(25)“おもらし姫”の汚名
メリッサは王宮の塀の上に立ち、見下ろすように語り始めた。
「王都の皆さん!」メリッサの声は魔法で増幅され、広場全体に届く。「ご存知の方もいるでしょうが、彼女が誰なのか、改めて説明させていただきますわ」
人々は静かに彼女の言葉に耳を傾けた。メリッサは高らかに続けた。
「彼女はエレノア・フロストヘイヴン。かつての第三王女です。三年前、王宮が魔獣に襲撃された時の事件を覚えていますか? そう、あの悲劇の日よ!」
人々は固唾を飲んで聞いている。
「あの事件で国王と女王が亡くなったのは、この魔法姫姉妹が恐怖のあまり戦えなかったからです!」メリッサの声が厳しさを増す。「当時14歳だったエレノアと12歳だったリリア、二人とも戦わずに逃げ出したのです! 本来なら魔法姫として王宮を守るべき二人が、尻尾を巻いて逃げたのよ!」
リリアの顔が苦悩に歪んだ。その表情には、メリッサの言葉を否定できない苦しみがあった。彼女は小さく震えながら、姉の手を握りしめている。
「一番恐ろしかったのは、魔獣が何に化けていたかよ!」メリッサは声を上げた。「人間の男の姿に化けていたのよ! その男性に化けた魔獣が王宮に侵入し、国王と女王を殺害したの!」
俺の中で何かが腑に落ちた。エレノアが男性を蔑視する理由、男性全般に対する彼女の冷たさと敵意。それは単なる偏見ではなく、親の死という深い傷を抱えた悲劇に根ざしたものだったのだ。
「腰抜けの魔法姫!」メリッサは指さして叫んだ。「そのせいで王宮を追放されたのです。彼女に王宮に戻る資格はありません! 弱すぎるからね! アタシは逃げなかった。アタシは魔獣と戦ったの。だからこそ、今の地位があるんだから! 姫様、あなた、怖くて漏らしちゃったんでしょ? あの時!」
エレノアの体が小さく震えた。意識は戻りつつあるようだったが、立ち上がる力はない。彼女は地面に横たわったまま、無防備な姿を晒していた。
「スターフェリアの人々はみんな知ってるわ! あなたが腰抜けの姫だってこと! みんな陰でなんて呼んでるか、知ってる? 教えてあげる! 『おもらし姫』よ! 漏らして逃げ出した最弱の姫様! 王宮の面汚し! 王族の恥! あなた、ひょっとして今もアタシの強さにビビって漏らしてるんじゃないの?」
メリッサの罵倒の言葉は止まらない。
怒りが燃え上がった。メリッサの言葉は見下し、傷口に塩を塗るようなものだ。真のヒーローは倒れた者を足蹴にはしない。現実世界で朝倉明日香に濡れ衣を着せられ、二十年の功績が水の泡となった日の無力感を思い出す。そして今、目の前で同じように罵倒され、蔑まれるエレノアの姿。この理不尽な構図は見過ごせない。
女神が俺をこの世界に送ったのは偶然ではないと直感した。この歪んだ男女の力関係、根深い不信感——俺こそがその循環を断ち切るために選ばれたのではないか? よりよい世界秩序をもたらす存在になる——その確信が胸に宿った。
アポロナイトの姿で前へ出ると、エレノアを庇うように立った。
メリッサは初めて俺の姿に気づいたらしく、首を傾げた。「......ん? あなた、何者? 見たこともない姿ね......」
俺に気づいた人々も、口々に言う。
「なんだ、あれは......!?」
「新たな魔法姫か......?」
「おいおい、俺が魔法姫に見えるか? 男だぞ」俺は静かに、しかし広場全体に響くよう声を発した。
人々の間にざわめきが広がった。
メリッサの顔が驚きと怒りに変わった。「わかった! あなた、男の姿をした魔獣ね! 女の世界に男が入り込むだなんて、許せない!」
その言葉に人々が恐怖に震え、広場の外へと逃げ出そうとする者も出てきた。
「エレノア、あなたが王都に連れて来たの?」メリッサは高らかに言った。「どういうつもり? まさか、今度は自ら魔獣の味方になったの? 腰抜け姫様、魔獣様のペットになっちゃったわけ? 最低ね! なんて恥知らず! 王女だったくせに男に媚びて――!」
「違う! 彼は......」リリアが必死に言おうとしたが、メリッサの炎の魔法が彼女の言葉を遮った。
「下がりなさい! 危険よ! この腰抜け女王と魔獣は私が処理してあげる! 男なんて存在自体が汚らわしい! 純潔を守っている女に近づくなんて、品位に欠けるわ! 『おもらし姫』とお下劣な男、どっちもどっち!」
メリッサの全身が赤い炎に包まれ、俺に向かって高速で飛んできた。「汚らわしい魔獣め! 消え去れ! 男の分際で魔法少女の前に立つなんて! この炎で焼き尽くしてやる!」
炎に包まれた彼女の拳が俺に向かって迫る。その目には絶対的な自信と軽蔑があった。
だが、俺にとってそのスピードは遅く見えた。動きも単調だ。スーツアクターとしての経験と若返った体、そしてアポロナイトの力。この組み合わせは、この世界では抜群の強さだ。
右手を軽く上げ、人差し指一本でエネルギーの防御壁を構築し、メリッサの拳から放たれる炎を受け止める。
「な、何!?」
メリッサの顔に驚愕の色が浮かぶ。「どうして!? 私の炎が!?」
「少し頭を冷やしたらどうだ?」俺は静かに言った。「暑苦しいぞ」
人差し指一本でちょんと弾き、エネルギーの防御壁もろとも、彼女の炎を弾き返す。アポロナイトの姿の俺にとって、それだけで十分だった。
「きゃあああああああっ!?」
弾き返されたメリッサ自身の炎が全身を包み込む。彼女は火だるまになって悲鳴を上げながら、王宮の壁に向かって吹き飛んでいった。壁に激突した衝撃で、彼女の変身が解除される。
「うぅ......!」
普通の少女の姿になったメリッサは、全身が壁にめり込んだ。そして、壁から崩れ落ち、地面に倒れ伏す。炎で衣服は焦げ、ボロボロになり、至る所から肌が露出していた。彼女は恥ずかしさと痛みで体を丸め、震えている。
「私の炎が......! ウソだ......! ありえない......!」
広場の人々は息を呑み、静まり返った。
「メリッサ様が......一瞬で......!」
「あんな強かったのに......何が起きたんだ......」
「あの白銀の鎧の男性は何者なんだ......?」
誰もが固唾を呑んで見つめる中、俺はゆっくりと中央へと歩み出た。青く輝くアポロナイトの姿が月明かりに照らされ、その威厳は一層増していた。
俺は人々を見回し、一呼吸置いた。
かつて二十年間、裏方として生きてきた。人知れず、陰で、他人を輝かせるために。
もう誰かのヒーローを演じる必要はない。自分自身がヒーローになる時が来たのだ。
「星々の導きも、太陽の加護も、この一太刀に宿る!——蒼光剣アポロナイト!」
俺は右膝を少し曲げ、左手を腰に当て、右手を天に向けて突き出した。スーツアクターとして何度も演じてきた決めポーズだ。今度はエレノアたちのようなキョトンとした反応はなく、人々は恐怖と畏怖の念に震えていた。
「覚えておけ! 俺は魔法姫たちを導く存在! そして、この世界の支配者になる男だ!」
そう宣言すると、広場に集まっていた人々の間から悲鳴が上がった。王宮の兵士たちも緊張した様子で、武器を構えている。が、誰一人俺に近づこうとはしなかった。
「支配者に......?」リリアが絶句した。
「武流様......?」ミュウの猫耳が驚きで真っ直ぐに立った。
ロザリンダが息を呑む。
そして、意識を取り戻しつつあったエレノア。彼女の青い瞳は、衝撃で見開かれていた。その表情には、これまで見せたことのない驚きと恐怖が混じっていた。
広場の人々は絶句したまま、俺を見つめていた。誰もが恐れ、誰もが畏怖する存在。それが今や、俺の立場だった。
かつて無力だった俺が、今は力を得た。この力で、エレノアたちを鍛え導き、この世界をより良い場所に変える。女神が俺を選んだのは、この世界の歪んだ秩序を正すためだ——。
エレノアとリリア、そしてミュウの姿を見つめながら、俺はそんな思いを胸に抱いていた。
第25話までお読みいただき、ありがとうございます!
まもなく第1章クライマックス(第29話で1章完結)です。
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