(166)俺を襲った信じ難い異変
公演開始まで、あと一時間。
魔法少女たちは最後のリハーサルに入り、俺は一人、会場裏手の控室で最終的な進行確認をしていた。手元の台本には、一か月間の稽古で書き込まれた無数のメモが踊っている。照明のタイミング、音響の調整、魔法による特殊効果の合図――すべてが完璧に仕上がっていた。
その時だった。
突然、俺の頭に鋭い耳鳴りが響いた。
「うっ......」
俺は台本を落として頭を押さえた。まるで頭蓋骨の内側で鋼鉄のベルが鳴り響いているような、激しい耳鳴りだった。それは次第に強くなり、俺の意識を混濁させていく。
何者かの攻撃か?
俺は警戒心を最大まで高めて、控室内を見回した。しかし、扉は閉まったままで、窓からの侵入者もいない。部屋には俺一人しかいなかった。
だが、この耳鳴りは明らかに異常だ。自然現象ではない。何らかの魔法による攻撃の可能性が高い。
クラリーチェの復讐か? それとも、別の敵の仕業か?
俺は変身ブレイサーに手を伸ばしながら、慎重に部屋を出た。控室から会場裏手に出て、周囲の気配を探る。魔法少女たちの声が遠くから聞こえるが、怪しい人影は見当たらない。
しかし、耳鳴りは止まらない。それどころか、さらに激しくなっていく。まるで俺の脳髄を直接揺さぶっているかのような、耐えがたい痛みが襲ってくる。
考え事をしていたせいで、完全に油断していた。誰かが俺を狙っているとすれば、この隙を見逃すはずがない。
俺は痛みに耐えながら、気配の方向を追った。会場裏手の建物の陰、設営用の資材が積まれた場所――そこに、僅かな魔力の残滓を感じる。
誰かがここにいた。そして、俺に何らかの魔法をかけた。
しかし、既にその人物の姿はない。逃げられたのか、それとも――。
俺は建物の影に隠れながら、周囲を警戒した。変身ブレイサーを起動させ、いつでもアポロナイトに変身できる状態を保つ。
次の瞬間――俺の意識は突然闇に沈んだ。
膝から崩れ落ち、地面に倒れ込む。視界が真っ暗になり、すべての感覚が失われていく。
最後に聞こえたのは、遠くで響く魔法少女たちの練習の声だった。
◇ ◇ ◇
どのくらい時間が経ったのだろうか。
俺はゆっくりと意識を取り戻した。頭がぼんやりとして、体に力が入らない。まるで長時間眠り続けていたような、重い疲労感が全身を支配していた。
ここは......会場裏手の建物の陰だった。気を失う前と同じ場所だ。
魔法少女たちはまだリハーサル中らしく、遠くから彼女たちの声が聞こえてくる。俺が意識を失っている間、どのくらいの時間が経過したのかはわからないが、おそらく数分といったところだろう。
俺は体を起こそうとした――その瞬間、異変に気づいた。
視線が、妙に低い。周囲の世界が、下から見上げるように広がっている。
そして、着ている服がぶかぶかになっている。白と青のジャケット、黒のインナー、細身のジーンズ――すべてが俺の体に合わなくなっていた。まるで大人の服を子供が着ているような感覚だった。
俺は慌てて立ち上がった。
やはりおかしい。建物の高さ、周囲の景色――すべてが普段より高く見える。
まさか......。
俺はふらふらと歩き出し、会場の控室に扉を開けた。扉の取手もずいぶん高い位置にある。控室に置かれた姿見に駆け寄った。そして、鏡に映った自分の姿を見て――絶句した。
そこに映っていたのは、七歳くらいの少年だった。
顔立ちは確かに俺のものだが、幼い頃の俺そのものだった。体格も子供のもので、手足も細く短い。まるで時間を巻き戻されたかのような、幼い姿になっていた。
「何だ、これは......」
俺の声も、子供のような高い声になっている。大人の男性の低い声ではなく、まるで小学生のような声質だった。
変身ブレイサーは右腕に残っているが、サイズが合わなくなっている。
夢を見ているのか?
俺は自分の頬を叩いてみた。痛みは確実に感じられる。これは夢ではない。現実に、俺の身体が幼い姿に変化してしまったのだ。
どういうことなのか? なぜこんなことに?
魔法による変身か? それとも、時間操作による若返りか? いずれにしても、これほど高度な魔法を使えるとすれば――。
深淵魔法?
俺の脳裏に、クラリーチェの顔が浮かんだ。あの時の屈辱的な敗北と、復讐への執念。『わらわをあのような屈辱的な目に遭わせた報い――必ず千倍にして返してやる』――彼女の憎悪に満ちた宣言が蘇る。
しかし、クラリーチェにこのような魔法が使えるのか? 俺の記憶では、彼女の深淵魔法は主に攻撃と拘束に特化していたはずだ。
タイムループからようやく抜け出せたと思ったら、今度は若返り? 一体、なぜこんなにも次々と試練が降りかかるのか。
このままでは、歌劇の指揮を執ることができない。魔法少女たちに説明しても、信じてもらえるだろうか。それとも、俺だと認識してもらえないかもしれない。
何より、この若返りが一時的なものなのか、それとも永続的なものなのかがわからない。元に戻る方法があるのか、それすらも不明だった。
俺は誰かに助けを求めるため、控室を飛び出した。
ぶかぶかになった服を引きずりながら、会場裏手を走る。魔法少女たちを見つけて事情を説明しなければならない。
しかし、途中で――。
ドンッ!
俺は会場裏手で、誰かとぶつかってしまった。
「いたい......」
尻餅をついた俺の前に、同じように転んだ人影があった。俺と同じ七歳程度の、美しい少女だった。
その少女もまた、ぶかぶかの服を着ていた。まるで大人の服を無理やり着せられた子供のような格好だった。
「ごめんなさい」俺が謝ろうとした時、少女も同時に口を開いた。
「ごめんなさい」
お互いに謝り合った後、俺たちは顔を見合わせた。
その瞬間――俺の心臓が止まりそうになった。
その美少女の顔立ちには、見覚えがあった。銀青色の髪、氷のような青い瞳、高貴な雰囲気――間違いない。
「まさか……武流?」
少女が震え声で俺の名前を呟いた。
「エレノア.....?」
俺も同じように、彼女の名前を口にした。
信じられない。目の前にいる美しい少女は、紛れもなくエレノアだった。彼女もまた俺と同じように、七歳程度の幼い姿になってしまったのだ。
「どうして......どうしてあなたまで......」
エレノアの瞳に、困惑と恐怖が入り混じった光が宿っていた。