(8)奪われた純潔、そして濡れ衣
エレノアの腕の中で、リリアの体が痙攣している。小刻みに肩が揺れ、腰が跳ね、足首が反り返る。制服の下の細い体が痛みに痙攣している様は、見るに耐えない。首元の宝石は輝きを失い、灰色に変色していた。
「嘘でしょう、リリア? ほら、変身してみて」エレノアは強い口調で言った。「魔法姫は、こんな小さな傷で変身できなくなるなんてことはないわ。集中して」
「変身……できない……」リリアはゆっくりと首を振った。彼女の全身から魔力の光が完全に抜け落ち、最後の一筋が空に消えていった。「星の加護が……消えた……」
リリアの喉から絞り出されるような呻き声。顔を歪めて、両足を強く閉じ、体を硬直させる。純潔を奪われた痛みと恐怖が、彼女の体を支配していた。
「そんなことあるはずないわ!」エレノアは半ば取り乱しながら、リリアの首元のペンダントを掴んだ。「ほら、集中して! 魔法姫リリア、変身よ!」
リリアは弱々しく目を閉じ、小さく唇を結んで集中しようとした。だが、その表情には空しい諦めが浮かんでいる。次の瞬間、彼女は小さく首を振った。痙攣は次第に弱まり、代わりに全身から力が抜けていくように見えた。
「できない……もう二度と……魔法姫には……」
「そんな……」エレノアの声が震える。ようやく現実を受け入れ始めた彼女の顔に、恐怖と絶望が浮かんだ。「純潔を……奪われたの……?」
俺はアポロナイトの変身を解除し、自責の念に駆られた。「俺がもっと早く魔獣に気づいていれば……」
「黙りなさい!」
エレノアの叫びが森に響いた。彼女の目には、怒りと憎悪の炎が燃えていた。その美しい顔は怒りで歪み、涙に濡れていた。
「全部あなたのせいよ!」彼女は震える声で俺を罵った。「あなたが現れなければ、こんなことにはならなかった! 最初から怪しいと思ったのよ!男の姿をした魔獣なんて、憎むべき最悪の存在だわ!」
エレノアは激しく唾を飛ばしながら続けた。「魔獣、それもあなたのような卑劣な魔獣は、まず女性を混乱させ、油断させる。それから私たちの純潔を奪う! あなたの目的は最初からそれだったんでしょう? リリアを魅了して、純潔を奪う機会を狙っていたのよ!」
彼女の怒りは止まらない。「リリアがあなたに惹かれて『師匠』なんて言い出した時、私は直感したわ。あなたは最悪の魔獣だって! でも私の警告を聞かなかった! そして今、リリアは……リリアは……!」
エレノアの言葉は一理ある。俺たちが話し込んでいる隙に、魔獣は接近した。俺がもっと警戒していれば、リリアを守れたはずだ。
思わず唇を噛んだ。アポロナイトの力を手に入れ、あれほど高揚した気分だったのに、目の前の少女を守ることすらできなかった。女神が授けてくれた「真の力」も、所詮は万能ではなかったのか? 二十年間、他人のヒーローを演じてきた俺が、ついに手に入れた力。それでも守れないものがある――その現実に、愕然とする自分がいた。
そして同時に、野望を胸に抱いたばかりの自分への自戒も生まれていた。「絶対的な力で、この世界を支配する――それは簡単なことじゃない。人間は思い通りにはならない。命は思い通りにはならない。それが人生の厳しさだ。撮影スタジオの理不尽から逃れたと思ったのに、この世界にも理不尽がある。
エレノアの罵倒に対して、反論の言葉は出てこなかった。どう弁明しても、彼女の怒りを静めることはできないだろう。何より、リリアを守れなかった事実は消せない。
「お姉様……師匠を……責めないで……」
リリアが力なく言葉を絞り出す。
エレノアの腕の中で小さく震えながら、リリアは俺に視線を向けていた。その緑の瞳には、恐怖と共に感謝の色も浮かんでいた。
「リリア……」
エレノアが妹を強く抱きしめる。二人の絆の強さが伝わってくる。エレノアの言葉は感情的だが、彼女にとって妹の存在は何よりも大切なのだろう。それは理解できる。だからこそ、彼女の憎しみの念は強い。
リリアの体が次第に力を失い、意識が朦朧としてくる。彼女の足の間からは、わずかに生命の証が流れ落ちていた。魔獣が奪ったのは単なる魔力だけでなく、彼女の尊厳そのものだった。犯されたという事実――その重みがリリアの体を押し潰していくようだった。
「リリア! しっかりして!」
エレノアの叫びも届かず、リリアは気を失ってしまった。
「これは……一体どういうことかしら?」
冷静で落ち着いた女性の声が響いた。
振り返ると、そこには三十歳前後の女性が立っていた。長い茶色の髪、背筋をピンと伸ばした立ち姿には威厳がある。シンプルな緑の上衣と長いスカートを身につけ、首元には星型のブローチが輝いている。その目は深い洞察力を秘め、表情からは大人の女性としての余裕と魅力が感じられた。
「ロザリンダ様!」エレノアが声を上げた。
女性――ロザリンダは静かに近づき、状況を観察した。彼女の動きには無駄がなく、一つ一つの所作に気品が漂う。リリアのスカートに浮かぶ染みと、体から伝う赤黒い液体を見つめ、ロザリンダの表情には深い悲しみが浮かんだ。彼女は一目で何が起きたかを理解したようだった。
「どうやら相当深刻な事態のようね」ロザリンダは落ち着いた声で言った。「元魔法少女として、何があったのか説明してもらえるかしら?」
元魔法少女。この女性もかつては魔法の力を持っていたのか。血筋的には王族ではなく魔法姫にはなれなかったが、魔法の才能で認められた存在なのだろう。今は星の加護を失ったものの、村をまとめる信頼された存在なのだろう。エレノアの態度からも、多くの人々の尊敬を集めていることが窺える。
「ロザリンダ様……」エレノアの瞳に涙が溢れる。「この男は魔獣です! 異世界からやって来て、私たちを欺いたんです! そして、リリアが油断した隙に、彼の仲間の魔獣がリリアの純潔を奪ったんです!」
エレノアの激情に対し、ロザリンダは落ち着きを失わなかった。彼女からは年齢を重ねた女性特有の余裕と包容力が感じられ、かつて魔法少女として戦った日々の面影を残しつつも、今は違う形の強さと魅力を湛えていた。
エレノアの声は次第に高く、激しくなっていく。「奴の体から放たれる青い光も禍々しく、見たこともない攻撃方法も怪しすぎます! こんな男に騙されてはいけません! 彼こそが黒幕で、私たちを陥れたんです! 真の敵は彼なんです!」
「な……」
絶句した。自分を守るための言葉が出てこない。確かにリリアが襲われたのは俺の不注意が一因だが、ひどい言われようだ。彼女の言葉には激しい怒りと悔しさが込められていた。自分が妹を守れなかった無力感と憎悪が、すべて俺に向けられている。
ロザリンダはエレノアの激しい糾弾を静かに聞き終えると、俺を見つめた。彼女の目には、恐怖や嫌悪ではなく、冷静な観察の眼差しがあった。一方的な告発を聞いても、即断しない姿勢。その賢明さに、俺は一瞬安堵を覚えた。
「見たところ、話は複雑なようね」
ロザリンダの声には、感情に流されず事実を見極めようとする知性が滲んでいた。高貴な魔法姫ですら敬意を払うこの女性は、単なる権威者ではなく、真の賢者なのかもしれない。
「エレノア、あなたの話も理解できるけれど、私はまず事実を確かめたい。もし彼が本当に魔獣なら、あなたのことはなぜ襲わないのかしら?」
その論理的な問いかけにエレノアは言葉に詰まった。ロザリンダは優しく、しかし毅然とした態度で続けた。
「まずは彼女を村に連れて行きましょう。そして……あなたも一緒に来なさい」
彼女は俺にも声をかけた。エレノアの告発を鵜呑みにせず、俺の言い分も聞こうとしているようだ。その公正さは、この混沌とした状況の中で、一筋の希望のように思えた。
俺は無言で頷いた。この世界を支配するという野望は、今はわずかに後退していた。目の前でリリアが純潔を奪われる様を見て、胸に湧いた罪悪感と自責の念。それは俺自身でさえ予想外の感情だった。