番外編●クラリーチェの偽エレノアおしおき育成記(2)パワハラ訓練♡
偽エレノアが悲鳴を上げながら訓練場の壁まで吹き飛ばされる。石造りの壁に激突し、ずるずると床に崩れ落ちた。
「いてて……」
「演技とはいえ限度があるわ! そこまでリアルに憎まれる必要はないのじゃ!」
クラリーチェがぷりぷりと怒っている。確かに演技としては完璧だったが、あまりにもリアルすぎて本当にムカついてしまった。
「も、申し訳ございません……」
偽エレノアがよろめきながら立ち上がる。魔法衣装の一部が破れ、髪も乱れていた。
「まあよい」
クラリーチェが機嫌を直そうと努める。
「外見、声、内面――すべて完璧じゃ。これなら武流を欺くことができるであろう」
そう言いながらも、クラリーチェの心に一抹の不安がよぎった。
偽エレノアの完成度に満足していたクラリーチェだったが、ふと重要な問題に気がついた。
「待てよ……」
ディブロットが首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「いくら外見や内面を完璧に再現できても、戦闘能力まで本物と同じでなければ、武流に怪しまれる可能性があるのではないか?」
「……なるほど」
ディブロットも深刻そうに頷いた。
「確かに、エレノア様は相当な実力者です。武流殿と共に修行を積み、飛躍的に力を向上させたとか」
「そうじゃ。あの生意気な氷姫は、今やわらわ以外には負けぬほどの実力を身につけておる」
クラリーチェが偽エレノアを見つめる。確かに見た目は完璧だが、魔獣である以上、本物のエレノアほどの戦闘力は期待できない。
「おい、シェイプシフター」
「はい」
「試しに氷の魔法を使ってみよ」
偽エレノアが氷の杖を構える。その構えは確かにエレノアのものと同一だった。
「アイス・ジャベリン!」
氷の槍が形成され、訓練場の標的に向かって飛んでいく。しかし……。
「なんじゃ、この威力は」
クラリーチェががっかりしたような声を上げた。
氷の槍は標的に当たる前に霧散してしまい、まるで威力がない。これでは到底、本物のエレノアの技とは言えなかった。
「うーむ……」
クラリーチェが腕を組んで考え込む。
「外見だけ完璧でも、実力が伴わなければ正体がバレてしまう。これは困ったのう」
「申し訳ございません……」
偽エレノアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、おぬしが悪いわけではない」
クラリーチェが立ち上がると、決意に満ちた表情を浮かべた。
「よし、ならば実戦で鍛えてやろう!」
「え?」
「わらわが直々に相手をしてやる。本物のエレノアと同程度の実力を身につけるまで、みっちりと鍛え上げてやるわ!」
ディブロットが心配そうに羽をばたつかせる。
「クラリーチェ様、それは危険すぎるのでは……」
「心配無用じゃ。手加減してやるわ」
クラリーチェの瞳に、久しぶりの戦闘への期待が宿った。
◇◇◇◇
王宮地下の特別訓練場。通常は王族専用の施設だが、今日は異例の使用目的となっていた。
「さあ、シェイプシフター! わらわと戦う覚悟はできたか?」
クラリーチェが深淵魔法の力を纏いながら、偽エレノアと対峙する。漆黒のローブが風になびき、その小さな体から圧倒的な威圧感が放たれていた。
「では始めるぞ」
クラリーチェの声に、訓練とは思えない緊張感が込められている。
「おぬしの実力、とくと見せてもらおうか」
偽エレノアが氷の杖を構える。その姿は確かにエレノアそのものだが、纏っているオーラの強さが明らかに劣っていた。
「がんばります!」
「うむ、良い心がけじゃ。では――」
クラリーチェが指を軽く動かすと、小さな暗黒エネルギーが偽エレノアに向かって飛んだ。これは様子見の軽い攻撃のはずだったが……。
「きゃあああ!」
偽エレノアが大げさに吹き飛ばされ、訓練場の床を転がった。
「……」
クラリーチェが呆然とする。今のは本当に軽いジャブ程度の攻撃だったのに、あまりにも簡単に吹き飛ばされてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい……なんとか……」
偽エレノアがよろよろと立ち上がる。魔法衣装の一部が既に破れており、その脆弱さが露呈していた。
「これでは話にならぬな」
クラリーチェがため息をつく。
「本物のエレノアなら、今の攻撃など防御魔法で軽く防いでみせるぞ?」
「も、もう一度お願いします! 今度は防いでみせます!」
「よろしい。では、今度は少し本気を出してやろう」
クラリーチェが深淵魔法を発動させる。暗黒のエネルギーが彼女の周りに渦巻き、訓練場の空気が重くなった。
「深淵魔法・暗黒の矢!」
鋭い暗黒エネルギーの矢が偽エレノアに向かって飛ぶ。今度は先ほどより威力を上げた攻撃だ。
「アイス・シールド!」
偽エレノアが防御魔法を展開する。氷の盾が形成されたが、その厚さと強度は本物のエレノアには遠く及ばない。
バリン!
氷の盾が瞬時に粉砕され、暗黒の矢が偽エレノアの肩をかすめた。
「いたあああい!」
偽エレノアが肩を押さえて痛がる。魔法衣装の肩の部分が裂け、白い肌が覗いていた。
「まだじゃ! 本物のエレノアは、これしきで音を上げたりせぬ!」
クラリーチェの声に苛立ちが混じり始めた。期待していたよりもあまりにも弱すぎる。
「そ、そうですよね……エレノア様なら……」
偽エレノアが必死に立ち上がろうとするが、足が震えている。
「気合が足りぬ! もっと本気で来い!」
「は、はい!」
偽エレノアが氷の魔法を発動させる。
「グレイシャル・ストーム!」
無数の氷の結晶が舞い踊りながらクラリーチェに向かっていく。これは本物のエレノアが得意とする技の一つだ。
「ほう、技の形は覚えておるな」
クラリーチェが軽く手を振ると、暗黒のバリアが展開される。氷の結晶がバリアに触れた瞬間、すべて霧散してしまった。
「だが、威力が圧倒的に足りぬ! 本物のエレノアの技は、もっと美しく、もっと鋭いのじゃ!」
「すみません……」
「謝るな! 戦闘中に謝罪などするものではない!」
クラリーチェの苛立ちが頂点に達し始めていた。本物のエレノアなら、どんなに劣勢でも決して弱音を吐かない。その誇り高さこそが、エレノアの本質なのだ。
「もう一度じゃ! 今度こそ本気で来い!」
クラリーチェが深淵魔法の力を高める。今度は明らかに先ほどより強い魔力が放たれていた。
訓練が激化する中、クラリーチェの中で危険な感情が芽生え始めていた。
目の前にいるのは偽物だと分かっているのに、エレノアの姿をした相手を痛めつけることに、なぜか快感を覚えてしまっている自分がいた。
「そうじゃ……」
クラリーチェの唇に、不敵な笑みが浮かんだ。
「せっかくエレノアの姿をしておるのじゃ。あの時の続きをしてやろうではないか」
「あの時……ですか?」
偽エレノアが首を傾げる。
「以前、本物のエレノアとわらわが戦った時のことじゃ。あの時、わらわは特別な技を使ってエレノアを屈服させた」
クラリーチェの瞳に、危険な光が宿った。
「虚空結界――空間を切り取り、相手を完全に支配下に置く究極の深淵魔法じゃ」
「そんな危険な技を、訓練で使うのですか?」
「これはもはや訓練ではない」
クラリーチェが冷たく微笑む。
偽エレノアが困惑した表情を見せる。復習とは一体何のことなのか、理解できずにいた。
「深淵魔法……虚空結界!」