(28)腰抜け姉妹、王宮追放の過去
俺は王都の宿から、村へと戻った。エレノアはすでにリリア、ミュウ、ロザリンダと共に、先に村へ帰ったという。
その日の朝、村を包む緑の丘の上で、エレノアは一人佇んでいた。
銀青色の髪が朝風に揺れ、彼女の細い体はわずかに傾いている。王都での戦いで多少の疲れは残っているようだが、傷は思ったほど深くなかったらしい。
村には朝の陽光が降り注ぎ、小さな家々の煙突から立ち上る炊事の煙が青空に溶けていく。のどかな光景だが、エレノアの心は嵐のように荒れていた。
「エレノア」
彼女の背後から語りかける。エレノアは振り返ると、ゆっくりと丘を登ってくる俺に気づいた。
「あなた……」彼女の青い瞳には憎悪が浮かんだ。「何の用?」
「話がある」俺は彼女の横に立った。「昨夜のことだ」
昨夜の星祭りでの出来事。メリッサとの戦いの後、アポロナイトの姿で俺は宣言した。「覚えておけ! 俺は魔法姫たちを導く存在! そして、この世界の支配者になる男だ!」。エレノアがそのことで怒っているのは明らかだった。
「話?」エレノアはうっすらと笑った。その笑みには皮肉が込められていた。「あなたが『世界の支配者になる』なんて宣言したことについて?」
「ああ」俺は率直に認めた。「つい口が滑ったんだ……」
「口が滑った?」エレノアの声が冷たくなる。「バカにしないで。あれはあなたの本心でしょう」
俺は言葉に詰まった。彼女の鋭い洞察力に、一瞬たじろいでしまう。
「あなたは何も分かっていない」エレノアは村の方を見つめながら続けた。「スターフェリアの歴史を……男という存在がどれだけの苦しみをもたらしてきたか」
彼女の声には痛みが混じっていた。朝の光を受けた彼女の横顔は美しかったが、その表情には深い悲しみが宿っていた。
「メリッサの態度を見ただろう?」俺は言い訳を試みた。「あんな生意気な魔法少女に、お前が蔑まれるのを黙って見ていられなかったんだ。お前を救ったこと、少しは感謝してくれたって……」
「感謝しろですって!?」エレノアが声を荒げた。「あなたが王宮の者たちに向かって『支配者』なんて言葉を使えば、事態がどれほど悪化するか分かってる?」
風が強くなり、丘の草が大きく揺れた。エレノアの髪も風になびき、その姿は一層凛々しく見えた。
「ボクも来たよ、お姉様!」
丘を駆け上がってきたリリアが、息を切らせながら叫んだ。彼女の後ろには、ミュウとロザリンダの姿も見えた。
ロザリンダは穏やかな表情で俺を見つめた。「武流さん、あなたの昨夜の宣言が、王都で大きな波紋を呼んでいるのをご存知ですか?」
「波紋?」
ロザリンダは静かに丘の上に立ち、朝日を浴びながら説明し始めた。
「王都から急使が来ました。男である武流さんが、魔法姫たちを導き、この世界の支配者になると宣言したことで、エレノア様とリリア様がいるこの村が今まで以上に注目を集めてしまいました」
「どういうことだ?」
「あの村には男の指導者がいる、やはりあの男は魔獣なのではないかと疑う声が上がっています」ロザリンダの表情が暗くなる。「さらに恐ろしいことに……もしや王宮襲撃の犯人なのではと疑う声まであるのです」
「えっ!?」リリアが驚きの声を上げた。
「武流様の身が危ないのです!」ミュウの猫耳が不安で震えた。
俺はあっけらかんと笑った。「心配いらないよ」
「何がどうして?」エレノアが怪訝そうに俺を見た。
「俺が簡単にくたばると思うか? それに、俺は王都の人々の前でアポロナイトの姿しか見せていない」俺は説明した。「昨夜もアポロナイトの姿のまま王都を去った。村人以外、俺の素顔を知らないんだ」
「そうですね」ロザリンダが小さく頷いた。「確かにそれは利点かもしれません」
「素顔を隠してこそヒーロー」俺は自信たっぷりに言った。
リリアが少し安心した様子で笑った。「ほんとだね。でも、いつかバレちゃうかもしれないよ?」
「その時はその時さ」俺は肩をすくめた。「それより、もっと知りたいことがある」
俺は真剣な表情でエレノアとリリアを見た。「三年前、王宮を襲撃した魔獣について、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
エレノアの表情が曇った。彼女はゆっくりと丘の草の上に腰を下ろし、遠い目をした。
「あれは月光祭の夜だった……」彼女は静かに語り始めた。「王宮には素晴らしい祝宴が開かれ、父と母——王様と王妃は国中から招かれた賓客と共に祝っていた」
リリアも隣に座り、小さな声で続けた。「ボクは十二歳、お姉様は十四歳だったんだ。ボクは祝宴を楽しんでたけど、お姉様はずっと警戒してた」
「そう……」エレノアが頷いた。「異様な気配を感じたの。けれど、誰にも信じてもらえなかった」
「宴が最高潮に達した時……」リリアの声がわずかに震えた。「王宮の中央広間に、見知らぬ男が現れたの。背が高くて、優しい笑顔の、とても魅力的な男性だった」
「彼は自分を『遠い国からの特使』と名乗った」エレノアが続けた。「長い旅の末にようやく辿り着いたと言って……」
「彼は父上や母上とも話しをしていた」リリアが言った。「みんな彼の話に聞き入ってて、気を許してた」
「でも、彼は……」エレノアの拳が握り締められた。「突然、その姿を変えた。人の姿から、醜い触手の生えた魔獣に。巨大で、漆黒の体から粘液を垂らし、目が赤く光って……」
「その変化があまりに突然で、誰も反応できなかった……」リリアの目に涙が浮かんだ。「あの魔獣は、まず父上を……そして母上を……」
「私たちは魔法姫なのに、何もできなかった」エレノアの声が震えた。「ただ怖くて、体が動かなくて……」
「魔獣は二人を殺すと、すぐに姿を消した」リリアは震える声で言った。「警備隊が駆けつけた時には、もう遅かった……」
「そして、私たちは責められたの」エレノアの声には苦い怒りが混じっていた。「魔法姫なのに、なぜ戦わなかったのかと。『腰抜け姫』と蔑まれ、他の王族によって王宮から追放された」
そして、陰では『おもらし姫』と嘲笑されている。それは想像を絶する屈辱だろう。
「でも、わたくしはロザリンダ様に聞いたのです」ミュウが静かに言った。「あの魔獣は普通の魔獣ではなかったのでは、と」
ロザリンダは頷いた。「あれは特別な上位種の魔獣に違いありません。通常、魔獣にはあれほどの変身能力も知能もないのです」
「あの魔獣は今も行方不明でしょう?」ミュウが恐る恐る尋ねた。
「ええ、捕まることもなく消えた」エレノアの表情が暗くなる。「どこかで男の姿に戻り、潜んでいるのかもしれない……そしていつか、また現れるかもしれないの」
「三年経った今も、その魔獣は捕まっていないのか?」俺は驚いた。
「スターフェリア全土を探しましたが、手がかりすら得られていません」ロザリンダが静かに答えた。「上位種の魔獣は人間の姿になりきる能力があるとすれば、普通の人の中に紛れていても不思議ではありません」
「ボクたちが追放された後、メリッサが王宮の守護者の代表に選ばれたんだ」リリアが説明した。「でも、あんな強いメリッサでさえ、あの魔獣を見つけられないんだよ」
「だから」エレノアの青い瞳が真剣な色を帯びた。「あなたが『男が世界の支配者になる』なんて宣言すれば、多くの人が恐怖するのよ。あの悪夢を思い出すから」
俺は初めて、彼女たちの恐怖と痛みを理解した気がした。かつての王宮の悲劇がどれほど深く心を傷つけ、今も彼女たちの魂に影を落としているのか。そして、男性に対する彼女たちの不信感の根源も。
「俺の不用意な発言で、辛い記憶を呼び覚まして悪かった」俺は素直に謝った。
エレノアは首を振った。「今さら謝られても……」
「でも」俺は前に出た。「だからこそ、お前たちは強くなる必要があるんじゃないか?」
「え?」エレノアが顔を上げた。
「そうだ、お前たち」俺は三人の魔法少女たちを見回した。「王宮に戻りたいんじゃないのか? あの魔獣に復讐したいんじゃないのか?」
エレノアとリリアは顔を見合わせた。
「王宮に……?」エレノアの声が小さくなる。
「そうだ」俺は自信たっぷりに言った。「俺がお前たちを最強の魔法少女に鍛え上げてやる。そして王宮に戻り、メリッサのようなやつらを見返すんだ」
「師匠……」リリアの目が輝いた。「本当? ボク、戻りたい! 王宮に戻りたい!」