(171)セシリアの機転とリリアの危機
俺の宣言が劇場に響いた瞬間、観客席の混乱はさらに激しくなった。人々は立ち上がり、出口に向かって殺到しようとしている。しかし、クラリーチェの結界によって逃げ場を失った彼らの顔には、絶望の色が濃く浮かんでいた。
その時、舞台上に一人の人影が現れた。
セシリアだった。
水晶の魔法少女としての威厳を纏った彼女が、落ち着いた足取りで舞台中央に歩み出る。その表情には動揺の色はなく、むしろ冷静な判断力と機転が輝いていた。
「皆様、ご安心ください!」
セシリアの声が、魔法によって劇場全体に響き渡った。その声には、パニックに陥った人々の心を落ち着かせる不思議な力があった。
「私は、セシリア・クリスタリア。この温泉街の代表として、本日の公演に協力させていただいております」
セシリアが優雅にお辞儀をすると、観客席のざわめきが少しだけ静まった。彼女の落ち着いた態度に、人々は一縷の希望を見出そうとしている。
「今、皆様がご覧になっているのは――すべて芝居でございます」
セシリアの言葉に、俺は息を呑んだ。まさか、この状況を芝居だと説明するとは……。
「これは、アポロナイトこと神代武流さんが書かれた歌劇のシナリオ通りの演出なのです。空中に浮かんでいらっしゃるクラリーチェ様にも、特別にご協力をいただいております。この日のために、魔力で十七歳にお姿になり、準備は万全! なんというサプライズ! なんというサービス精神! いわば、特別友情出演です!」
セシリアが空中のクラリーチェに向かって、恭しく頭を下げた。
「なっ……!」クラリーチェが口を挟もうとするが、セシリアが続ける。
「このような大掛かりな演出を可能にするのも、最高位の魔法少女様方のお力あってこそ。皆様は、まさに歴史的な瞬間をご覧になっているのです」
観客席の空気が変わり始めた。
「なぁんだ。芝居なのか……」
「びっくりした。本当に戦いが始まるのかと思った……」
「すごい演出だな。まるで本物みたいだった……」
人々の表情から恐怖が薄れ、代わりに興味深そうな視線がクラリーチェに向けられる。彼らは、この異常事態を壮大な舞台演出として受け入れ始めていた。
「芝居だと……?」
空中のクラリーチェが激怒した。十七歳の美少女の顔が怒りで紅潮し、深い藍色の瞳に危険な光が宿る。
「ふざけるな! これは芝居などではない! わらわは本気で……」
「ほら、ごらんください」セシリアが観客に向かって微笑みかけた。「クラリーチェ様の迫真の演技。まるで本当にお怒りになっているかのようです」
観客席から感嘆の声が上がった。
「すごいなぁ。本当に怒ってるみたい……」
「演技力が半端ないな……」
「さすがはスターフェリア最強の魔法少女だ……」
クラリーチェの美しい顔が、さらに怒りで歪んだ。しかし、観客たちは彼女の怒りすら演技として受け取っている。
「これは……これは芝居ではない! わらわを愚弄するのか!?」
「まあまあ、クラリーチェ様」セシリアが上品に微笑んだ。「台本通りに進めてまいりましょう。観客の皆様も、この壮大な物語の行く末を楽しみにしていらっしゃいます」
俺はセシリアの機転に感動していた。この緊急事態で、観客をパニックから救うという最も重要な判断を下してくれたのだ。
「セシリア……」俺が七歳の高い声で呟く。
「武流様」セシリアが俺の方を向いた。その瞳には、確固たる意志が宿っている。「観客の皆様を巻き込むわけにはまいりません。この方法で、少なくとも彼らの安全は確保できます」
確かに、観客たちが芝居だと思い込んでいる限り、パニックは回避できる。そして、クラリーチェも観客の前で本格的な殺戮を行うことは躊躇するかもしれない。
「それに」セシリアが続けた。「これで私たちも、観客の皆様の前で堂々と戦うことができます」
セシリアの戦略的な判断に、俺は心から感謝した。彼女のおかげで、最悪の事態は免れることができたのだ。
しかし、クラリーチェの怒りは頂点に達していた。
「もう我慢ならぬ!」
美しい少女の声が、怒りで震えている。
「わらわの神聖なる裁きを、見世物呼ばわりするとは!」
クラリーチェが空中から舞台上に降り立った。その瞬間、劇場全体の空気が重くなる。十七歳の美少女でありながら、その威圧感は百年を超える支配者そのものだった。
「ならば、見せてやろう! これが芝居ではないことを!」
クラリーチェが手をかざすと、深淵魔法の暗黒エネルギーが舞台上に渦巻いた。
「深淵魔法――縛鎖の蔦!」
舞台の床が割れ始め、そこから無数の黒い蔦が現れた。それらは生き物のように蠢き、明らかに俺を狙っている。
「師匠!」リリアが叫んだ。
「武流先生!」ステラも慌てて俺に駆け寄ろうとする。
しかし、蔦の動きは彼女たちより速かった。
俺の足首に絡みつくと、一気に引き上げられる。七歳の小さな体では、その力に抗うことはできなかった。
「くそ……!」
俺は空中で蔦に拘束されながら、必死にもがいた。しかし、子供の筋力では蔦を引きちぎることはできない。
変身ブレイサーに手を伸ばすが、やはり反応しない。この幼い体では、アポロナイトに変身することもできないのだ。
「どうじゃ、武流よ」
クラリーチェが俺を見上げて、残酷な笑みを浮かべた。十七歳の美しい顔に浮かぶその表情は、恐ろしくも魅力的だった。
「その無力な姿こそが、おぬしの真の姿じゃ。所詮、異世界から来た無力な男に過ぎぬ」
俺の屈辱と怒りが込み上げてくる。しかし、この状況では何もできない。蔦は俺の体を完全に拘束し、身動きを取ることすら許さなかった。
「そこで大人しく見ておれ」
クラリーチェが舞台上の魔法少女たちを見回した。その視線には、獲物を狙う捕食者の冷酷さが宿っている。
「これから、おぬしの愚かな弟子どもを、一人ずつ始末してやる」
魔法少女たちの顔が青ざめた。
「まずは……」
クラリーチェの視線が、一人の魔法少女に固定された。
リリアだった。
「主役を演じる、この変身能力を失った哀れな姫君からじゃな」
クラリーチェが右手を上げると、暗黒のエネルギーが彼女の掌に集中し始めた。それは死を意味する黒い光だった。
「リリア!」俺が叫んだ。「逃げろ!」
しかし、リリアは動けずにいた。恐怖で体が硬直し、その場に立ち尽くしている。
だが、その時だった。
「む……?」クラリーチェが眉間に皺を寄せる。
七歳の姿のエレノアが、リリアを庇ってクラリーチェに対峙した。エレノアだけではない。ミュウ、アイリーン、ステラ、ルル、リュウカ先生、セシリア……魔法少女たちが次々とリリアを背に、クラリーチェを見据えた。
「わたくしたちが……リリア様をお守りするのです!」ミュウが力強く宣言した。
「みんな……」リリアが涙ぐんでいる。変身できない彼女のために、仲間達が一致団結していた。
だが、クラリーチェはこの状況すらも可笑しそうに見つめている。
「愚かな……。おぬしら、どうなっても構わぬというのだな? ならば一千人以上の観客の前で、わらわがとっておきの屈辱を与えてやろう! “魔法少女狩り”の始まりじゃ!」
お読みいただき、ありがとうございます!
次回から、クラリーチェの大逆襲、「魔法少女狩り」篇!
魔法少女たちを襲う危機、また危機を、連続して描きます。魔法少女たちが、あんなことや、こんなことに……!?
どうぞお付き合いください。
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