(34)溺愛ミュウの異種族交流特訓
「もうすぐ来るのは分かっていたのです、武流様」
森の奥から聞こえた声に、俺はハッとした。誰もいないはずの場所で、突然声がしたからだ。
「ミュウか?」
樹の陰から、小柄な少女が姿を現した。ミュウだ。黒髪に猫耳、ふわふわとした白銀の尻尾が風に揺れている。彼女は満足げな表情で俺を見ていた。
「さすがわたくしの耳なのです!」彼女は自慢げに猫耳をピクピクと動かした。「武流様の足音、100メートル先からでも聞こえるのです」
「猫並みの聴覚か」俺は感心して言った。「それはすごいな」
ミュウはにっこりと笑った。彼女の表情はいつもより明るく、心なしか頬が紅潮している。
「わたくし、武流様が来ることを知って、特別にウォーミングアップしておいたのです!」
「そうか。なかなか積極的だな」俺は微笑んだ。「リリアの特訓が終わったから、次はお前だ。エレノアの元に行く前に、お前にも個人指導を行おう」
ミュウの目が輝いた。「わたくし、頑張るのです!」
村の近くにある森の中の小さな空き地。朝の光が木々の隙間から差し込み、地面に斑模様を作っている。ミュウは中央に立ち、俺は少し離れた場所から彼女の様子を観察していた。
「まずは変身前の状態での演武を見せてくれ」
「はいなのです!」
ミュウは深呼吸すると、静かに目を閉じた。そして、一連の型の演武を始めた。
彼女の動きは他の二人とは明らかに違う。リリアが花のように優美なら、ミュウは風のように軽やか。足さばきは猫のように柔軟で、時に俺の予想を超える角度に体を曲げる。野生的な動きの中にも、洗練された美しさがあった。
「動きが良くなってきたな」俺は静かに評価した。
「ありがとうございますなのです!」ミュウは嬉しそうに言いながらも、演武を続ける。「武流様のプランク特訓のおかげなのです」
彼女の体幹は三人の中で最も安定していた。猫族としての素質か、それとも特訓の成果か。いずれにせよ、彼女の着地の安定感は目を見張るものがあった。
「よし、次は実戦だ。俺と対戦してみろ」
「はいなのです!」
俺はミュウに向かって突進した。彼女は驚くべき瞬発力で横に飛び、俺の攻撃をかわす。そして木の枝によじ登り、俺を見下ろした。
「なかなかやるな」俺は木を蹴って飛び上がった。
「にゃっ!」
ミュウは驚いた声を上げながらも、木から木へと飛び移り、逃げる。その動きはまさに野生の猫だった。
「そうだ、そのまま!」俺は彼女を追った。「自分の強みを活かせ!」
三十分ほど追いかけっこが続いた後、俺たちは元の空き地に戻ってきた。ミュウは息を切らしながらも、満足そうな表情をしていた。
「武流様、わたくしの動きはどうでしたか?」
「完璧だ」俺は率直に評価した。「お前は三人の中で最も体幹が安定している。着地の際のバランス調整も一流だ」
ミュウの顔が喜びで輝いた。しかし、すぐに少し寂しそうな表情に変わる。
「でも、魔力が弱いのが玉に瑕なのです」彼女は自分の手のひらを見つめた。「わたくしの風の魔法は、エレノア様の氷の魔法のような威力はないのです」
「魔力の強さだけが全てじゃない」俺は優しく言った。「大切なのは、自分の持っている力を最大限に活かすことだ。お前には猫族としての敏捷性と、風を操る繊細さがある」
「ほんとうですか?」
「ああ」俺は頷いた。「それより、変身してみろ。名乗りとポーズも含めて」
「え?」ミュウの顔が突然真っ赤になった。「こ、ここで?」
「ああ、ここで」
ミュウは恥ずかしそうに周囲を見回した。人気のない森だが、彼女にとってはそれでも恥ずかしいらしい。
「は、はいなのです……」
彼女は小さな声で呟くと、緑色の杖を取り出した。深呼吸して、変身の儀式を始める。
彼女の体が緑色の光に包まれ、黒と緑を基調とした魔法少女の衣装に身を包む。猫耳と尻尾はそのままに、装束だけが変化した。彼女の手には葉の形をした緑色の杖が握られていた。
「風と音の守護者、魔法少女ミュウ・フェリス!」
そして最後に、両手で猫のポーズを取る。
「に、にゃ……にゃん……にゃん……♪」
彼女の声は徐々に小さくなり、最後はほとんど聞こえないほどだった。顔は真っ赤で、体も震えている。
「だめだ」俺は厳しく言った。「もっとはっきりと。そして恥ずかしがらない。自信を持って」
「はい……」
ミュウは変身を解くと、もう一度やり直した。だが、結果は同じだった。
「に、にゃんにゃん……♪」
声は震え、体もくねくねと不安定になる。これでは、戦闘の場で使い物にならない。
「もう一度」
俺は厳しい声で命じた。ミュウは一段と顔を赤くして、三度目の変身を試みた。すでに彼女の額には汗が浮かんでいた。
「風と音の守護者、魔法少女ミュウ・フェリス! に、にゃ……」
「もっと大きな声で!」
「にゃんにゃん♪」
最後のポーズで、彼女の体がまたもやくねくねと震え始めた。
「ったく! どうしてそこで恥ずかしがるんだ?」俺はため息をついた。「名乗りとポーズは魔法少女の基本だろう?」
「はい……でも……」
実は、これまで彼女たちを指導している中で、俺は気づいたことがある。特撮の世界でのヒーローの名乗りやポーズは、単なる演出だった。敵の前でカッコつけて名乗っている間に攻撃される、というツッコミはもっともだった。
しかし、この世界の魔法少女たちにとって、名乗りとポーズには深い意味があった。
魔法少女の魔力は、星の祝福から得られる。その力を最大限に引き出すためにも、魔法少女自身のアイデンティティと魔力の特性を高らかに宣言することは意味があるのだ。名乗りは自分自身の存在を星に知らしめ、ポーズは魔力の流れを整える効果がある。
さらに印象的な名乗りとポーズは、魔力を一気に発散して敵を一時的に怯ませる効果すらある。それはちょうど、『蒼光剣アポロナイト』の世界でヒーローが名乗りを上げた後、敵が一瞬ひるむのと同じような原理だった。まさか実際にそんな効果があるとは。
だからこそ、俺はミュウにもエレノアにも、名乗りとポーズの練習を徹底させてきた。特にエレノアは最初、名乗りなど子供じみたことだと拒否していたが、効果を実感すると真剣に取り組むようになった。
しかし、ミュウだけは「にゃんにゃん♪」のところで必ず恥ずかしがってしまう。これでは魔力の流れが乱れ、効果半減だ。
「あのな、ミュウ」俺は真剣な表情で語りかけた。「名乗りとポーズがどれだけ重要か、もう説明したよな? 魔力の流れを整え、最大限に引き出すために不可欠なんだ」
「はい……」ミュウは申し訳なさそうに頷いた。「でも、にゃんにゃんって言うのが恥ずかしくて……」
「猫族なんだろう? むしろ誇るべきだ!」
「はい……でも……」彼女はもじもじとしていた。「武流様の前でにゃんにゃんって言うのが……あの……」
俺は厳しい視線を向けた。「魔法少女として成長したいなら、克服しなければならない。もう一度やってみろ!」
ミュウはさらに赤くなり、全身から汗が滴り落ちるようになった。彼女は杖を握りしめ、意を決したように変身を始めた。
「風と音の守護者、魔法少女ミュウ・フェリス!」
ここまでは見事だった。しかし、最後のポーズで……
「にゃん……にゃん……♪」
また声が小さくなり、体がくねくねと震えた。
「だめだ! 全然だめだ!」俺は厳しく言った。「もっとはっきりと! 恥ずかしがってどうする!」
「す、すみません……」
ミュウは今にも泣き出しそうな顔をしていた。しかし、彼女の表情をよく見ると……何やら別の感情も入り混ざっていることに気づいた。
「なぜさっきからそんな顔をしてるんだ?」
「え?」ミュウの体が小さく震えた。「ど、どんな顔、なのです?」
「ひょっとして……俺に怒られるのが、嬉しいのか?」
一瞬の沈黙。そして、ミュウの顔が煮えたような赤さになった。
「ち、違うのです! そんなことは……」
彼女の猫耳が興奮で真っ直ぐに立ち、尻尾がブンブンと振れている。これは……完全に図星らしい。