(128)アポロナイトの最期
洗脳? 扇動?
俺の心に怒りが込み上げてきた。歌劇は純粋に魔法少女たちのため、そして人々の娯楽のために始めたものだった。それを洗脳工作と決めつけるクラリーチェの短絡的な思考に、俺は憤りを感じた。
クラリーチェが哀れむような笑みを浮かべて続けた。
「それにしても皮肉なものじゃな」
彼女の声に、残酷な愉悦が滲んでいる。
「王都で『この世界の支配者になる』と大見得を切った男が、こうして処刑台で命乞いをしておるとは。支配者になるどころか、わらわの足元で這いつくばって死んでいくのじゃからな」
俺の胸に屈辱が突き刺さった。確かに、あの時俺は宣言した。この世界の支配者になると。しかし、それは――。
「どうじゃ? 無力な支配者になった気分は?」クラリーチェが嘲笑う。「わらわに縛られ、身動き一つできぬまま、無様に死んでいく気分は?」
俺は動こうとしたが、体に巻かれた黒い鎖が深淵魔法の力で俺の動きを完全に封じていた。変身ブレイサーも既に奪われており、アポロナイトに変身することもできない。
そして、さらに絶望的なことに――。
俺の周囲には、これまで共に歩んできた魔法少女たちの姿があった。
「師匠!」
リリアが涙を流しながら叫んでいる。しかし、彼女の周りにも深淵魔法の黒い結界が張られており、近づくことができない。
彼女の顔に浮かぶのは、絶望と怒りと無力感だった。
「許さない......絶対に許さない......!」
リリアの声が震えている。
「ボクらの両親を殺して......今度は師匠まで......! どうして......どうして......!」
彼女の拳が震えていた。クラリーチェが両親の仇であることを知りながら、証拠がないために復讐もできない。そして今、師匠である俺まで殺されようとしている。
「武流様!」
ミュウも猫耳を震わせながら必死に結界を叩いているが、その手は虚しく空を切るだけだった。
「武流......!」
エレノアも氷の魔法で結界を破ろうとしているが、深淵魔法の力の前では無力だった。
エレノアの瞳にも、抑えきれない怒りが燃えていた。
「クラリーチェ......!」
彼女の声は怒りで震えている。
「父上と母上の仇......そして今度は武流まで......!」
王族としての威厳を保とうとしているが、その仮面の下で激しい感情が渦巻いているのがわかる。
「私はまた......また大切な人を失うというの......? なぜ私たちばかり......!」
ステラ、アイリーン、ルル、そして他の魔法少女たちも、皆が俺を助けようと必死になっている。しかし、クラリーチェの深淵魔法による結界は絶対的で、誰一人として俺に近づくことができなかった。
リュウカ先生も電撃を放って結界を破ろうとしているが、深淵魔法の前では彼女の雷も意味をなさない。
セシリアまでもが、水晶の魔法で俺を助けようとしていた。あの時の憎しみを忘れて、必死に魔法を使っている。
しかし、全てが無駄だった。深淵魔法の絶対的な力の前では、どんな抵抗も意味をなさない。
そして、結界の外には町の人々も集まっていた。
「ア、アポロナイト様が......」
「そんな......アポロナイト様が負けるなんて......」
「嘘でしょう? あのアポロナイト様が......」
町民たちの顔には、信じられないという表情が浮かんでいた。王宮最強の魔法少女メリッサを倒し、古代魔獣を鎮め、セシリアを完膚なきまでに打ちのめした無敵のアポロナイトが、まさかこんな形で処刑されるなど、誰も想像していなかった。
「アポロナイト様! 頑張ってください!」
「絶対に負けないで!」
町民たちが必死に声援を送るが、その声も結界に阻まれて俺には届かない。
「やめて! 師匠を殺さないで!」
リリアの絶叫が響く。彼女の声は絶望と悲しみに満ちていた。変身できない身でありながら、俺を慕ってくれた彼女。その彼女の前で、俺は無様に処刑されようとしている。
「お願いします! 武流先生を許してください!」
ステラも膝をついて懇願している。体育会系の彼女が、プライドを捨てて頭を下げている。
俺は心の中で叫んだ。なぜこんなことになったのか。なぜ俺がここで死ななければならないのか。
万策尽きた。
しかし――まだ諦めるわけにはいかない。
俺は全身の力を込めて、深淵魔法の鎖を引きちぎろうとした。筋肉が軋み、血管が浮き出るほど力を込める。温泉で得た魔力も総動員し、体の奥底から絞り出した全ての力を鎖に集中させた。
「無駄じゃ」
クラリーチェが冷ややかに言った瞬間、鎖がさらに強く俺を締め付けた。
「深淵魔法の束縛は、魔力を込めるほど強くなる。抵抗すればするほど、自分を苦しめるだけじゃ」
次に、俺は関節を外して鎖から抜け出そうとした。アクターとしての技術を駆使し、骨格を一時的に変形させて隙間を作ろうとする。
しかし――。
「ほほう、そのような芸当ができるとは」
クラリーチェの指先から黒い糸が伸び、俺の関節に巻きつく。
「だが、それも想定済みじゃ」
瞬間、俺の全ての関節が凍りついたように動かなくなった。
最後の手段として、俺は重心移動で柱を倒そうとした。体重を一点に集中し、柱の根元に負荷をかける。
「おお、力任せではないな。なかなか知恵を使う」
クラリーチェが感心したような声を出したが、次の瞬間――。
「だが、それも無意味じゃ」
俺の体が突然重くなり、柱にさらに強く押し付けられた。
どんな抵抗も、すべて見透かされていた。百年以上の経験を持つクラリーチェには、俺の浅知恵など通用しなかった。
これは夢なのか?
そう思おうとしたが、体を焼く炎の熱さ、鎖に締め付けられる痛み、魔法少女たちの悲鳴――すべてが現実のものだった。五感が、これが紛れもない現実であることを告げていた。痛みが夢ではあり得ないほど鮮明で、汗の匂い、血の味、恐怖で震える体――すべてが現実だった。
俺は本当に、ここで死ぬのか。
一か月間、必死に準備してきた歌劇を見ることなく。リリアの魔力回復の手がかりを見つけることなく。この世界の支配者になるという野望を果たすことなく。
すべてが終わってしまうのか。
「さあ、何か言い残すことはあるか?」
クラリーチェの瞳が冷酷に光る。
「深淵魔法・冥王の炎で、おぬしの存在ごと消し去ってやろう。支配者になると豪語した愚か者の末路を、皆に見せてやるのじゃ」
黒い炎が俺に向かって伸びてくる。その熱さは皮膚を焦がし、絶望的な痛みが体を駆け巡る。
俺の心に浮かんだのは、痛みでも恐怖でもなかった。
リリアの一生懸命な演技練習の姿。
ミュウが猫耳を震わせながら歌の稽古をしている様子。
エレノアが王族としての誇りを捨てて、一人の演者として舞台に立つ決意を固めた瞬間。
そして、他の魔法少女たちが目を輝かせながら、新しい文化に挑戦している姿。
一か月間の稽古で、彼女たちは確実に成長した。技術的な向上だけでなく、人として、演者として、大きく飛躍したのだ。
その成果を、明日の初日で披露することができないまま、ここで死ぬのか――。
そんな結末は、絶対に受け入れることはできない。
しかし、現実は冷酷だった。
黒い炎が俺の胸を貫いた瞬間、激痛が全身を駆け巡った。肉が焼ける匂いが鼻を突き、視界が真っ白になる。
意識が遠のいていく。
魔法少女たちの悲鳴が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえてくる。
これで、すべてが終わりなのか。
最後に思い浮かんだのは、リリアの笑顔だった。
「師匠、ありがとう」
そう言って微笑む彼女の顔が、薄れゆく意識の中に浮かんでいた。
ごめん、リリア。俺は、お前の期待に応えることができなかった――。
そして――俺の意識は、完全に闇に沈んだ。