(72)師匠の命令と弟子の反抗★
「素晴らしい!」
クラリーチェの顔が満面の笑みに変わった。まるで長年待ち望んでいた答えを聞けたかのような、心底嬉しそうな表情だった。
「武流よ、おぬしの決断に心から感謝するぞ」
彼女は席から立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。その瞳には、勝利の光が宿っている。
「教師として最高の待遇を用意しよう。報酬はもちろん、住居も学園内の特別棟を用意する。生活の世話も、優秀な生徒たちにさせるがよい」
「生活の世話まで?」俺は少し驚いた。
「当然です」ディブロットが胸を張った。「優秀な教師には、それに見合った待遇を提供するのが当然。食事の準備、部屋の掃除、衣服の手入れ――すべて生徒たちが喜んで引き受けることでしょう」
「それはありがたいな」
俺は素直に答えた。確かに魅力的な条件だ。
「武流!」
エレノアの怒声が学園長室に響いた。彼女の顔は怒りと困惑で真っ赤になっている。
「あなた、本気なの!? 本当にクラリーチェの申し出を受け入れるつもり!?」
「師匠......」リリアの声は震えていた。「どうして......?」
「武流様......」ミュウの猫耳は悲しそうに垂れ下がっている。「わたくし、武流様のお考えがわからないのです......」
三人の視線が俺に集中している。困惑、失望、怒り――様々な感情が入り混じった表情で俺を見つめている。
エレノアが詰め寄った。「クラリーチェは敵なのよ! それに、今はこんなことをしている場合じゃないでしょう? 私たちがすべきなのは、もっと強くなること……。そして、純潔を失ったリリアがもう一度魔法少女に変身する方法を探ること……。そのためにも……」
エレノアはそこで言葉を切った。彼女の言いたいことはわかる。深淵魔法を司る妖精アステリアと、その力で再び変身する力を得たという百年以上前の魔法少女。その情報を探るべきだと言いたいのだろう。だが、クラリーチェの前でその話をするべきではない。
「まあまあ」クラリーチェが仲裁するように手を上げた。「それより、わらわには別の提案があるのじゃ」
「別の提案?」リリアが首を傾げた。
クラリーチェはエレノアたちを見やった。「そなたたち三人も、この学園で教師として働いてもらいたいのじゃ」
室内に静寂が訪れた。エレノア、リリア、ミュウは皆、呆然とクラリーチェを見つめている。
「私たちが......教師?」エレノアが信じられないといった様子で呟いた。
「そうじゃ」クラリーチェが説明を始めた。「そなたたち三人は皆、優秀な魔法少女。特にエレノアは元王女として、リリアも同じく王族として、豊富な知識と経験を持っておる。ミュウも風の魔法の扱いは見事なものじゃ」
「でも......」リリアが不安そうに言った。「ボク、変身できないのに、教師なんてできるの?」
「問題ない」クラリーチェが断言した。「魔法理論や基礎技術の指導なら、変身能力は必須ではない。それに、そなたの経験は貴重じゃ。純潔を奪われた魔法少女の心情を理解できるのは、そなただけなのだからな」
リリアの顔が少し明るくなった。自分にも役に立てることがあると知って、希望を感じているのだろう。
「わたくしにも......教えられることがあるのでしょうか?」ミュウが恐る恐る尋ねた。
「もちろんじゃ」クラリーチェが微笑んだ。「風の魔法の専門家として、また異種族の魔法少女として、そなたの視点は貴重じゃ。フェリス族の魔法技術を学びたい生徒も多いはずよ」
ミュウの猫耳がピクピクと嬉しそうに動いた。
「ちょっと待ちなさい!」エレノアが割って入った。「私は武流の弟子なんかじゃないわ! 勝手に決めないで!」
「弟子ではない?」クラリーチェが小首を傾げた。「しかし、武流の指導を受けて強くなったのは事実であろう?」
「それは......」エレノアが言葉に詰まった。
「それに」クラリーチェが続けた。「武流が師匠なら、そなたたちは当然弟子ということになる。それが自然な関係性であろう」
「違う! 私は対等な立場で武流と共に戦っているだけよ!」エレノアの声が高くなった。
「対等?」クラリーチェが嘲笑するように言った。「王宮での戦いを見る限り、そなたと武流の力の差は歴然としておったが?」
エレノアの顔が真っ赤になった。王宮でクラリーチェに完敗した屈辱的な記憶が蘇ったのだろう。
「とにかく!」エレノアが強い調子で言った。「この申し出は裏があるはず! 絶対にお断りよ!」
「そうだよ」リリアも躊躇いがちに言った。「なんだか怖いよ......師匠、本当に大丈夫なの?」
「わたくしも......少し不安なのです」ミュウが小さな声で言った。
三人の反応を見て、俺は深く息を吸った。そして、きっぱりとした口調で言った。
「エレノア、リリア、ミュウ。お前たちも教師としてここで教えろ。これは命令だ」
「えっ......」三人が驚きの表情を浮かべた。
「教えることは学ぶことだ」俺は続けた。「これは俺のモットーでもある。スーツアクター時代も、若手や新人に多くのことを教えてきた。その過程で、俺自身も多くの学びがあった」
俺の心の中には、あの頃の記憶が鮮明に蘇っていた。撮影現場で新人俳優たちに演技指導をしたり、後輩スーツアクターにアクションの技術を教えたり。そうした経験が、俺を成長させてくれたのは間違いない。
「他人に教えることで、自分の知識や技術がより深く理解できるようになる。そして、教える相手から学ぶことも多い。お前たちにとっても、きっと良い経験になるはずだ」
「師匠......」リリアが複雑な表情で俺を見つめた。「それって、師匠の本当の気持ち?」
「ああ」俺は頷いた。「少なくとも、これに関しては本心だ」
リリアとミュウは互いに顔を見合わせた後、しぶしぶといった様子で頷いた。
「わかった......師匠がそう言うなら」リリアが小さくため息をついた。
「わたくしも......武流様のお考えを信じるのです」ミュウも不安そうながら同意した。
しかし、エレノアだけは違った。
「冗談じゃないわ!」彼女は俺の前に立ちはだかった。「私は何度も言っているでしょう! 私はあなたの弟子じゃない! 命令される筋合いなんてないわ!」
エレノアの瞳には、強い怒りの炎が燃えていた。彼女のプライドが、俺の「命令」という言葉に激しく反発しているのだ。
「エレノア......」俺は静かに彼女の名前を呼んだ。
「何よ!」
「お前は確かに優秀な魔法少女だ。実力も申し分ない」俺は認めた。「だが、俺との力の差も現実だ」
「それがどうしたって言うの!?」
「俺の指導を受けて強くなったのも事実だろう」俺は続けた。「それなら、お前は俺の弟子ということになる」
「違う! 私は......」エレノアが言葉に詰まった。
確かに、俺の指導でエレノアは格段に強くなった。体術も魔法の使い方も、明らかに上達している。それは否定できない事実だった。
「認めたくないなら」俺は挑発するような口調で言った。「俺に勝ってから文句を言え」
「何ですって!?」エレノアの目が見開かれた。
「俺を倒せば、お前の方が強いということになる。そうすれば、俺の命令に従う必要もなくなるだろう」
室内の空気が一気に緊張した。クラリーチェとディブロットは興味深そうに俺たちのやり取りを見守っている。リリアとミュウは心配そうな表情で、俺とエレノアを交互に見つめていた。
「武流......」エレノアの声が低く、危険な響きを帯びた。「本気で言ってるの?」
「本気だ」俺は即答した。「ここで俺に勝てば、お前の好きにすればいい。だが、負けたら俺の弟子として、素直に従ってもらう。おとなしくこの学園の教師になれ」
エレノアの全身から、氷のような冷気が立ち上り始めた。彼女の魔力が怒りによって高まっているのがわかる。
「面白いじゃない」エレノアが口元に冷たい笑みを浮かべた。「ずっと言ってきたでしょう? いつかあなたを跪かせてみせるって」
「ああ、覚えているよ」
「師匠! お姉様!」リリアが慌てて二人の間に入ろうとした。「やめて! 喧嘩なんて......」
「リリア、下がっていろ」俺は静かに言った。
「お姉様も!」リリアがエレノアに向かって言った。「こんなところで戦うなんて......」
「リリア」エレノアが妹を見つめた。「これは私の誇りの問題よ。邪魔をしないで」
エレノアの手に、氷の魔力が集まり始めた。彼女の瞳は戦闘の意志で燃えている。
「おお......」クラリーチェが感嘆の声を上げた。「なかなか面白い展開になってきたではないか」
「師匠と弟子の関係を明確にするには、良い機会かもしれませんな」ディブロットも興味深そうに言った。
俺はブレイサーに手をかけた。エレノアも魔法の杖を構えている。
二人の間に、目に見えない火花が散っていた。
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