(116)黒マントの謎の監視者
古文書の海に埋もれながら、俺たちは黙々と調査を続けていた。
部屋には、古い羊皮紙をめくる音と、時折聞こえるため息だけが響いている。この膨大な資料の中から、アステリアに関する手がかりを見つけるのは、まさに砂漠で針を探すようなものだった。
「『スターフェリア王国建国史』......これは違うわね」エレノアが呟きながら本を棚に戻した。
「『魔法少女育成論』......これも時代が新しすぎるのです」ミュウも首を振っている。
「『フロストヘイヴン家家系図』......あ、これは良さそう!」リリアが興奮した声を上げた。
俺も『妖精契約の歴史』という古い皮装丁の本を手に取って読んでいる。しかし、一般的な妖精との契約についての記述ばかりで、アステリアについての具体的な情報は見つからない。
俺は一旦手を止めて、これまでにわかっていることを整理した。
百年前、魔法少女アリエル・フロストヘイヴンが星の妖精アステリアと契約を結んだ。アリエルは、エレノアとリリアの祖先に当たる人物だ。そして、アリエルは謎の「星見の間」という場所でアステリアと出会ったとされている。
しかし、アリエルがその後どうなったのか、アステリアがどこにいるのか、「星見の間」がどこにあるのか――そのすべてが謎に包まれている。
リリアの魔力を復活させ、クラリーチェの深淵魔法に対抗するためには、アステリアの力が不可欠だ。だからこそ、どんなに困難でも、この調査を続けなければならない。
「ふぅ......」
俺は深いため息をついて、次の本を手に取ろうとした。
その時――。
妙な視線を感じた。
俺は振り返った。書棚の陰から、誰かが俺たちを見つめているような気配がする。しかし、姿は見えない。
「......?」
俺は立ち上がり、その方向に歩いていった。書棚の陰を覗き込んでみるが、誰もいない。
「どうしたの?」エレノアが俺の様子に気づいて尋ねた。
「いや......誰か見てるような気がしたんだが」
「見てる?」リリアが首を傾げた。「ボクは誰も見てないよ?」
「わたくしも、誰もいないように見えるのです」ミュウも猫耳を動かしながら周囲を見回した。
俺は書棚の間を歩き回ってみたが、やはり誰もいない。気のせいだったのだろうか。
「まあ、いいか」
俺は席に戻って、再び調査を続けることにした。
それから三十分ほどが経った時――。
また、あの視線を感じた。
今度は確信があった。誰かが俺たちを監視している。
俺は慎重に顔を上げ、視線の方向を探った。
書棚の一番奥、部屋の隅の方で、黒い影がちらりと動いたのが見えた。
「いた!」
俺は立ち上がって、その方向に駆け出した。
「武流!?」エレノアが驚いた声を上げる。
俺が書棚の陰に回り込むと、そこには――。
全身を黒いマントで覆った人物が二人、慌てて逃げていくところだった。
「待て!」
俺は二人を追いかけた。黒マントの人物たちは、俊敏な動きで書庫から逃げ出していく。
「師匠! 何があったの!?」リリアが慌てて俺の後を追ってきた。
「わたくしたちも行くのです!」ミュウも続く。
「何者かが俺たちを監視していた!」俺は走りながら説明した。「黒いマントを着た二人組だ!」
エレノアも立ち上がって、俺たちに合流した。
「監視? まさか、クラリーチェの手下?」
「わからない。とにかく追いかけよう!」
四人は書庫を出て、廊下を走った。前方で、黒マントの二人が慌てて角を曲がっていくのが見える。
「あっちよ!」エレノアが指差した。
俺たちは豪邸の廊下を駆け抜けた。しかし、黒マントの二人の動きは異常に素早く、しかも建物の構造を完璧に把握しているようだった。
「右に曲がった!」リリアが叫んだ。
俺たちが角を曲がると、二人はさらに奥の廊下に消えていく。
「くそっ、逃げ足が速い!」
追跡は豪邸の中を縦横無尽に駆け巡ることになった。黒マントの二人は、まるでこの建物で生活しているかのように、隠し通路や裏階段を巧みに使って逃げていく。
「階段を下りた!」ミュウが猫耳をピクピクと動かしながら報告した。
「わたくし、彼らの足音を追跡できるのです!」
ミュウの鋭い聴覚に導かれて、俺たちは一階、地下へと追跡を続けた。
「こんなに建物の構造に詳しいなんて......」エレノアが息を切らしながら呟いた。「内部の人間の可能性があるわね」
「内部の人間?」リリアが疑問を口にした。
「この温泉宿の関係者か、それとも――」
その時、前方で黒マントの二人がついに行き止まりにたどり着いた。地下の貯蔵庫の前で、二人は立ち往生している。
「観念しろ!」
俺は二人に向かって叫んだ。黒マントの人物たちは振り返ると、お互いを見合わせて、何やらヒソヒソと話し始めた。
「逃げ場はないぞ! 大人しく正体を現せ!」
エレノアも威厳のある声で命じた。
「わたくしたちを監視していた理由を説明するのです!」ミュウも猫耳を立てて警戒している。
黒マントの二人は、もはや逃げ道がないことを悟ったようだった。観念したように肩を落とし、ゆっくりと俺たちの方に向き直った。
「もう隠しても仕方ありませんね......」
一人が小さな声で呟いた。その声は、どこかで聞いたことがあるような――。
「正体を現しなさい!」俺は命令した。
二人は顔を見合わせて、ついに覚悟を決めたようだった。
ゆっくりと手をマントのフードにかけ――。
「実は、私たちは......」
フードが取られた瞬間、俺たちは目を見張った。
そこに現れたのは――。
ルルの父親と母親だった。
「え!?」リリアが驚愕の声を上げた。
「ルルのご両親!?」ミュウも猫耳を逆立てて驚いている。
「なんで......なんでお二人が......」エレノアも困惑している。
ルルの両親は、バツの悪そうな表情で俯いていた。豪華な服装の上に黒いマントを羽織っていたため、シルエットが完全に変わっていたのだ。
「あの......」父親が申し訳なさそうに口を開いた。
「実は......」母親も恥ずかしそうに続けた。
俺は混乱していた。なぜルルの両親が俺たちを監視する必要があるのか? 彼らに何か隠された目的があるのか?
「説明してください」俺は静かに、しかし厳しい口調で言った。「なぜ俺たちを監視していたんです?」
ルルの両親は顔を見合わせて、何やらヒソヒソと相談を始めた。
「どうしましょう......」
「もうバレてしまいましたし......」
「正直に話すしかありませんね......」
俺たちは二人を固唾を呑んで見守った。
一体、彼らの目的は何なのか――