(57)幼女クラリーチェ降臨
クラリーチェがここまで幼い姿だとは想像していなかった。エレノアと同世代の魔法少女を想像していたのだ。
「気をつけて」エレノアが囁いた。「見た目は幼女だけど、魔力で若さを保っているだけよ。本当は百歳以上と言われているわ。正確な年齢は誰も知らないけど......」
なるほど、魔力のなせる技か。いわゆるロリババアだ。
クラリーチェは漆黒のローブに身を包み、その素材は夜空そのもののように見えた。よく見ると、ローブの表面には無数の星々が瞬いている。まるで宇宙の一部を切り取って衣装にしたかのようだった。
その瞳は深い藍色。その中には星の光のような輝きが散りばめられていた。まるで宇宙の深淵を覗き込むような錯覚を覚える。黒髪は長く、床まで届くほどで、その先端は星屑のように輝いていた。
少女の肩には、漆黒の羽を持つ小さなカラスが止まっている。よく見ると、そのカラスは燕尾服のような装いで、鳥の姿ながらも執事のような立ち居振る舞いを見せていた。
「クラリーチェ様... ...!」カトリーヌが震える声で言った。「外交旅行からお戻りになられたのですね」
「おお。何やら胸騒ぎがしてな、予定を切り上げて帰還したのじゃ。案の定、わらわの不在中に、随分と宮中が騒々しくなっておるな」少女──クラリーチェが高飛車な口調で言った。「こやつらは何者じゃ?」
彼女の視線が俺たちに向けられた瞬間、背筋に冷たいものが走った。その小さな体から放たれる威圧感は、これまで出会ったどんな敵とも比較にならないほど強大だった。
「クラリーチェ」エレノアが緊張した面持ちで一歩前に出た。「お久しぶりね」
「おや? エレノアとリリアではないか」クラリーチェは興味なさそうに言った。「追放された"おもらし姫"とその妹が、どうして王宮に戻ってきたのじゃ?」
「私たちは......」エレノアが言葉を選びながら言った。しかし、クラリーチェに遮られた。
「そして、そこのものは......」クラリーチェの視線が俺に向けられる。「妙な鎧を纏っておるが、その体型……男じゃな? しかも武装しておる。けしからん」
俺は彼女の視線に耐えながら、蒼光剣を構えたままだった。この少女の姿をした存在が、スターフェリアの実質的な支配者なのか。彼女からは、年齢とは不釣り合いな古代の魔力と知恵が感じられた。
「クラリーチェ様......」彼女の肩のカラスが落ち着いた紳士のような口調で言った。「失礼ながら、あの男は未知の来訪者です。十分にお気をつけてください」
「うるさいぞ、ディブロット」クラリーチェはカラスを軽く叱った。「わらわは承知しておる」
「あのカラスは妖精よ」エレノアが俺に囁く。「彼女が深淵魔法を使えるのは、あの妖精との契約のおかげなの」
およそ妖精のイメージとはかけ離れた真っ黒なカラスの姿に、俺は内心苦笑した。
その時、石畳の上に伏せていたメリッサが、体を起こした。
「クラリーチェ様……」朦朧とした意識で、よろよろと跪く。「お気をつけください。この男は……」
「メリッサ」クラリーチェはメリッサの言葉を遮った。「わらわが留守の間に、勝手なことをしおって……。男にうつつを抜かすとは……王宮を守護し、わらわを命懸けで守り抜く……おぬしの本来の使命を忘れたか?」
メリッサが顔面蒼白になる。「忘れてなどおりません! アタシはただ、その男を仲間に加え、王宮の警護をさらなる鉄壁へと……」
「言い訳は良い!」クラリーチェが指先をチョンと動かすと、魔力でメリッサの体が空中へ浮き上がった。
「ひっ……!」
「制裁はあとでたっぷり下す。見苦しいからおぬしは引っ込んでおれ」
クラリーチェが再び指先を動かすと、メリッサの体は見えない魔力に引っ張られ、弾丸のように飛んでいく。
「うわああああああっ!? クラリーチェ様! どうかお許しを――――っ!」
メリッサの体が王宮の建物の扉の中へ吸い込まれ、扉は閉まった。同時に、メリッサの叫びも聞こえなくなった。
王宮の人々は、誰もが戦慄してその様子を見守っている。
「我が配下が迷惑をかけたようじゃな」クラリーチェの視線が再び俺に向けられる。
「ああ。あの女のせいで、さんざんな目に遭ったよ」俺は答えた。
クラリーチェはじっと俺を見つめる。「おぬし、男なのに途轍もない力を持っておるようじゃのう。興味深い」
「アポロナイト様は特別なのです!」ミュウが勇気を出して言った。
「アポロナイト?」クラリーチェの目が光る。「ほう......。おぬしが。この世界の支配者になる男か。ひと月前、王宮の前でずいぶんと暴れてくれたようじゃのお......。会いたかったぞ」
クラリーチェはエレノアたちに視線を戻した。
「この男に導かれたおぬしたちが、どれほど成長したのか......見せてもらおうか」
クラリーチェの挑発的な言葉と共に、戦いの火蓋が切って落とされた。彼女は幼い少女の姿でありながら、漆黒のローブを纏い、その存在感だけで王宮の空気を支配していた。
エレノアが最初に動いた。「アイス・ジャベリン!」
彼女の杖から放たれた氷の槍が数十本、クラリーチェに向かって一斉に飛んでいく。氷の魔力と一ヶ月の特訓の成果が、美しい軌道を描いて標的へと迫る。
クラリーチェは一歩も動かない。彼女の肩に止まったカラスの妖精、ディブロットもまた平然としている。
「はっ!」
クラリーチェが小さく息を吐いただけで、空気中に見えない壁が生まれ、氷の槍が全て粉砕された。粉々になった氷の結晶が美しく舞い散る中、クラリーチェの表情に変化はなかった。
「わたくしの番なのです!」
ミュウが前に出て、「ウィンド・ダンス!」と叫んだ。彼女の周りに緑色の風の渦が生まれ、猫のような素早い動きで横から攻め込む。風の刃が次々とクラリーチェに放たれた。
「虫けらの戯れじゃ」
クラリーチェが指一本を動かすと、風の刃は全て逆流し、ミュウに襲いかかった。
「にゃー!」
ミュウの悲鳴と共に、彼女の体が宙を舞った。自分の魔法に翻弄され、王宮の建物の壁に激突する。
猫耳が痛みで激しく震え、尻尾は恐怖で逆立っていた。彼女は壁から床へと落下し、体を丸めて小さくうずくまった。
「うぅ……! わたくし......まだ戦えるのです......」
ミュウは必死に立ち上がろうとしたが、足が震えてうまく立てない。彼女の緑色の魔法衣装は風の刃によって切り刻まれ、あちこちにほつれが見える。白い肌には青い痣が浮き上がり始め、猫耳は恐怖と痛みで平たく伏せられていた。
「ミュウちゃん!」リリアが叫ぶ。
クラリーチェの青い瞳がリリアに向けられた。「次はおぬしか。魔力を失った王女など、ただの飾りにすぎぬが......」
「ボクを甘く見ないで!」
リリアが俺から教わった型を繰り出し始めた。魔力こそないが、彼女の動きは素晴らしく洗練されている。床を蹴る力、腕の振り、体幹の安定性――すべてが一ヶ月前とは比較にならないほど上達していた。
「花の魔法姫の技、スパイラル・ブロッサム!」
彼女は魔力のない状態でも、かつての技の名を叫んで回転キックを放った。その美しい動きに、王宮の従者たちからも感嘆の声が漏れる。
「形だけ真似ても無意味じゃ」
クラリーチェが掌を向けると、突然空気が重くなった。リリアの体が急に動きを止め、彼女は苦しそうに呼吸を始めた。
「くぅぅぅ.....!」
リリアの顔が青ざめていく。彼女の全身に汗が吹き出し、膝が震え始めた。まるで重力そのものが彼女を押しつぶそうとしているかのように、徐々に体が折れ曲がっていく。
リリアは歯を食いしばって抵抗した。「ボクはそう簡単には......倒れないよ!」
「無駄な抵抗じゃ」
クラリーチェの指が少し曲がると、リリアの体が突然宙に浮いた。彼女は驚きの声を上げ、空中で体が引き伸ばされていく。まるで見えない糸に四肢を引っ張られているかのようだった。
「うああああっ!」
リリアの顔から血の気が引いていく。その体が極限まで引き伸ばされ、悲鳴を上げた。四肢を極限まで引っ張られる痛みで、彼女の顔は苦悶に歪んでいた。
「遊戯はここまでじゃ」
クラリーチェが手を振ると、リリアの体が乱暴に石畳に叩きつけられた。衝撃で彼女は小さく跳ね、そのまま動かなくなった。
「リリア!」エレノアの叫びが王宮に響いた。
「ボク......まだ......」リリアは小さく呟いたが、その体はもはや思うように動かなかった。痛みで意識が朦朧としているようだった。
本日は連載開始1カ月を記念して、1日に複数話、投稿中! 最後までお付き合いください。
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