番外編●クラリーチェの偽エレノアおしおき育成記(1)妖しいたくらみ♡
クラリーチェの知られざる奮闘を描く番外編コメディ、全4話でお届けします。
スターフェリア王都クリスタリアの中央に聳え立つ王宮。その最上階に位置する女王の間で、幼い少女の姿をした絶対的支配者が苛立ちを隠すことなく部屋を歩き回っていた。
クラリーチェ・スターヘイズン。見た目は七歳程度の愛らしい幼女だが、その実年齢は百年を超える。スターフェリア王国を陰から支配する真の権力者にして、深淵魔法を操る最強の魔法少女である。
漆黒のローブに身を包んだ彼女の表面には無数の星が瞬き、床まで届く美しい黒髪が怒りに震えて揺れていた。深い藍色の瞳には、冷酷な光と共に明らかな苛立ちが宿っている。
「あの忌々しい男め……」
クラリーチェの小さな唇から漏れた呟きには、普段の威厳ある口調とは異なる感情的な響きがあった。
肩にとまった黒いカラス、ディブロットが主人の機嫌を窺うように首を傾げる。燕尾服を着たような装いの妖精は、知的な瞳でクラリーチェを見つめていた。
「クラリーチェ様、何がそれほどまでにお気に障ったのですか?」
「決まっておろう!」
クラリーチェが振り返ると、その瞳には激しい怒りの炎が燃えていた。
「神代武流――あの異世界の男が、この世界に余計な文化を持ち込もうとしておるのじゃ!」
彼女の声は憤怒で震えていた。歌劇――武流が魔法少女たちと共に準備している、この世界初の演劇文化。それは単なる娯楽の域を超え、人々の心を変える力を持つ可能性があった。
「『星の守護者たち~失われし光の物語~』……」
クラリーチェがその題名を口にすると、まるで毒でも吐くかのように顔を歪めた。
「アステリアの伝説をモチーフにした脚本だと? ふざけるでない! あの男は一体何を企んでおるのじゃ!」
ディブロットが羽を整えながら冷静に分析する。
「確かに、民衆の心を動かす新しい文化は危険ですな。特に、アステリアの名を使うとは……」
「そうじゃ!」クラリーチェが拳を握りしめた。「あの男の野望を放置するわけにはいかぬ。歌劇など、この世界には不要じゃ!」
女王の間の窓から見える王都の街並みには、既に歌劇への期待で沸き立つ人々の姿があった。スターフェリア全土から観客が集まり始めており、この前代未聞の文化的イベントへの関心の高さが窺える。
「許せぬ……」
クラリーチェの声が低く唸った。
「あの男を野放しにしていては、わらわの統治に影響が出る。歌劇の公演など、絶対に阻止せねばならぬ!」
クラリーチェが魔法陣を描くと、女王の間の床に複雑な紋様が浮かび上がった。深淵魔法による召喚術――普通の魔獣とは一線を画す、特殊な能力を持った個体を呼び出すための禁呪である。
「出でよ、シェイプシフター!」
魔法陣から黒い霧が立ち上り、その中から人間大の影がゆらりと現れた。現れたのは、触手を持つ不定形の魔獣――しかし、この個体は他の魔獣とは明らかに異なる知性の光を瞳に宿している。
「お呼びですか、クラリーチェ様」
魔獣が人間の言葉を流暢に話すことに、ディブロットも感心したような声を上げた。
「ほう、これほど知性の高い個体とは珍しいですな」
「当然じゃ」クラリーチェが誇らしげに胸を張った。「このシェイプシフターは、わらわが特別に育て上げた最高傑作の一体。人間への変身能力においては、他の追随を許さぬ」
シェイプシフターと呼ばれた魔獣が、恭しく頭を下げる。
「クラリーチェ様のご期待に添えるよう、精進してまいりました」
「うむ、良い心がけじゃ」
クラリーチェが満足そうに頷くと、表情を一変させて鋭い視線を魔獣に向けた。
「さて、今回おぬしに命じる任務は重要じゃ。神代武流という男を捕らえ、処刑台に送ることじゃ」
「承知いたしました。しかし……」
シェイプシフターが躊躇うような素振りを見せる。
「彼は非常に警戒心が強く、単純な接近では気づかれてしまう可能性が高いかと」
「だからこそ、おぬしの特殊能力が必要なのじゃ」
クラリーチェの瞳が狡猾に光った。
「エレノア・フロストヘイヴンに化けるのじゃ」
「エレノア様に……?」
「そうじゃ。あの男が最も信頼している人物の一人。彼女に化けて近づけば、警戒心を解くことができるであろう」
シェイプシフターが困惑したような表情を見せた。
「しかし、エレノア様は強力な魔法少女です。ただ姿を真似るだけでは、すぐに正体がバレてしまうのでは……」
「心配ご無用」
クラリーチェが不敵に微笑む。
「この数日間、わらわが直々におぬしを鍛え上げてやる。エレノアの情報を徹底的に叩き込み、完璧に化けられるよう調教してやろう」
◇◇◇◇
それから三日間、王宮の地下訓練場では異様な光景が繰り広げられていた。
クラリーチェが手にした資料の山――エレノアの戦闘記録、性格分析、口癖、仕草、そして過去の発言録まで、ありとあらゆる情報が網羅されている。
「エレノアの一人称は『私』じゃ。語尾に特徴的な癖はないが、武流に対しては時折挑発的な口調になる」
「はい、クラリーチェ様」
「氷の魔法を使う際の構えは、杖を斜め上に掲げて魔力を集中させる。この角度が重要じゃ」
シェイプシフターが必死にメモを取りながら、クラリーチェの指導に耳を傾けている。
「そして何より重要なのは……」
クラリーチェの表情が一段と厳しくなった。
「エレノアはわらわを両親の仇として憎んでおる。その憎悪の表現方法まで完璧に再現せねばならぬ」
「仇……ですか」
「そうじゃ。忘れるでない、おぬしはエレノアになりきるのじゃ。彼女の感情、記憶、すべてを自分のものとして演じるのじゃ」
三日目の夕方。ついにシェイプシフターの変身訓練が始まった。
「では、やってみよ」
クラリーチェの号令と共に、シェイプシフターの身体が黒い霧に包まれる。霧が晴れると、そこには見事なまでにエレノアの姿があった。
氷のように透き通った銀青色の長髪、切れ長の氷のような青い瞳、スラリとした長身――外見は完璧にエレノアそのものだった。しかも、魔法少女に変身した状態での再現である。青銀色の華麗な魔法衣装に身を包み、肩を露出したレオタードスタイルの戦闘服。黒と青を基調とし、腰からシースルーのスカートが風に揺れている。
「ほほう……」
クラリーチェが感心したような声を上げる。
「見た目は申し分ないな。では、声はどうじゃ?」
「私はエレノア・フロストヘイヴン」
偽エレノアの口から発せられた声は、本物と寸分違わぬ美しい響きを持っていた。
「声も完璧じゃな。では、いくつか質問してみよう」
クラリーチェが椅子に腰を下ろし、尋問官のような鋭い視線を偽エレノアに向けた。
「おぬしの妹の名前は?」
「リリア・フロストヘイヴン。第四王女で、純潔を奪われて魔法の力を失った可哀想な妹よ」
「武流に対する感情は?」
「……複雑ね」
偽エレノアが本物そっくりの表情で答える。
「あの男は私を跪かせた。その屈辱は忘れることができないわ。でも同時に……」
「同時に?」
「彼に跪かされた時の、あの感覚が忘れられない。もう一度、彼に支配されたいと思ってしまう自分がいるの」
「ほう……」
クラリーチェが興味深そうに眉を上げた。これは本物のエレノアの深層心理を正確に分析した結果だろう。
「では最後に、わらわに対する感情を述べてみよ」
偽エレノアの表情が一変した。氷のような瞳に憎悪の炎が宿り、全身から怒りのオーラが立ち上る。
「あなたは私たちの両親を殺した仇敵よ!」
偽エレノアが激情に駆られたように叫んだ。
「証拠はなくても、私には分かる! あなたが黒幕だということが! いつか必ず復讐してやる! この恨み、千年経っても忘れることはないわ!」
「……」
クラリーチェの表情が急激に冷たくなった。確かにこれは本物のエレノアが抱いている感情そのものだが……。
「おい」
「あなたの薄汚い手で両親を殺しておきながら、のうのうと王宮に君臨するなど――」
「だまらっしゃい!」
クラリーチェの怒声が地下訓練場に響き渡った。
「演技とはいえ、わらわに向かってそのような口の利き方をするとは……調子に乗るでない!」
クラリーチェが深淵魔法を発動させると、暗黒のエネルギーが偽エレノアを襲った。
「きゃああああ!」