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(2)無双!真のヒーローの成り上がり開幕

 深い闇の中、無重力感に包まれていた俺の意識が揺らめいていた。


「ここは……撮影現場……?」


 明日香の冷酷な笑みが脳裏に焼き付いて離れない。


 ——ざまぁみろ。


 十七歳の小娘の、あの悪魔のような囁き。俺の二十年のキャリアを一瞬で踏みにじった、あの残酷な勝ち誇り。


 憎い。今でも、心の奥底で燃え続ける怒りが、俺を内側から焼き尽くそうとしている。


 無意識に足の付け根に手が向かう。あの時の鋭い痛みが、まだ鈍く疼いている気がする。


 明日香の細く白い指が、俺の急所を容赦なく弾いた瞬間——


 ——このド変態ヒーロー。家に帰って私でオナニーでもしてろ。


 その言葉と屈辱的な一撃。この業界で最強の武術家であるこの俺が、十七歳の小娘に、男として最も恥ずべき部分を指一本で攻撃された屈辱。そして、彼女に下着を見せつけられ、身体の奥から迫り上がる欲求を容易に見抜かれたという羞恥心。


 痛みは一瞬だったが、魂に刻まれた屈辱は永遠に俺を蝕み続ける。


 最後に記憶しているのは、スタジオでの撮影。変身ブレイサーから異常な光が放たれ、周囲の現実が歪み始めた瞬間だ。しかし、ここはどこなのか。


 あの光は、俺の絶望と怒りから生まれた。そして同時に——希望でもあった。


 腐りきった現実世界を破壊し、新しい可能性への扉を開く光。


「これは特殊効果か? それとも……」


 いや、違う。肌で感じる空間の質感、空気の密度、すべてが撮影現場とは異なる。これは本物だ。


 俺は今、本当に別の世界にいるのだ。明日香や腐ったプロデューサーたちがいない、全く新しい世界に。


 闇の中で考えを巡らせる間も、周囲の空間が変容していくのを感じた。まるで物理法則が異なる領域に踏み込んだような感覚。製作スタッフの仕掛けた演出とは思えない。


 心臓が高鳴る。この感覚は、初めて特撮番組を見た子供の頃以来だ。


 そして俺は気づいた。アポロナイトのスーツが消えている。全裸だった。撮影現場で着ていた重く締め付けるスーツから解放され、肌が直接空間に触れる感覚。奇妙なことに、恥ずかしさより解放感の方が強かった。


 皮肉なものだ。明日香に「ド変態ヒーロー」と罵られた俺が、今は本当にすっ裸になっている。


 だが、恥じることはない。これは再生の儀式だ。古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分として生まれ変わるための。


 二十年以上、他人の作ったキャラクターの皮を被ってきた俺が、今、あるがままの姿でいる。


 自由だ。完全に自由だ。もう誰かの期待という重い鎧を着る必要はない。


 やがて遠くから、清冽な声が聞こえてきた。


 ——目覚めなさい、アポロナイト。光の勇者よ。


 勇者——その響きに、全身が震えた。


 明日香が俺を「ド変態ヒーロー」と呼んだのとは対照的に、この声は俺を「勇者」と呼ぶ。


 俺は警戒心を抱いたまま声の方を見た。そこでは光が渦を巻き、一つの形を成していく。次第に浮かび上がったのは、人の形をした存在。だが、それは明らかに人間ではなかった。


 先ほど撮影現場で一瞬だけ見えた二十歳ほどの若い女性の姿がはっきりと現れた。


 光の衣をまとい、頭上には実際の星々が——そう、本物の星が——冠のように輝いている。その姿には通常の照明や特殊効果では決して生み出せない神秘的な輝きがあった。


 極上の魔法衣装に身を包み、光の粒子のベールを纏う高貴な存在。彼女の周りには星々が舞い、その瞳は宇宙の深淵のようだ。


 俺は確信した。明日香とは正反対の存在だと。


 明日香の美しさは表面的で、内側には腐敗があった。だがこの存在は、内側から純粋な光を放っている。


「何者だ……?」


 興奮で声が震える。この出会いが、俺の人生を変える瞬間だと直感していた。


 ——我は境界を司る女神。汝を此処に召喚せり。


 本物の女神が、俺を召喚した。俺は選ばれたのだ。無数の人間の中から、特別に選ばれたのだ。


 運命は俺に、最悪のものを与えた後で、最高のものを用意してくれたのかもしれない。


「勘違いしているようですね。俺はただのスーツアクター、それも今日解雇されたばかりです」


 明日香に陥れられ、すべてを失った男——それが俺の過去だ。


 女神は微笑み、頷いた。


 ——汝の魂の奥底に眠る光の力は偽りなきもの。真の力を授けよう。


「真の力」——その言葉に、俺の心は激しく震えた。


 明日香を見返してやりたい。プロデューサーを後悔させてやりたい。俺を軽んじたすべての人間を、見下してやりたい。


 いや——それだけじゃない。


 真の力があれば、世界を支配することもできるだろう。神になることさえできるかもしれない。


 もう二度と、誰かの言いなりになどならない。無力な自分には戻らない。新しい世界で、新しい力で、新しい支配者として君臨する。


 女神は俺の内面の変化を見透かすように、静かに言葉を続けた。


 ——ただし、ある世界を救ってくれるならば。その世界は今、深き闇に蝕まれつつあり、勇者の力を必要としている。


 世界を救う——なんて美しい響きだ。


 これまで偽りのヒーローを演じてきた俺が、今度は本物の世界救済を行い、その見返りとして絶対的な権力を手に入れる。


 救世主として崇められ、絶対的な力を正当化できる。完璧な計画だ。


 だが、それを口に出すべきではないと直感した。


「世界を救う、ですか。私にできるか分かりませんが……」


 従順さを装いつつ、俺は内心で笑っていた。女神は俺を「勇者」と見なしている。そのイメージに合わせて演じるべきだろう。


 ——そなたの心の奥に、もう一つの願いを感じる。


 俺は沈黙した。この女神は、俺の本心を見抜いているのか?


 だが、それでも構わない。力さえあれば、最終的には俺の思い通りになる。


 ——力は両刃の剣。我は汝に選択を与えよう。新たなる世界にて、汝が求める力を得られん。それをどう使うかは汝次第。


 完璧だ。女神は俺に自由を与えてくれる。力の使い方を制限しない。


 これで俺は、心置きなく野心を実現できる。


「必ずや有意義に使わせていただきます」


 心の底から湧き上がる使命感——いや、征服欲。この感覚は演技ではない。本当に世界を手に入れたいと思っている。


 明日香のような悪を滅ぼし、真の秩序を実現する。そして、その秩序の頂点に俺が立つ。


 ——叶えましょう。汝の魂に宿る強き光、新たなる世界にて輝かん。


 光が爆発的に広がり、意識は再び闇に沈んだ。女神は俺の野心を見抜いていたのか、それとも敢えて力を与えたのか。


 そんな疑問を抱いたまま、俺は光に包まれていった。どちらでも構わない。力さえあれば、すべてを思い通りにできるのだから。


  ☆


 目覚めると、澄み渡る青空が広がっていた。


「ここは……?」


 深い森の中、小さな湖のほとりに横たわっていた。かつて経験したことのない鮮明さで、森の匂いや風の感触が伝わってくる。


「これは撮影セットじゃない……現実の森だ」


 空気が違う。すべてが本物だ。明日香たちがいる、あの腐った世界から完全に離れた場所。


 湖面に映る自分の姿に目を奪われた。


「若返ってる……!」


 かつての四十歳の疲れた顔は消え、十八歳ほどの若さを取り戻していた。俺自身の顔に変わりはない。が、この若さ——まるで時間を巻き戻したかのような。


 これは単なる若返りじゃない。俺の人生そのものがリセットされたのだ。


 かつての四十歳の疲れた顔は消え、十八歳ほどの若さを取り戻していた。俺自身の顔に変わりはない。が、この若さ、『蒼光剣アポロナイト』の主人公・大空翔の年齢通りだ。完璧な肉体、完璧な顔立ち。


 さらに身につけている服装も驚くべきものだった。大空翔の私服——白と青のジャケット、黒のインナー、細身のジーンズ。腰には特徴的なシルバーのベルト。完璧な衣装だ。まるで撮影のために準備された衣装だが、その質感は比較にならないほど上質で、体になじんでいる。


 これで俺は、完全にヒーローの外見を手に入れた。引き締まった体、鍛え上げられた筋肉。そして右手には見覚えのある腕輪。


「これは……アポロナイトの変身ブレイサー?」


 本物だ。ついに、本物の力を手に入れた。


 冷静に分析しようとする思考と、湧き上がる興奮が入り混じる。演じてきたヒーローの変身アイテムが、今や自分の腕に装着されている。その感触は紛れもなく「本物」だった。


「まさか……ここはアポロナイトの世界……?」


 その時、大地が揺れ始めた。


 ズシン、ズシン。


 森の向こうから、巨大な魔獣が姿を現した。漆黒の体表からは炎が立ち上り、その咆哮は森全体を震わせる。


「番組では見たこともない敵だ……。これは本物の危機か」


 早速、俺の力を試す機会が訪れた。


 この魔獣を倒せば、俺の強さが証明される。そして、この世界の人々は俺を崇拝するようになるだろう。


 俺は右腕を天に掲げた。かつて何百回と繰り返してきた変身ポーズ。だが今回は演技ではない。心臓が高鳴り、全身が震えるような興奮が走る。


 これが、俺の新しい人生の始まりだ。


「蒼光チェンジ!」


 ブレイサーの蒼い宝石から眩い光が迸り、超科学の力が俺の全身を包み込んだ。光粒子が螺旋状に集約され、体表に白銀の装甲を形成していく。


 言葉にならない高揚感が全身を満たす。頭では冷静さを保とうとするが、体は震えていた。


 これまで夢見てきた瞬間が現実になったのだ。かつては重たいスーツだったものが、今は自分の第二の肌のように軽やかで強靭だ。


「星々の導きも、太陽の加護も、この一太刀に宿る!——蒼光剣アポロナイト!」


 俺はポーズを決めた。


「これが……本当の変身……!」


 すごい……全てが本物だ!


 興奮を抑えきれず声を上げていた。冷静な性格の俺でさえ、この状況には心が揺さぶられる。


 演じてきたヒーローが、今や自分自身となった。偽りのヒーローから真のヒーローへ——いや、真の支配者へ。


 腰に下がる光の結晶。ブレイサーに触れると、それが伸長し、真っ直ぐな光の刃となった。


「作りものじゃない……。本物の蒼光剣だ!」


 俺はジャンプした。軽く飛び上がったつもりが、予想をはるかに超える高さまで舞い上がった。着地の衝撃で大地が砕け散る。


「うおっ! 制御が必要だな……!」


 この力は想像以上だ。これなら、どんな敵でも倒せる。どんな障害でも排除できる。


 魔獣は村へと向かって突進している。遠くから人々の悲鳴が聞こえる。


「真のヒーローになる時が来たようだ」


 俺は行動を開始した。今度は観客のためではなく、自分のために。


「この力、どれほどのものか試してみるか」


 アポロナイトは人間サイズだが、巨大な魔獣に立ち向かうべく疾走する。その速度は常識外れ。一瞬で距離を詰め、跳躍して魔獣の顎へと拳を叩き込む。


 ゴォン!


 衝撃波が周囲を薙ぎ払い、魔獣の巨体が宙に浮く。


「これは、特撮じゃない……!」


 コントロールを欠いた一撃で背後の山の一角が崩れ落ちた。この力はあまりに強大だ。


 これなら、軍隊でも国家でも、俺に逆らうことはできないだろう。


 魔獣が反撃の炎を吐き出す。俺はそれを避け、蒼光剣を構えた。刃を地面に突き立てると、青白い光の波動が走り、大地が抉れて巨大な地割れとなる。


 この破壊力……俺は本当に神に等しい力を手に入れたのかもしれない。


 魔獣が倒れ込む。


 とどめを刺すべく、俺は跳躍して蒼光剣を振り上げた。


「これで終わりだ。アポロ・ジャッジメント!」


 俺の必殺技。今度は本物の敵に対して放つ、本物の裁きだ。


 剣から放たれた青白い光の刃が魔獣の胸を貫く。一瞬の静寂の後、魔獣の黒い体表に青い亀裂が走り、内側から光が漏れ出す。


「グオオオオッ!」


 魔獣の断末魔と共に、その巨体が爆発的に砕け散った。


「本当に……消えた……」


 身体の奥底から込み上げてくる力の感覚。演技ではない、リアルな力だ。もう誰かの顔色を窺う必要もない。解雇を告げられた時の無力感など、遠い過去の出来事のように感じられた。


「この力さえあれば……」


 どす黒い欲望が明確な形を成していく。


 この力で何ができるのか? アポロナイトの設定通りなら、これは世界最強の力。光を操り、空間を切り裂き、あらゆる悪を滅する力。


 だが、「悪」とは何か? その定義を決めるのは力を持つ者——俺だ。


 これを使えば、世界を支配することも可能だろう。神になることさえできるかもしれない。


 かつての無力な自分とは違う。もう誰にも頭を下げる必要はない。世界は俺の手の中にある。


 ここで俺は、真の支配者として君臨するのだ。


 そう考えていた矢先、予想外の出来事が起こった。


「そこまでよ!」


 虹色に輝く光の障壁が、俺と魔獣の残骸の間に立ちはだかった。清らかな少女の声……いや、少女にしては妙に尖った、どこか世慣れた声音。


 予想外の邪魔者か。だが、これも面白い。


 この世界の住人との最初の接触だ。ここで印象を決定づけねば。


 そこには一人の少女が立っていた。年齢は十五歳ほどか。


 ピンクがかった茶色の長い髪に鮮やかな緑色の瞳。身長は155cmほどで、小柄な体型でありながら、ピンクと緑を基調としたフリルたっぷりのドレス風衣装は、短くカットされたミニスカートになっており、細く白い脚が露わになっている。髪には花の飾りが散りばめられ、首元には光る種のようなブローチが輝いていた。右手には自分の身長ほどもある巨大な杖を携えている。


 美しい少女だ。明日香とは違う、純真な美しさ。この子なら、俺の最初の信奉者になってくれるかもしれない。


「あなた誰? 新種の魔獣さん?」


 少女は警戒しながらも、どこか楽しげな表情で俺を見上げた。


「魔獣」と呼ばれた。つまり、この子は俺を敵だと認識している。


 で、この少女は……


「魔法少女……?」


 困惑のあまり、一瞬言葉を失った。


魔法姫(マジカルプリンセス)だよ。ボクたちは魔法姫って言うの。まあ、魔法少女でもいいけどさー」


 少女は杖を軽く回転させながら、俺の周りをくるりと歩いて観察し始めた。


「なんだこれは……? ここは、アポロナイトの世界じゃないのか?」


 女神が言っていた「ある世界」とは、こういう意味だったのか。予想外の展開に、俺の冷静な思考が一瞬崩れた。ついに真のヒーローの力を得たというのに、どうやら全く知らない世界に来てしまったようだ。

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