(7)特撮とは魔法だ
俺はリリアを連れて森の中を進んだ。やや離れてエレノアがついてくる。
リリアが質問を投げかけてきた。
「ねえ、師匠。さっき言ってた『スーツアクター』って何? それって最高峰の魔法使いみたいなの?」
「魔法じゃない」俺は答えながら周囲を警戒していた。「俺の世界では、ヒーローというのは実在しないんだ」
「でも師匠はヒーローなんだよね?」
「ああ。特撮ヒーローなら存在する。それを演じるのが俺の仕事だったんだ」
「トクサツヒーロー?」リリアが首を傾げる。「それは何なの?」
「特殊撮影の略だ。ミニチュアとか着ぐるみとか、日本には歴史的に独自の文化がある。カメラという機械で撮影して、それを多くの人に見せる……」
説明しながら、俺は彼女の表情を見た。完全に混乱している。この世界には映画もテレビもないのだろう。
「つまり、特撮は……この世界の『魔法』みたいなものだと思えばいい」
「そっか!」リリアは納得したように明るい表情になった。「師匠はむこうの世界で、魔法のマスターだったんだね!」
「まあ、あながち間違ってないな」
俺は少し笑みを浮かべた。特撮の技術は、確かにある種の魔法かもしれない。現実には存在しないものを、存在するかのように見せる技術。
「俺はその仕事に命を懸けていた。二十年以上だ。アクションのケレン味、着地の角度、転び方の美学……全てが体に染み付いている」
プロとして身体表現を究めた年月について語るうちに、いつしか俺の声には熱が入っていた。それは演技ではなく、本当の感情だった。特撮とスーツアクターに人生を捧げてきた誇り。
「すごい……」リリアの目は輝いていた。「ボクも師匠みたいになりたい! かっこいい!」
彼女の純粋な憧れに、胸に暖かいものが広がる。子供のような無邪気さでありながら、戦士としての意志を秘めた彼女の姿が、妙に愛おしい。
「これからたくさんのこと教えてよ! 必殺技も! ポーズも! 全部!」
彼女の熱意に、俺は思わず微笑んだ。
「いいだろう。だが、甘くはないぞ。毎日、全身が筋肉痛になるほど鍛えるんだ」
「覚悟してるよ!」リリアは力強く頷いた。
少し離れて歩いていたエレノアの表情は、依然として硬かった。しかし、時折チラリと俺たちのやりとりを見る視線には、さっきまでの敵意がやや薄れているようにも感じられる。
「あなたを信用したわけじゃないわ」彼女は俺の視線に気づくと、すぐに顔を背けた。「魔獣が優先なだけよ。弟子になんて絶対ならないから」
意地っ張りな性格だな、と俺は思った。だが、そんな様子も少し滑稽に思える。彼女のプライドの高さは、裏を返せば何かの証明をしたいという欲求の表れではないか。
少し話題を変えることにした。
「この世界のことを教えてくれ。他にも魔法少女はいるのか?」
リリアが答える。
「うん、たくさんいるよ! ボクらみたいな魔法姫だけじゃなくて、魔法少女はこの世界の至る所にいる。でも、ボクたちはその中でも……」
「リリア」エレノアが鋭く妹の名を呼んだ。「余計なことを話すんじゃないわ」
リリアは一瞬怯んだように口をつぐんだ。何か言えないこと、話してはいけない事情があるようだ。
「わかったよ。でも、これくらいは教えてもいいでしょう?」リリアはエレノアの顔色を伺いながら言った。「ボクらの力は……決して強くはないの。最近、この一帯での魔獣の発生が増えていて、もう二人では対処しきれないかもしれない」
「それは……その通りね」エレノアの声には、隠しきれない焦りがあった。王女という立場でありながら、十分な力を持てない苛立ち。それが彼女の高圧的な態度の裏に隠れている不安なのかもしれない。
「なぜ王族のお前たちがこんなところにいるんだ? 王宮にいなくていいのか?」
素朴な疑問を口にした瞬間、エレノアの表情が凍りついた。リリアが何か言いかけたが、姉の鋭い視線に遮られた。
「それは……」
リリアの言葉が途中で途切れた。
森の奥から一筋の黒い閃光が走った。それは一瞬の出来事だった。リリアの背後から、細く鋭い触手が疾風のように現れ、音もなくリリアの腰を貫いた。
「ッ……!」
リリアは声にならない声を漏らし、その瞳が大きく見開かれた。顔から血の気が引き、表情が凍りついたような静止を見せた。その目には恐怖と共に、何かが奪われていく感覚が浮かんでいた。
純潔が奪われる一瞬――それは雷光よりも速く、息継ぎよりも短かった。
リリアがガクッと地面に倒れ伏す。
「リリア……?」
エレノアは最初、何が起きたのかさえ理解できなかった。妹が硬直したその背後に、黒く細い触手が突き刺さっているのが見えた時、彼女の心に恐怖が走った。
「リリア!」
俺も一瞬、状況を把握できなかった。目を疑うほどの速さだった。リリアのスカートの下に、触手が一突きで入り込んだのだ。
考える間もなく、身体が反応した。
「ッ!」
変身の言葉を発する暇もなく、俺はブレイサーを起動させた。変身の光が周囲を包み、アポロナイトの姿となり、一瞬でリリアの元へ跳躍した。蒼光剣を振り下ろし、少女を貫く触手を切断する。
切断された触手から黒い液体が噴き出し、森の木々を焦がす。触手の断面からは新たな触手が生え始めているが、俺はそれらも容赦なく切り裂く。
「リリア! しっかりしろ!」
エレノアが妹を抱き抱える。その間も俺は触手を次々と切り払い、魔獣の本体を探した。
「出てこい!」
森の奥から巨大な魔獣が姿を現した。先ほどのものとは異なる姿だ。触手の本体は巨大なナメクジのような形状で、その体表は赤黒い液体で覆われている。体から伸びる無数の触手は今も俺を攻撃し続ける。
俺は魔獣に向かって跳躍し、蒼光剣を突き立てた。剣から青い光が迸る。
「アポロ・ジャッジメント!」
光の波動が魔獣を包み込み、その巨体が光の粒子へと変わっていく。爆発と共に、魔獣は跡形もなく消滅した。
敵を確実に倒した俺は、すぐさまエレノアとリリアの元に駆け寄った。
「リリア……」
触手から解放されたリリアは、エレノアの腕の中で小さく震えていた。制服は乱れているものの大きな損傷はなく、ただ腰のあたりに小さな穴が開いているだけだった。
「リリア、大丈夫? しっかりして!」
エレノアが妹の顔を両手で包み込み、覗き込むように見つめる。その声には切羽詰まった焦りがある。
「お姉様……」
リリアの声はか細く、まるで霧の中から聞こえてくるようだった。瞳には虚ろな光が宿り、顔は蒼白だ。そのとき、不可思議な現象が起こった。リリアの体から淡いピンク色の光が、ゆっくりと立ち上がり始めたのだ。霧状の光はリリアの全身から滲み出し、上空へと消えていく。
「魔力が……消えていく……」
エレノアの声が震えた。
まさか……。