(176)魔法少女狩り[5]〜ミュウの完全敗北〜
「さて、次は――」
クラリーチェが楽しそうに舞台を見回した。その視線が、恐怖に震えながらも勇気を振り絞ろうとしているミュウに止まる。ミュウの猫耳がピクンと反応し、白銀色の毛がわずかに逆立っていた。
「可愛らしい猫族の娘じゃな。わらわも猫は好きじゃよ。特に、気高くて従順な猫は」
クラリーチェが口元に妖艶な微笑みを浮かべる。十七歳の美少女らしい上品な顔立ちに、しかし底知れない邪悪さが宿っていた。漆黒のローブは彼女の成長した身体のラインを美しく際立たせ、深い藍色の瞳には獲物を見つめる捕食者の光が宿っている。胸元で交差した銀のチェーンが、彼女の動きに合わせて妖しく輝いていた。
「わたくし、負けません! あなたを倒して、必ず武流先生を救い出します!」
ミュウは恐怖に負けずに立ち向かった。しかし俺には見えていた。彼女の細い肩が小刻みに震えていること、三つ編みにした黒髪の先端が微妙に揺れていること、そして何より――彼女の白銀の猫耳が恐怖で後ろに倒れかかっていることが。
それでも彼女は一歩前に出て、緑色の杖を高く掲げた。
「風と音の守護者よ――今こそ力を貸してください!」
ミュウが杖に込めた魔力が、緑色の光となって彼女の全身を包み込む。その光が収束していく過程で、彼女の姿が劇的に変化した。普段の黒と白のシンプルな衣装が光の粒子となって舞い散り、代わりに現れたのは緑と白のドレス風魔法少女衣装だった。
膝丈の緑のスカートは動きやすさを重視したデザインで、白い長い靴下が彼女の細い脚を美しく包んでいる。胸元には翠玉をあしらった緑色のブローチが輝き、その中央に小さな鈴が下がっていた。腰の帯も翠玉の装飾が施され、全体的に清楚で上品な印象を与える衣装だった。しかし最も印象的なのは、変身後も残る白銀色の猫耳と尻尾で、それらがより一層ふわふわとした美しい毛質に変化していたことだった。
「風と音の守護者、魔法少女ミュウ・フェリス!」
彼女が凛とした声で名乗りを上げ、右手を胸の前で軽く曲げ、左手を腰に当てる猫のようなポーズを取る。そして――
「に、にゃんにゃん♪」
顔を真っ赤にしながらも、彼女は最後の決めポーズを完成させた。その瞬間、緑色の杖が彼女の身長ほどの大きさに成長し、葉の形をした先端部分が美しく輝いている。
「おお、これは見事じゃ。風と音の調和――まさに芸術的じゃな」
クラリーチェが手を叩きながら感心している。その表情には純粋な称賛があったが、同時に何かを企んでいるような邪悪な光も宿っていた。
しかし俺には分かっていた。クラリーチェの称賛は、獲物を油断させるための罠だということが。
「だが、猫には猫らしい扱いが必要よ。おぬしは、わらわの可愛らしいペットになるのじゃ」
その言葉に、ミュウの白銀の猫耳がピクンと大きく反応した。
「わたくしは、ペットではありません! 武流様の大切な弟子なのです!」
ミュウが杖を構え直し、戦闘態勢を取る。その動きは猫族特有の俊敏さを見せていたが、俺には彼女の緊張が手に取るように分かった。普段なら流麗な動きを見せる彼女の足取りが、わずかにぎこちないのだ。
「では、まずはその気高さを試してやろう」
クラリーチェが指先を軽く動かすと、空気中に紫色の靄のようなものが漂い始めた。それは徐々にミュウの周囲を取り囲んでいく。
「ウィンド・バリア!」
ミュウが即座に反応し、緑色の風の壁を展開した。紫の靄は風の壁に阻まれ、彼女に直接触れることはできない。
「ふふ、なかなか素早い反応じゃな。では、これはどうじゃ?」
クラリーチェが両手を広げると、今度は黒い触手のような魔力が舞台の床から無数に現れた。それらは生き物のように蠢きながら、ミュウに向かって伸びてくる。
「ウィンド・ダンス!」
ミュウは猫のような俊敏さで舞台上を駆け回り、触手を次々と回避していく。その動きは確かに美しく、まるで風と踊っているかのような優雅さがあった。緑色の杖から放たれる風の刃が、触手を切り裂いていく。
「やるではないか。では、もう少し本格的に行こうかの」
クラリーチェの瞳に、より深い邪悪な光が宿った。彼女が手をかざすと、舞台全体に重圧のような魔力が満ちていく。
ミュウの動きが急に鈍くなった。猫族特有の軽やかさが失われ、まるで重い鎧を着せられたかのように動きが制約される。
「な、何です、これは――」
「深淵魔法――重力の檻じゃ。おぬしのような軽やかな猫には、少し重い世界を体験してもらおう」
ミュウの細い身体が重力に押し潰されそうになる。それでも彼女は歯を食いしばって立ち続け、杖を構え直した。
「この程度で――わたくしは諦めません! ハリケーン・バッファー!」
ミュウが渾身の力を込めて強烈な上昇気流を発生させる。緑色の風が竜巻となってクラリーチェを包み込み、重力魔法を相殺しようと試みる。その技は確かに強力で、舞台装置の軽いものが宙に舞い上がるほどの威力があった。
「おお、なかなかの威力じゃ」
しかしクラリーチェは、竜巻の中心にいながら髪一本乱すことなく立っていた。まるで微風に当たっているかのような余裕を見せている。
「だが、所詮は小猫の遊び程度よ」
クラリーチェが指を軽く弾いた。それだけで、ミュウの竜巻が完全に消散してしまう。
「そんな――」
ミュウの顔に初めて絶望の色が浮かんだ。自分の最大級の攻撃が、まるで効果を示さなかったのだから当然だった。
「エアリアル・トルネード・マキシマム!」
彼女は諦めずに、さらに強力な竜巻を発生させた。今度は精密制御された巨大な竜巻で、その威力は先ほどの何倍にも達している。緑色の風が螺旋を描きながらクラリーチェを襲う。
しかし――
「ふあぁ〜」
クラリーチェが大きなあくびをした。まるで退屈しているかのような態度で、襲い来る竜巻を見つめている。
そして片手をひらりと振っただけで、巨大な竜巻を消し飛ばしてしまった。
「つまらぬ。もう少し面白い芸を見せてくれぬか?」
クラリーチェの言葉に、ミュウの身体が震えた。それは恐怖だけでなく――屈辱による震えでもあった。
「フェリス・テンペスト・フィナーレ!」
ミュウが最後の切り札とも言える技を繰り出した。光の嵐を伴う彼女の最大技で、緑色の光が舞台全体を包み込む。その美しさは確かに芸術的で、観客席からも感嘆の声が漏れるほどだった。
しかし、クラリーチェは動くことすらしなかった。
光の嵐がクラリーチェの身体に触れる瞬間、すべての攻撃が霧散してしまう。まるで彼女の周囲に見えない盾があるかのように、ミュウの必殺技は完全に無効化されていた。
「これで終わりか? 随分とあっけないのう」
クラリーチェが首を傾げて、まるで子供を諭すような表情を見せる。
ミュウは膝をついていた。魔力を使い果たし、息も絶え絶えの状態だった。それでも彼女は立ち上がろうとする。
「まだ……まだ終わっていません」
「ほう、まだやる気があるのか。感心じゃ」
クラリーチェが微笑みを浮かべる。しかし、その笑顔には明らかに悪意が込められていた。
「では、わらわも少しばかり本気を出すとしようか」