(43)王宮への雪辱と森からの覗き魔
目を覚ますと、朝日が窓から差し込み、部屋全体を黄金色に染めていた。つい先ほどの夢の記憶が鮮明に残っている。朝倉明日香がドMだなんて、一体どういう心理状態なんだ、俺は。
「この世界に来てから、変な夢ばかり見るな」
ベッドから起き上がり、顔を洗う。冷たい水が頬を打ち、夢の余韻を少しずつ洗い流していく。
窓の外を見ると、もはや村は完全に目覚め、活気に満ちていた。特に昨日の演武会と魔獣襲撃の興奮が、まだ人々の間に残っているようだ。
服を着替え、部屋を出ると、階下からは朝食の準備をする音が聞こえてきた。ロザリンダが作ってくれたパンと果物を軽く口にして、俺は村の中を散歩することにした。
通りを行き交う村人たちは、俺を見るとみな会釈をし、中には深々と頭を下げる者もいる。昨日の演武会で、アポロナイトの力を見せつけたことで、俺への畏敬の念が一層強まったようだ。
「武流様、おはようございます!」
「今日も特訓をされるのですか?」
「昨日の演武会、本当に素晴らしかったです!」
「魔獣との戦いも最高でした!」
村人たちの声に応えながら、ふと明日香の夢を思い出した。
なぜ彼女がドMという設定の夢を見たのだろう? ミュウが叱られて喜ぶタイプだったからか? それとも、この異世界での経験が、現実世界での記憶と混ざり合って、奇妙な夢を生み出したのか?
いや、もっと深層心理的なものかもしれない。朝倉明日香に濡れ衣を着せられ、二十年の功績が水の泡になった時の怒りと無力感。その報復願望が、彼女を支配するという形で夢に現れたのではないか。
支配欲――。
それは確かに俺の心の奥底にあるものだ。この世界に来て以来、その感情はより強くなっている。アポロナイトの力を手に入れ、魔法少女たちを従え、この世界を思い通りにする……そんな野望が、日に日に膨らんでいる。
昨日の演武会と魔獣との戦いでも確認できた。エレノア、リリア、ミュウの魔力は着実に向上している。今ならあの王宮の炎の魔法少女メリッサにも十分に対抗できるだろう。エレノアとリリアが王宮に戻ることだって、夢ではないはずだ。
そうなれば、王宮への足がかりができる。そして俺の野望も、一歩現実に近づく。この世界の支配者になるという夢が。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか村の入口に近づいていた。そこには、エレノア、リリア、ミュウの三人の姿が見えた。彼女たちは何やら話し合っているようだった。
「師匠! おはよう!」
リリアが俺に気づき、元気よく手を振る。ミュウも猫耳をピクピクと動かしながら、「武流様、おはようなのです!」と声をかけてきた。
エレノアだけは、相変わらず高慢な態度で、ちらりと視線をよこしただけだった。
「おはよう」
俺が近づくと、彼女たちは村を取り囲む結界について話していた。
「お姉様の魔力がアップしたことで、結界がものすごく強くなったんだよ!」リリアが興奮気味に言う。
「今までの約三倍の強さなのです」ミュウも嬉しそうに付け加える。「しかも、空からの攻撃にも対抗できるように改良してもらったので、また昨日のようなドラゴンタイプの魔獣が現れても安心なのです」
エレノアは少し誇らしげに顎を上げた。「当然よ。昨日の反省を生かしただけ。喜ぶようなことではないわ」
彼女が言葉に出さないが、俺の特訓によって強くなったことを認めている。その態度には、まだ高慢さがあるが、以前ほどの敵意はない。
「ボク、ロザリンダ様のお手伝いに行ってくるね!」リリアが突然言った。「昼食の準備、手伝うって約束したの」
「わたくしも行くのです」ミュウも猫耳を揺らしながら言った。「エレノア様、武流様、失礼するのです」
二人は小走りに村の中心へと戻っていった。残されたのは俺とエレノアだけだ。
「結界の強化、本当に素晴らしいな」俺は彼女に言った。「魔力の向上を実感できているか?」
「ええ、少しはね」エレノアは淡々と答えた。彼女の青い瞳には、相変わらず警戒心が宿っている。
俺は昨日の演武会を思い出した。彼女があの時、本気で俺を倒そうとしていたこと。あれは単なる演武ではなく、彼女なりの復讐だったのだ。それに、魔獣との戦いの最中に見せた咄嗟の攻撃……。あれも、俺に当たっても構わないという殺気だった。
「昨日――お前、本気だったな?」
俺の言葉に、エレノアの瞳がわずかに揺れた。
「何を言ってるの?」
「本気で俺を殺そうとしていた」
エレノアは無表情を崩さない。
「バカ言わないで。演武だから、本気のように見せなければならないでしょう?」
「魔獣との戦いは?」
「咄嗟に攻撃を放っただけ。あなたを狙ったわけじゃないわ。当然でしょう」
彼女はシラを切った。その表情は完璧に整えられていたが、俺には分かる。彼女の目に浮かんだ一瞬の動揺を。
「そうか」
俺は相槌を打ちながらも、エレノアの本心を知っていた。そう、彼女はずっと、俺を倒し、跪かせる機会を狙っているのだ。
「あなたにはどうでもいいことじゃない?」エレノアが少し不機嫌そうに言った。「あなたは私たちを『導く存在』で、『この世界の支配者になる男』なんでしょう?」
彼女の皮肉な口調に苦笑した。「王都での俺の宣言か」
エレノアの視線がまっすぐに俺を捉えた。「あれはあなたの本心だと思うわ。とてつもなく大きな支配欲……」
彼女の言葉は冷たく、鋭い。その中には、まだ強い不信感が込められていた。
「けど、そういう俺の野望に、お前は惹かれているんだろう?」
「……」
「それは、お前の中にもこの世界を支配したいという欲求があるからだ」
エレノアは視線を逸らした。図星である証だった。
俺は訊ねた。
「なあ、エレノア。メリッサと再戦する気はないか?」
エレノアが息を呑んだ。星祭りの日、彼女を一撃で吹き飛ばした炎の魔法少女。
「今のお前なら彼女に勝てる。一ヶ月前の雪辱を果たすことができるはずだ。人々の前で実力を証明して見せれば、また王宮に戻ることができるかも……」
「だけど……」
「何か不安があるのか?」
「メリッサには私と戦う理由がないわ。いきなり王宮に乗り込んで挑戦状を叩きつけるわけにもいかないでしょう? それに、仮にメリッサに勝てたとしても、王宮に戻れるとは限らないわ」
「なぜだ?」
「だって、彼女の背後には……」
エレノアが言いかけた時だった。
森の奥から何かの気配を感じた。微かな物音。通常なら気づかないような、かすかな存在感。村の様子を窺っている者がいる。
「どうかした?」
「エレノア、ここにいろ。村の結界を維持し続けるんだ」
俺は即座に彼女に命じた。
「何なの?」
「森の奥に誰かいる。気配を感じた」
エレノアは一瞬驚いたようだったが、すぐに理解した様子で頷いた。
「わかったわ。村は私が守る」
彼女の態度が一変し、戦闘態勢に入った。素早く状況を理解し、冷静に対応する姿勢は、彼女の王族としての素質を感じさせた。
俺は素早く森に向かって駆け出した。街のはずれから、徐々に木々が密集する場所へ。視界が狭まり、影が濃くなるにつれ、俺の感覚は研ぎ澄まされていく。
誰かが村の様子を窺っていた。上位種の魔獣か? それとも他の村からの偵察者か?
緑の葉が織りなす天蓋の下、俺は慎重に足を進める。二十年のスーツアクターとしての経験が、この状況で役立っていた。足音を立てず、動きを最小限に抑えながら、獲物を追うように進む。
そして、緑の木立の向こう、小さな空き地で、影のような人影を捉えた。
「出てこい。隠れていても無駄だ」
俺の声に、木陰から一つの人影が現れた。炎の形をした細長い剣を手に、赤と黒の衣装に身を包んだ少女。金色のアクセントが日差しを反射して煌めいていた。
「あらら、見つかっちゃった」
愉快そうに笑う声。それは紛れもなく、あの日、俺が指一本で倒した炎の魔法少女――メリッサだった。