


 エレノアは驚きを隠せなかった。この女性も魔法少女だった。そして、その力だけでなく、何かを失った過去を持っているのだ。


 歩き続けて一時間ほどで、森の向こうに小さな村の灯りが見えてきた。石造りの家々が立ち並び、煙突からは温かそうな煙が立ち上っている。雨に打たれて歩き続けた森の暗闇から、ようやく人の営みの光が見えた瞬間だった。


「あそこが私の村です」ロザリンダが振り返って言った。「小さな村ですが、皆優しい人たちです」


 エレノアの心に複雑な感情が湧き上がった。王宮から見下ろした豪華な王都とは比べものにならない質素な村。でも、あの灯りがこれほど温かく見えるとは思わなかった。


 村の入り口で、何人かの村人たちが出迎えた。夜遅くにも関わらず、ロザリンダの呼びかけに応じて駆けつけてくれたのだ。


「ロザリンダさん、どうされました?」


「森で行き倒れになっていた旅人を保護しました。高熱を出している子がいるので、すぐに手当てを」


 村人たちは躊躇なく動き出した。温かい毛布を持ってくる者、薬草茶を準備する者、暖かい部屋を用意する者。誰一人として、二人の正体を詮索したりしなかった。その自然な親切心に、エレノアは戸惑いを感じた。


 王宮では、すべてが計算ずくだった。礼儀も親切も、すべて地位や利害関係に基づくものだった。しかし、ここにあるのは純粋な善意だった。見返りを求めない、ただの人としての優しさだった。


 ロザリンダが用意してくれた小さな家は、質素だが清潔で温かい空間だった。暖炉の火が部屋全体を優しく照らし、久しぶりに安全な場所にいることを実感した。石造りの壁、木製の家具、手作りの温かみを感じる調度品。王宮の豪華さとは対照的だが、ここには本当の温かさがあった。


 リリアがベッドに寝かされ、村の薬師が丁寧に診察する。熱は下がり始め、呼吸も安定していた。薬師の手際よい処置と、村人たちの協力により、リリアの容態は確実に回復に向かっていた。


「明日の朝には元気になりますよ」薬師の言葉に、エレノアは心の底から安堵した。


 夜更け、リリアが安らかな眠りについた後、エレノアはロザリンダと小さなテーブルを挟んで向かい合った。温かいスープを口にしながら、エレノアは久しぶりに人と向き合って話をしていた。


「つい一ヶ月ほど前、王宮が魔獣に襲われました。両親は......目の前で殺されました。私たちは何もできなかった。ただ震えているだけで......」


 ロザリンダは静かに耳を傾けた。


「追放の理由は、私たちが弱すぎたからです。魔法姫としての力も、王女としての威厳も、何の役にも立たなかった。だから......だから、私たちはもう誰の役にも立てない。力になれない」


 エレノアの声に自嘲が混じる。


「それは辛い経験でしたね」ロザリンダは優しく言った。「でも、あなたはリリアを守り抜いた。それだけでも十分強いと思います」


「守り抜いた?」エレノアは苦笑した。「今日だって、あなたがいなければリリアは死んでいたかもしれない。私は何もできなかった。結局、誰かに頼ることしかできない」


 ロザリンダは少し躊躇した後、静かに答えた。


「私も魔法少女でした。魔獣討伐の旅をする中で、ある日、愛する人と巡り逢ったのです。強く、聡明な人でした。私は愛する人のために......純潔を失い、魔力を失いました。星々に祝福されているようで、彼と結ばれることに後悔はなかった。けれど、彼は目の前で魔獣に襲われ……。私は彼を守れなかった。その時の絶望感、居場所を失う恐怖、取り返しのつかない後悔……私にもよくわかります」


 エレノアはじっと聞き入っていた。同じ痛みを知る者同士の理解が、二人の間に生まれた。


「でも、だからこそ言えるのです。力を失ったからといって、人として価値がなくなるわけではない。あなたたちには、まだできることがたくさんあります」


 エレノアは首を振った。「私たちは王女として育てられました。戦うことしか教わっていない。でも、その力も信頼も失った。残ったのは、ただの無力な少女だけです」


「この村で、新しい人生を始めませんか?」ロザリンダは提案した。「もしよろしければ、村の守護者として、魔法少女の力を貸していただけませんか? もちろん、強制ではありません。あなたたちのペースで構いません」


 エレノアは長い間考えた。王宮への復讐心は消えていない。しかし、今この瞬間、妹が安全な場所で眠っていることが何より大切だった。


 だが、同時に深い不安も感じていた。自分たちのような失敗者が、この純朴な村人たちと共に生きていけるのだろうか。また同じように、大切な人たちを守れずに失ってしまうのではないだろうか。


 そして何より、この村には男たちもいる。あの日、両親を殺した魔獣は人間の男に化けていた。男への恐怖と嫌悪感は、今も彼女の心に深く根を張っていた。


「......考えさせてください」エレノアは小さく答えた。「私たちがここにいることで、村の人たちに迷惑をかけるかもしれません。それに......私は男という存在を信用できません。この村の男たちと関わることに、恐怖を覚えるのです」


 エレノアの脳裏に、両親が殺された瞬間が蘇る。父と母を殺したのは、人間の男に化けた魔獣だった。


 だが、目の前のロザリンダは黙って微笑んでいる。その温かい笑顔が、エレノアの心に光を灯した。


「あなたたちのペースで構いません。まずはゆっくり休んで、体を回復させてください。答えは急がなくて大丈夫です」


 その夜、エレノアは久しぶりに安心して眠ることができた。しかし、心の奥底では迷いが渦巻いていた。森の中で感じた死の恐怖から、温かい家での安らぎへ。ロザリンダという聖女のような人に救われ、新しい希望が芽生え始めていた。


 しかし、それと同時に、自分たちの無力さも痛感していた。また誰かを失うのではないか。また誰かに迷惑をかけるのではないか。そして、この村にいる男たちへの恐怖と嫌悪感。そんな複雑な感情が、希望の光を曇らせていた。


 窓の外では雨が止み、雲の切れ間から月の光が差し込んでいた。絶望の森での出会いから始まった新しい物語。救いの手によって始まった希望への第一歩だった。


 だが、真の試練はこれからだった。

「番外編●絶望の姉妹とロザリンダの悲恋(2)」に続きます。

また、本日、タイトルを『特撮ヒーローの中の人、魔法少女の師匠になる』に変更しました。

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