(47)冒険者との純愛と別れ
沈黙が流れ、ロザリンダの手だけが動き続ける。指先が背中全体を滑るように動き、時に止まっては緊張点を圧迫して解きほぐしていく。
「共に旅をする中で、私は彼から多くを学びました。剣術、生存術、そして......」
彼女の言葉が途切れた。その代わりに、マッサージの動きがさらに精緻になる。まるで記憶を手の感触に託すように。
「この世界では、優秀な男性の冒険者は珍しいのです。彼は不思議な人でした。他の男性とは全く違って......。私を一人の戦士として見てくれたんです。魔法少女としてではなく、一人の人間として」
ロザリンダの手が一瞬震えた。
「私たちは徐々に親しくなり、旅の道中で互いを知っていきました。彼は私の魔法を尊重し、私は彼の剣術を尊敬しました。そして......」
彼女の声がさらに小さくなる。
「互いの強さを認め合った私たちは、戦いの合間に愛を育みました」
ロザリンダの指先が俺の肩甲骨の周りを丁寧に解きほぐしながら、彼女の物語は続いていく。
「私たちはスターフェリアの各地を旅して回りました。魔獣退治だけでなく、古い遺跡を探検したり、失われた知識を求めて図書館を巡ったり......」
彼女の手が首の付け根から頭部の下部へと移動し、優しく頭皮をマッサージし始めた。その感触に、俺はさらに深くリラックスしていく。
「あなたが最初にこの村に来た時......」彼女の声が突然変わった。「不思議と、恐怖を感じなかったんです」
「恐怖?」
「はい。通常、この村に見知らぬ男性が現れたら、それだけで騒ぎになるはず。しかもリリアが純潔を奪われた直後です。でも、あなたを見た瞬間......」彼女は言葉を選ぶように間を置いた。「彼を思い出したんです。レイを」
俺は思わず身体を固くした。
「似ているんですよ。立ち姿、顔立ち、表情、そして何より......人を見る目が」
ロザリンダの指先が俺の肩を優しく押さえた。
「だから、私はあなたを村に迎え入れることができたのかもしれません。初めて出会った時から......」
俺はうつ伏せのまま、そっとロザリンダの顔を見上げた。彼女の瞳には複雑な感情が揺れていた。昔の恋人の面影を俺に見いだしている彼女を前に、俺は言葉を失った。
「彼と出会って一年が過ぎた頃、私は決断しました」
ロザリンダの声は静かに響く。
「魔法少女を引退することを......。彼と過ごす日々の中で、私は初めて気づいたんです。魔力よりも大切なものがあると」
彼女の指先が首筋から肩へと滑り、そっと圧力をかけながら揉みほぐしていく。その手の動きには、語られていない深い感情が込められているようだった。
「彼にはどうしても勝てなかった......。剣の腕前も、心の強さも。だから私は彼を選びました。魔法よりも、彼を」
ロザリンダの声には後悔はない。ただ、遠い日の記憶を大切に抱きしめるような温かさがあった。
「お話した通り、この世界では、魔法少女が純潔を失うと魔力も失います。もう魔法少女に変身できないのです。私もそうでした。でも、その時は後悔しませんでした」
俺は黙って頷いた。
「彼との夜は......」彼女は言葉を選ぶように少し間を置いた。「星々が祝福してくれているように感じました。魔力を失うことなど、その時は些細なことに思えたのです」
ロザリンダの手が俺の肩に戻り、円を描くようにマッサージを続ける。指先の圧力が優しく変化しながら、肩の奥深くに潜む緊張を解きほぐしていくようだった。
「でも、翌日......」
彼女の声が突然暗くなった。手の動きも一瞬止まる。
「私たちが宿泊していた村が、突然魔獣の大群に襲われたんです」
ロザリンダの指先が再び動き始めるが、その動きには微かな震えが感じられた。
「レイは村人たちを守るために戦いました。私も彼と共に戦いましたが......もはや魔法は使えず、戦いに不慣れな体では......」
彼女の声が小さくなる。
「彼は私をかばって、致命傷を負ったんです」
室内に沈黙が広がる。ロザリンダの手だけが、静かに、しかし確かな技術で俺の背中の筋肉を解きほぐし続けていた。その一つ一つの動きに、彼女の記憶と感情が込められているようだった。
「最期まで彼は微笑んでいました。『後悔はない』と......」
ロザリンダの手が俺の背中から離れた。マッサージが終わったのを悟り、俺はゆっくりと体を起こし、彼女と向き合った。
月明かりに照らされた彼女の顔には、悲しみと共に、強さが浮かんでいた。彼女の瞳には、若いころの痛みと、それを乗り越えてきた賢さが宿っていた。
「大切な人を魔獣によって失う悲しみを、私は知っています。だから、エレノアとリリアが王宮から追放されてきた時......彼女たちの中に自分を見たんです」
ロザリンダは小さな瓶を閉じながら続けた。
「両親を亡くし、居場所を失った彼女たちを、この村で受け入れることにしました。彼女たちのことを......家族のように大事にしてきたんです」
彼女の目には静かな決意が浮かんでいた。
「そして今、武流さん......あなたのことも同じように感じています」
彼女の声には、言葉にできない感情が込められていた。
「明日、王宮へ行かれる前に、どうしても伝えておきたくて......」ロザリンダは俺の目をまっすぐ見つめた。「どうか、無事に戻ってきてください。あなたを失いたくない」
彼女の言葉に、俺は心を打たれた。この世界に来てから、こんなにも真摯な感情を向けられたことはなかった。
そっと窓の外に視線を移すと、今夜は特に星が綺麗だった。スターフェリア、星と妖精の世界。この世界の星は、祈りを聞き届けてくれると言われている。
彼女は、星々に願いを捧げる「星の祭典」の時、きっとレイのことを想って......。
そう思うと、俺の胸に切なさがこみ上げた。
「大丈夫です」俺は静かに答えた。「アポロナイトは簡単には敗れません。スターフェリアの伝説に登場する光の勇者なんですから」
そう言いながらも、俺の心にはわずかな不安が残っていた。クラリーチェという未知の魔法少女。彼女の持つという深淵魔法。そして王宮に潜む謎と危険。
「そうですね......」ロザリンダは微笑んだ。「あなたはエレノアたちを導く、光の勇者ですものね」
彼女は精油の入った瓶を袋に戻しながら立ち上がった。
俺は言った。「帰ってきたら、またマッサージをお願いします......と言いたいところですが、そんなことは言いません」
彼女は俺を見た。「なぜですか?」
「死亡フラグになってしまいますから」俺は小さく笑った。「物語では、『また会おう』と約束した時こそ、別れの時です」
その冗談に、彼女も笑みを返した。
「では、帰ってきた時のことなど、何も約束しません」
「はい、それが良いかと」
ロザリンダは立ち上がり、ドアの方へ向かった。
「おやすみなさい、武流さん。どうか......ご無事で」
彼女は最後にそう言って、静かに部屋を出ていった。
残された俺は、ベッドに腰掛けたまま、窓の外の星空を見上げた。スターフェリアの星々は、地球のそれとは違う明るさと配置で夜空を彩っている。
俺の心は複雑な思いに揺れていた。
魔法少女たちの師匠として、村の人々からも尊敬されている。そして、ロザリンダのようにまっすぐな想いを向けてくれる人までいる。
明日、王宮で待ち構えているであろう最強の魔法少女。彼女を倒し、王宮を手に入れれば、エレノアとリリアを本来の場所に戻してやれる。そして、俺自身もこの世界での地位を確立できるだろう。
この世界の支配者になる......。
嵐の前の静けさの中、俺は明日の戦いに備えて目を閉じた。窓から差し込む月明かりに照らされた部屋の中で、俺の呼吸は次第に規則正しくなっていった。
夜が更けていく。