(9)元魔法少女は聖女の如し
冷たい風が額を撫でる。俺たちは森の中の小道を歩いていた。エレノアはリリアを抱き、無言で先導する。前方に小さな村の入り口が見える。質素な木造の家々が緩やかな斜面に沿って建ち並び、その間を縫うように小川が流れていた。
「ここが私たちの村よ」ロザリンダが静かに言った。
竹で編まれた柵と木の門。そこを抜けると、俺たちの姿に気づいた村人たちが次々と家から出てきた。ほとんどが女性だった。年配の女性から若い娘たち、さらには小さな少女たちまで、様々な年齢層の女性たちが集まってくる。
男性の姿はわずかに見える程度だ。それも腰を低くし、女性たちの後ろで控えめに立っている。彼らは作業用の粗末な服を身につけ、道具や荷物を持っている。やはりこの世界では男性の地位が著しく低いらしい。これまでのエレノアとリリアの態度からも感じていたが、村の様子を見て確信した。
「リリア様が!」
「エレノア様、どうなさったのですか?」
「あの男は誰?」
村人たちの間に不安と緊張が走る。彼らの視線が俺に向けられると、その表情は一様に警戒と恐怖に変わった。
「男なのに……あんな立派な立ち姿……」
「若くて整った顔立ち……けれど……」
「魔獣では?」
静かな囁きが広がる。子供たちは母親の後ろに隠れ、若い女性たちは半歩後ずさった。エレノアの声が村を支配した。
「皆さん、リリアが魔獣に襲われました。今すぐ休ませてあげて」
彼女の言葉に、数人の女性たちが駆け寄り、気を失ったリリアを受け取った。彼女たちはすぐさま村の中心にある大きな建物へとリリアを運んでいく。
「魔法姫様が魔獣に襲われたなんて……」
「純潔を奪われたのかしら……?」
「そんな……リリア様が……」
囁きは次第に悲しみの声へと変わっていった。エレノアの目に涙が浮かんでいる。彼女の周りには若い少女たちが集まり、慰めようとしていた。どうやらこの村では、魔法姫は単なる戦士ではなく、崇拝の対象でもあるらしい。
エレノアが突然、俺の方を向いた。その目には、これまで以上の怒りと憎悪が浮かんでいた。
「この男を見なさい!」彼女の声は広場全体に響き渡る。「異世界から来たと名乗るこの魔獣が、リリアの純潔を奪ったのよ!」
「……ッ」
俺は反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かに俺の不注意でリリアは魔獣に襲われた。直接的ではないにせよ、責任はある。そして何より、この状況で必死に弁明すれば、かえって怪しまれるだけだ。スーツアクターとしての経験から学んだ処世術――時には黙って責めを受け入れる方が、長い目で見れば有利になることがある。
村人たちの目は一瞬で変化した。恐怖と警戒が、怒りと憎悪へと変わっていく。
「魔獣め!」
「リリア様の純潔を奪うなんて……許せない!」
「処刑すべきだ!」
怒号が飛び交う中、ロザリンダが静かに手を上げた。彼女の威厳ある姿に、村人たちの声が徐々に収まっていく。
「皆さん、落ち着いて。まだ事実関係が明確ではありません。彼の話も聞かなければ」
ロザリンダの冷静な判断に、かすかな安堵を覚えた。彼女だけは感情に流されず、事実を見極めようとしている。
「ロザリンダさん、いくらなんでもそれは……」年配の女性が声を上げる。
「イリーナ、急いで結論を出すことは賢明ではないわ」ロザリンダは静かに言った。「彼を私の家に連れて行くから、リリアの看病を頼むわね」
村人たちは不満げな表情を浮かべながらも、ロザリンダの判断に従った。エレノアも何か言いたげな表情だったが、最終的には頷き、リリアの元へと急いだ。
俺はロザリンダに導かれるまま、村の中心部へと歩いていった。周囲の視線は依然として冷たく、時折「魔獣め」「男の分際で」などの言葉が耳に入る。
どうやらこの世界では、男性に対する不信感と蔑視が根強いようだ。朝倉明日香の態度を思い出したが、彼女は個人的な意趣返しから俺を陥れた。この世界の女性たちの態度は、もっと根深い文化的、社会的な背景があるように思える。
ロザリンダの家は小さいながらも清潔で整然としていた。木の温もりが感じられる室内には、ハーブの香りが漂っている。窓から差し込む光が、花の描かれた陶器や本棚を優しく照らしていた。
「座りなさい」
彼女は暖炉の前にある二つの椅子を示した。俺は従って座り、彼女も向かいに座った。
「まずは話を聞かせて頂戴。あなたは本当に異世界から来たの?」
率直な問いかけに、俺は深く息を吸い込んだ。これが転機になるかもしれない。この女性を味方につければ、村での立場も変わるだろう。かつてスタジオの上層部に取り入ることで地位を確保してきたように、ここでも協力者を得る必要がある。
「はい。私は神代武流。元々は特撮ヒーロー番組のスーツアクターでした」
「スーツアクター? 特撮ヒーロー?」ロザリンダの眉が寄った。
俺は自分の世界のこと、二十年間アクターとして生きてきた経験、そして理不尽な形で解雇された経緯を簡潔に説明した。ただし朝倉明日香の告発に関する部分は抽象的に留め、自分が被害者であるというニュアンスを出すよう心掛けた。そして、アポロナイトの変身シーンで異常な光に包まれ、この世界に来たことを話した。
「女神が現れ、私にこの世界を救ってほしいと言ったんです。そして、アポロナイトの真の力を与えてくれました」
「女神……」ロザリンダの表情がわずかに変化した。「どんな姿をしていた?」
「頭上には実際の星々が冠のように輝き、光の衣をまとっていました」
ロザリンダは目を閉じ、何かを思い出すように静かに頷いた。
「スターフェリアの伝説……」彼女はつぶやいた。「私たちの世界はスターフェリアと呼ばれています。星と妖精の世界という意味よ。古い伝説には、世界の危機に際して、星の女神が異世界から光の勇者を召喚するという話があります」
「私がその光の勇者……?」俺は疑問を投げかけた。
「それは分からないわ」ロザリンダは慎重に言葉を選んだ。「ただ、あなたの話には真実味がある。この村から遠くない場所に王都クリスタリアがあります。そこには王立図書館があり、古い伝説について詳しい記録が残されているわ」
「エレノアとリリアは……」
「彼女たちはフロストヘイヴン家の王女。第三王女と第四王女よ」
ロザリンダの言葉に、俺は眉をひそめた。王族の姉妹がなぜこんな小さな村にいるのか? ここは王都クリスタリアの近くだというが……王族ならば王都の王宮にいるべきでは? ますます疑問が深まった。
「魔法姫というのは、ただの戦士ではなく崇拝の対象にも見えます」
「そうよ。魔法少女は星の祝福を受けた者。中でも王族である魔法姫は特別な存在……。この世界の守護者として、魔獣から人々を守る使命があるの」
俺は考え込んだ。この世界の構造が少しずつ見えてきた。
「武流さん」ロザリンダは静かに言った。「あなたは本当にリリアの純潔を奪ったの?」
「いいえ」俺ははっきりと答えた。「魔獣が私たちの隙を突いて、彼女を襲ったんです。私の不注意が原因だとは思います。もっと警戒していれば……」
ロザリンダは深く俺の目を見つめた。「私はあなたを信じるわ」
その言葉に、安堵感が広がった。この女性は、聖女のような人だ。
「しかし、村の人たちを説得するのは難しいでしょう。この世界では、男性に対する不信感が根強いから」
「なぜですか?」
「長い歴史の中で、男性に化けた魔獣が魔法姫の純潔を奪った事件が何度もあった。特に異世界から来た男性は、しばしば最も危険な存在と見なされてきたの」
「でも、私はこの世界の人々を傷つけるつもりはありません」
「信じるわ。でも――」
ロザリンダの言葉は、突然開いたドアの音で中断された。エレノアが数人の女性を伴って入ってきた。彼女の顔には決意の色が浮かんでいた。
「ロザリンダ様、もう十分です」エレノアの声は冷たく響いた。「この魔獣の処刑を執行します」